”ちろへい”のた・わ・ご・と・

Chiroheiが日頃、見たり聞いたり思ったりしたことを、そこはかとなく・・・・ 自分勝手に、偏見の塊りで・・・・

散歩のお供

2024年12月17日 07時06分44秒 | お気に入り

朝の散歩時に首からMP3プレーヤーをぶら下げて、好きな音楽や落語を聞いている。
数年前に購入したMP3プレーヤーだがまだまだ現役で使えている。

 


最初のころは下記のような有線のイヤホンを接続していたのだがやはり線がちょっと邪魔なのと
周囲の音が聞こえないので危険を感じて上記のようなこれも数年前に購入した片耳かけのBluetoothイヤホンを使っていた。
 


最近そのイヤホンのバッテリーがへたってきたので新しいイヤホンを購入した。
耳をふさがないものを捜して骨伝導にしようと思ったのだが
空気電動のものをみつけたので昨日からそれを使っている。
音質も散歩で使うのだかそれなりで良い。
 


音漏れもそんなに気にしなくていいみたいだし、ステレオになったので音楽よく聞こえるだろう。
 
帰り道、志ん朝から藤圭子に変えてみた。
そこで「十九のつぼみ」の歌詞で気が付いたことが十四から十九まで5つの歌詞があるのだが
あれ、十八がない。聞き返してみたが十八はない。
帰ってからネットで検索してみたがやっぱりなかった。
 
ChatGPTに聞いてみた。
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藤圭子の十九のつぼみの歌詞に十八が無いのはなぜでしょうか

藤圭子さんの「十九の春」の歌詞に「十八」が登場しない理由については、公に明確な説明がないため、以下のような推測が考えられます。


1. 「十九」の象徴性が際立つように意図された

「十九」という年齢は、成人を目前に控えた若者の揺れ動く心情や、青春の終わりと次のステージへの移行を象徴する数字です。一方、「十八」は高校生や未成年としての安定したイメージがあるため、物語性や感情の緊張感を強調する目的で「十九」に焦点を当てた可能性があります。


2. 詩的なリズムや響きを重視

歌詞を作る際には、リズム感や言葉の響きが重要な要素です。「十八」という数字が歌詞に加わることで、韻や語感が崩れると判断された可能性があります。「十九」は発音的にも切れ味があり、歌詞やメロディにより適していたのかもしれません。


3. 「十八」はすでに通過した過去として扱われた

歌詞の視点が「十九」の現在を中心に描かれている場合、主人公がすでに過ぎ去った「十八」という年齢に固執する必要がないと作詞者が考えたのかもしれません。その結果、「十八」があえて省かれ、「十九」が物語の核として描かれた可能性があります。


4. 「十八」は別の物語やイメージを連想させる可能性

「十八」は一般的に成人前の未熟さや学びの時期を象徴する場合が多いですが、「十九」はその先の成熟や葛藤を感じさせます。歌詞のテーマや主人公の心理描写に合致する数字が「十九」であったため、「十八」はあえて使われなかったのかもしれません。


5. 意図的な空白や省略の演出

歌詞の中で「十八」という年齢が省かれることで、聴き手の想像力を刺激し、物語に広がりを持たせる意図があった可能性もあります。作詞者が「十八」をあえて入れないことで、「十九」という数字を際立たせる工夫をしたのではないでしょうか。


これらの理由は、作詞家や制作の意図を深掘りする中でさらに明確になるかもしれません。演歌では数字や言葉選びが非常に重要な意味を持つため、細部に込められた美学を味わうのも一つの楽しみですね。

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だそうです。ちろへいの考えとはすこし違いますけどね。
 
 
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