「木下牧子女声合唱曲選」
『小譚詩』(立原道造 詩)
「ひとりはあかりをつけることができた
そのそばで 本をよむのは別の人だった
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)
一人はあかりを消すことができた
そのそばで 眠るのは別のひとだった
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)
幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行った
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた・・・・・
兵士(ジャック)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!
それから 朝が来た ほんたうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだった」
そのそばで 本をよむのは別の人だった
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)
一人はあかりを消すことができた
そのそばで 眠るのは別のひとだった
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞こえた(みんなはきいてゐた)
幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行った
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた・・・・・
兵士(ジャック)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!
それから 朝が来た ほんたうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだった」
『小譚詩』とは短いバラード(物語風の詩)ということだが、立原道造の詩集「暁と夕の詩」に収められている。
この詩集の最初に『或る風に寄せて』という詩があって、三善晃作曲の「三つの抒情」という女声合唱曲の中で歌ったのを思い出した。
他にも萩原英彦作曲の「抒情三章」の曲集にある詩「風に寄せて」も歌った。
美しい抒情的な詩が多く、沢山の人に愛されている詩人だ。
『小譚詩』の解釈は色々あると思う。
あるでの生活をそのままに詩にしているようでもあるが、もっと深く読み込んでいくと、別の人が本を読んでいる、それを聞いている人がいるが、聞いていない人もいる。
幾夜も幾夜も同じことが繰り返されていく。次第に人々の考えがお互いに違う方向に進んでいく。そして諍い(戦)は起こるのかもしれない。そう解釈する人も居た。
立原道造は大正3年生まれで24歳で夭逝した詩人。この後の日本は戦争の色も濃い時代だ。
驢馬が鈴を鳴らしながら‘中近東の砂漠’を走っている、そういう風景を想像して、8分の6拍子の、焦燥感を煽っているようなリズムを感じながら歌った。