四十九日の法要が営まれました。逮夜と言われている法要で初七日から数えて七回目の法要であり、亡くなられた人が、49日の後、どこかの、世界に、生まれ変わるという
四十九日のこと、満中陰の法要に参詣させていただきました。その、亡くなられた人とはこの人です。(アンダーラインの文字をクリックしてみて下さい)(元へは「←」ボタン)
生まれ変わるというのは、「輪廻転生」とか、「三界六道」とか、難しい事を背景にした思想であって、簡単に、お地蔵さんになって帰ってくることは、すぐには、出来ぬらしい。
しかし、自分の気持ちとしては、初七日から、四十九日までの、逮夜の法要を済ませば、極楽浄土への旅立ちが始まると思っていました。
今でも、そのように、思っています。あの人は、心残りではあろうけれど、満中陰となった、この日、肉親のほか、親類をはじめ、親しかった知人の方がたに、集まって法要を営み、
供養をして、冥福を祈ってもらって、中陰という、期間を終え、旅立ちができると思っています。
お寺で、満中陰の法要が営まれましたが、その時、お寺さんが「仏前のおつとめ」と言う仏前勤行の心得の印刷本を配ってくれました。
お坊さんが、お経を唱えている、途中で『皆さんの手元にある経本を一緒に読んで下さい』とおっしゃった。一同、『我昔所造諸悪業・・・』お坊さんに続いて、読経です。
難解な漢字ですが、フリガナがふってあるので、なんとか、遅れながら、小声で、読んでいます。『弟子某甲 尽未来際・・・』
そのうち、般若心経の箇所にさしかかると、一同、読経の声が、すこしばかり、大きくなりました。皆さま、しっかりと、法要を営んでいらっしゃる。
もう一か所、皆さまの読経の声が大きくなったところがありました、『南無 不動 釈迦 文殊・・・』の箇所でした。自分も、聞き慣れたような、読みやすい個所でした。
今までに何度か、お坊さんのお経を聞いたなかでも、お不動さん、お釈迦さん、文殊さん、の印象のある個所で、初七日から満中陰、一周忌、三回忌と三十三回忌まで、
かかわりのある仏様で、今日の満中陰には薬師さんがかかわってくださると、後になって、十三仏名を検索して分かりました。
その時、法要は「一期一会」で、一生に一度のものであるとのことも、書かれてありました。
今、逢っている、この時間は、明日の時間とは違って二度とない。とのことでしょうけど、今日こそは、『また今度というわけには、いきませんよね』お互い、こんなことで、
また、お逢いしましょうなんて、言えないし・・・。けど、旅立たれた人のご縁で、沢山の人に出逢う事もできました。
「一期一会」と、出逢いを大事に、せっかく与えられた仏縁の場ですから、あの人を偲ぶことが、「一会」ということかも、知れません。
そんなことなら、『○○先生!』と呼び止め『ブログ読んで下さい』とは、なんてことだ。
いいえ、本当は『ありがとうございました。これからは逢えそうにありませんが、ご健康に!』と言わせてもらうはずでしたが(チョウシモン)が出てきてしまいました。
もうひとつ、大事な「一会」に出逢った人に『○ッさん』と気やすく呼んでしまったり、反省しきりです。 みなさん『ごめんなさい』
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
和歌山を コチッっと、していただくと、大変うれしいです。

地域ブログ和歌山です。一覧で、和歌山を、覗いてみて下さい。
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生まれ変わるというのは、「輪廻転生」とか、「三界六道」とか、難しい事を背景にした思想であって、簡単に、お地蔵さんになって帰ってくることは、すぐには、出来ぬらしい。
しかし、自分の気持ちとしては、初七日から、四十九日までの、逮夜の法要を済ませば、極楽浄土への旅立ちが始まると思っていました。
今でも、そのように、思っています。あの人は、心残りではあろうけれど、満中陰となった、この日、肉親のほか、親類をはじめ、親しかった知人の方がたに、集まって法要を営み、
供養をして、冥福を祈ってもらって、中陰という、期間を終え、旅立ちができると思っています。
お寺で、満中陰の法要が営まれましたが、その時、お寺さんが「仏前のおつとめ」と言う仏前勤行の心得の印刷本を配ってくれました。
お坊さんが、お経を唱えている、途中で『皆さんの手元にある経本を一緒に読んで下さい』とおっしゃった。一同、『我昔所造諸悪業・・・』お坊さんに続いて、読経です。
難解な漢字ですが、フリガナがふってあるので、なんとか、遅れながら、小声で、読んでいます。『弟子某甲 尽未来際・・・』
そのうち、般若心経の箇所にさしかかると、一同、読経の声が、すこしばかり、大きくなりました。皆さま、しっかりと、法要を営んでいらっしゃる。
もう一か所、皆さまの読経の声が大きくなったところがありました、『南無 不動 釈迦 文殊・・・』の箇所でした。自分も、聞き慣れたような、読みやすい個所でした。
今までに何度か、お坊さんのお経を聞いたなかでも、お不動さん、お釈迦さん、文殊さん、の印象のある個所で、初七日から満中陰、一周忌、三回忌と三十三回忌まで、
かかわりのある仏様で、今日の満中陰には薬師さんがかかわってくださると、後になって、十三仏名を検索して分かりました。
その時、法要は「一期一会」で、一生に一度のものであるとのことも、書かれてありました。
今、逢っている、この時間は、明日の時間とは違って二度とない。とのことでしょうけど、今日こそは、『また今度というわけには、いきませんよね』お互い、こんなことで、
また、お逢いしましょうなんて、言えないし・・・。けど、旅立たれた人のご縁で、沢山の人に出逢う事もできました。
「一期一会」と、出逢いを大事に、せっかく与えられた仏縁の場ですから、あの人を偲ぶことが、「一会」ということかも、知れません。
そんなことなら、『○○先生!』と呼び止め『ブログ読んで下さい』とは、なんてことだ。
いいえ、本当は『ありがとうございました。これからは逢えそうにありませんが、ご健康に!』と言わせてもらうはずでしたが(チョウシモン)が出てきてしまいました。
もうひとつ、大事な「一会」に出逢った人に『○ッさん』と気やすく呼んでしまったり、反省しきりです。 みなさん『ごめんなさい』
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
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