みなさま こんにちは😊
今日は朝からあたたかくって
日差しもキラキラ柔らかくって✨
まさに
春が来た🌸😆って
歩きながらずっとウキウキしていました。
あたたかいと
顔や肩の力が自然にぬけるし
視界が広く開けると
こころに余裕が生まれて
土を踏む感触が
地に足をつけてくれ
大地から香り立つ静かな落ち着きが
自分をじわっと満たしていきます😌
この陽気ならば
お気に入りの公園に出向いて
コーヒーを飲みながら
草花の写真をとりながら
のーんびりベンチに腰掛けて
本を読んだり
ひたすらボーっとする…🤤
わたしのなかで
最高の休日の過ごし方の一つです✨
大好きな場所で
思う存分
自分をくつろがせてあげたくて✨
思う存分くつろいでいたら
どんどん勝手に湧いてくる力で
身体中が満たされていくのを
そしてそれを感じていることを
もう1人の自分にも伝えたいし
全身でありがとうって言いたい
というような、不思議な気持ちです。
(書いていて謎🤔…まあいいか😅)
今朝、そんな感じで
ひたすらぼーっとしていたら
ふと
自分はどうしようもない
ここにいてもいいのかわからない
思い通りにぜんぜんいかなかった😭
って絶望していた春が
かつてあったなと
思い出されてきたのです
花を見に行っても、鮮やかで綺麗なツツジだったはずなのに
なにひとつ自分のなかに入ってこないし
さっき、当時撮った写真を見たら、見事にわたしの目は沈み切っていました。
自分なりにできることをして来たつもりだったのに
望んだ結果が全く得られなかったし
色々な意味で自分を思い切り粗末に扱った自覚もうっすらあるからこそ
大きな罪悪感にまみれてしまって。
どれくらいの期間、
そう思って、正気を失ったように過ごして来たのか、もはやあまり記憶にありません。
しんどすぎる
とてつもない痛みの記憶って。
はっきりと
どれくらいとか
いつまでにとか
機械的なマニュアルなんてもちろんないけれど
「忘れる」っていう機能が発動して
ひとは自分を強固に守っているのかもしれないですよね。
もしかしたらずっと昔から。
いまのわたしだったら
当時のしんどかった頃のわたしに
一体どんな声をかけてあげるだろうか
ポンと現れた答えは
いま感じている痛み、
少しだけ未来の自分に
預けてみてくれないかな?
でした😌
いま、全部を引き受けて
パツパツのまま
処理しようとなんてしなくていいよって。
未来の自分は
いまを忘れることで、少し余白ができているかもしれない。
未来の自分は
痛みを乗り越える術を
痛みをなにかに昇華させる術を
それまでにすでに手にしているかもしれない。
つまり
成長・成熟しているかもしれないよって😌
それを信じて
処理なんてひとつもしないまま
少し先の自分に全て預けてみてほしい。
そう声をかけたいと、思いました。
未来の自分のためにとか
未来の幸せを掴むためにとかいうベクトルで
今の自分を未来に預けにいくことって
わりと慣れているけれど
今の苦しみを
まんま未来の自分に預けにいくことって
あまりないからある意味新鮮✨
しかもこれは、けっこうな自己信頼が必要かなと思います。
当時のわたしは
頭の中や心の内側が
過去を悔やんだり
自分をとことん責めたり蔑んだりする言葉や思考で埋め尽くされていて
余白が一ミリもなかったんだと思っていて。
いま、何かをやらかしたわけではなくても
まさにいま、
その何かが起こっているわけでなくても。
今
の全てが、
その痛みに全力を注いでる状態とも言えるならば
それ自体が痛くてたまらないわけだから
一旦荷物下ろしてみない?と思うのですよね。
今の自分が
当時の自分に声をかけるように
当時の自分が
今の自分に叫びをそのまま投げてみる
この一手間をかけることで
誰かに相談するにしても
どこか他人事みたいに感じるような違和感から自由になるきっかけになるのじゃないかな😌
そう思っています。
未来の自分に助けてもらってもいいんだと
まず思えて来たら
人に頼るのが苦手な人も
少しずつ
伸ばされた手を取れるようになっていくのじゃないかなって思う朝でした😌
いろんな時代の自分が
いろんな時代の自分を
守ったり、労ったり、
頼ったり、許したり。
続けていくうちに
いつのまにか
自分ともまわりとも
力の抜けた関係がゆっくり築けていくのかもしれませんね😊
というわけで今日はこの辺で✨
ではでは
またー✨
さら