〜かたることばが歌になる風になる〜

小譚詩(しょうたんし)

主人が亡くなって2年が過ぎた。
真言宗のお坊さんの読経とともに自宅で三回忌法要を終えた。

先日鈴木福君が高野山に行く様子をテレビで放送していたが、その静寂と荘厳な雰囲気に魅せられた。
雪が積もっているかもしれないが、真言宗の本山に2月のいつか行ってみようと思っている。
自分の体の中や表面にまとわりついている「アク」を浄化しなきゃいけないと思うこの頃。

長生きしている人は、この世での修行が続いていて、神様はもうしなくて良いと思えばそこで人の人生を終えさせるのだそうだが、私は楽しいことも苦しいことも、これからまだまだたくさん見せられるのだろう。

仏教では前世、現世、来世というものがあると考える。
随分前に「カルマの法則」という本を読んで以来私はこの考え方を信じるようになった。

前世での行いは現世の自分に返り、現世での行いが来世に現れるという「輪廻」という法則だ。

「一寸先は闇」ということわざについてこの頃思うようになった。
1年先、いや数ヶ月、いえ、何日か、もしかしたら明日か、何が起こるかほんとにわからない。
それも前世の自分の行いに寄るのか・・・
その日を自分に恥じないよう悔いなく生きなければと思う。


コーラス「花座」は今年秋にコンサートを予定している。一昨年は「風」のアルト3人が助っ人として出演したが、今回は私はソプラノメンバーの一人として出る。
ほそみっちゃんのご主人も声楽の先生で、今日はご主人の指導で練習があった。

木下牧子の女声合唱曲選「ローラビーチ」「小譚詩」「夢」「むらさきの」「風が風を」5曲。
小譚詩とは、小さな自由な形式の叙事詩と訳されている。
叙事詩とは、語り伝える価値のある民族の英雄や、歴史、神話などを語ったもの。バラードと同じような意義。

「小譚詩」(立原道造 詩) ←(you tubeで検索すると聞くことができる)

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで本を読むのは別の人だつた
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だつた
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)

幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行った・・・
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
兵士は(ジャックは)旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

それから 朝が来た ほんたうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだつた



この歌は8分の6拍子で、歌の向こうに、タンバリンとかカスタネットなどの刻む音や
小さな太鼓の音が、私には聞こえてくる。
モンゴルや中近東の壮大な砂漠や平原が目の前に広がって見える、民族性豊かな音楽のようだ。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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