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ウクライナを攻撃している兵士たちのなかに、チェチェン人が多数いるとういうニュースがあった。 なんでチェチェン人が…? と思ったと同時に、昔の映画を思い出した。 ソビエト連邦崩壊の年(1991年)に上映されたソ連映画「金色の雲は宿った」だ。アルコール漬けの脳ミソなので記憶は定かではないが、あれを観たのは関内アカデミーかシネマ・ジヤツクのシリーズだった。どちらにせよ経営者は福寿さんで、彼ならではの番組づくりの中の一本だった。 どんな映画だったのか、ここで少し思い出してみたい。 舞台はチェチェン、時代は第二次世界大戦末期の1944年である。 当時モスクフに居た孤児たちが安全な地域に疎開することになった。行き先はコーカサスの麓にあるチェチェン。ここならドイツ軍の砲撃も届かないし、自然豊かなのんびりとした田舎暮らしができるはずだった。 だが、村には住民がほとんど居なかった。ソ連にとって邪魔なチェチェン人数十万人を、中央アジアヘ強制移住させていたからだ。 そんな村に到着した孤児の中に双子の兄弟(コーリャとサーシャ)がいた。ここで二人は子どもらしく、盗みをしたり遊んだりと、逞しく暮らしていく。 村にはチェチェン人の抵抗勢力が残り、侵攻してくるソ連軍と戦っていた。そこに、衝撃的なシーンがあつた。ソ連兵がチェチェン人の墓地から運び出した大量の墓石を敷き詰めて、ぬかるんだ荒野に簡易道路を造り戦車を進めて行ったのだ。 このおぞましい映像は今でも脳裏にこびりついている。それから話しはどんなふうに進んだのか、はっきりとは覚えていないが、ある日、ロシア兵とチェチェン人の衝突で、サーシャは戦闘に巻き込まれ殺されてしまった。しかし、残されたコーリャはチェチェン人の子ども(アルハズル)と親しくなり、憎しみあっている大人たちからお互いに身を守りあい、義兄弟の契りを結ぶ。 ソ連軍は、そんな子ども同士の友好とは関係なく、チェチェンに対する攻撃をさらに深めていく。 これを見たコーリャは言う。「やられたからと言って、どうしてやり返すのか? ぼくだったら『バカヤロー』って言うだけにしておく。そのたんびに報復していたち戦争は終わらない」 その後、二人とも内陸部に護送されるが、チェチェン人と分かったアルハズルは、ロシア兵によってその場で走る列車から蹴落とされてしまう… この映画が日本で上映されたのは、前述したようにソ連崩壊の年(1991年)であったが、製作されたのはそれより2年前の1989年だった。実際にあったことをもとに書かれた小説『コーカサスの金色の雲』を原作としている。 既にソビエト連邦終末間近だったとはいえ、あの体制の中で「ソ連対少数民族」という微妙な問題を取り上げて映画を作っていたことに、私は少なからず驚いた。 これはあとで分かったことなのだが、製作した監督はイングーシ人で、自身も子どもの頃カザフへ強制移住させられた経験を持っていたのである。 彼がこの映画で訴えたかったのは、ソ連とチェチェンのどちらが加害者でどちらが被害者かというようなことではなく、民族が違っても仲良くやつていける子ども達が、大人同士の戦争によって傷つけられ不条理に殺されていくことに対する憤りや反省だったのではないだろうか。 ![]() |
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