近頃はスポーツジムをやめてしまったし、ほとんど歩かなくなっているため、かなりの運動不足を感じている。新型コロナウイルスに打ち勝つためにも、筋肉を鍛えておく必要があると感じ、久しぶりに山手駅から横浜中華街まで歩いてみた。 私がこの辺りをよく散策していたのは、5年くらい前までだったろうか。改札を出て歩き始めると、あの頃からすいぶんと変化していることに愕然とした。 ヴィラ山手の1階にあった洋食の惣菜店が閉まっていた。ここで夕食のおかずをいろいろ買ったのを思い出す。 テナント募集の案内が出ているとこは、たしか「ちよだ寿司」が入っていたと思う。 その左隣の鮮魚店。ここもいつだったか閉店しているから、3軒連続だ。 向かい側の「キッペル鳳高堂」は改修なのかな。 カレンダーやタオルなどを売っている「さゆり堂」。ここでガーゼのハンカチを購入。女将さんからマスクの作り方を教わった。 今まで気がつかなかったのだが、お店の端に印刷機があった。聞けば活版印刷をやっているとのこと。今では活字を入手するのが大変だろうと思うが、幸いにも横浜に一軒だけ活字屋さんがあるそうだ。 大和町接骨院も閉院か… ここには民家があったはず…… 中萬学院は繁盛しているようだね。 最近聞いた話だが、この塾の創業者は横浜市立浜中学校の中萬先生だったという。 スーパーはリニューアルなのかな。 その左側にはタバコ屋さんがあったはずだが…… 大和町商店街を抜けて本牧通りに出る手前。千代崎川を蓋がけして暗渠にしたのはいつ頃だったのか。昭和50年代か、それとも40年代だったのか。 この蓋の上に駐車する車が絶えないことから、こんな警告板が建てられたのだが、もはやなんて書いてあるのか判読不能。それでも目を凝らして観察していくと、なんと昭和60年に建てられたことが分かった。ひえ~っ、35年前の物である! 町内会の掲示板の下に、なんだか得体のしれない石が置いてある。 なんだこれは……。 もしかしたら市電の敷石か? そういえばこの辺に市電の麦田車庫があったからな。 何度も入れ替わる中華料理店。現在は「福楽」というお店が入っている。 麦田町バス停の後ろ。消防団の小屋ができていた。 ここから麦田のトンネルを抜けることになるのだが、このトンネルには、もう一つの名前がある。それは元町のトンネル。 なぜかというと、麦田の人たちは地元から見たトンネルを「麦田のトンネル」といい、元町側の人たちはその逆なのだ。 しかし、これは両方とも正確ではない。正しくは「山手隧道」というのだ。山手の丘の下をくり抜いているからなんだろうね。 そんなトンネルを抜けて元町に至る。 桜が咲いているじゃないか。 ここだけ雁木が残っている。懐かしい風景だ。 西の橋の際にたっている木蓮(マグノリア)。これは中華街の東門近くにもある。 橋から上流を眺める。 長いこと不法係留されていたダルマ船がなくなっている! オリンピックを控えて撤去したらしい。 そういえば1964年の東京オリンピックの際には、野毛本通りに並んでいた露店が都橋に集められたんだよね。オリンピックがないと、なかなか手を付けられないのかな。 旧中保健所。現在は東京芸術大学のキャンパスになっているが…… その前に設置されている「放置自転車禁止区域」の案内地図では、相変わらず「中区検診・予防接種センター」となっているぞ。 この手の案内図は横浜市内あちこちにあるけど、たいていは適切に管理されていないため情報が古すぎるのね。残念……。 中華街に入り関帝廟通りへ。路上で食品を販売しているいつものおばさん。山下町公園前から追い出されて、あれからずっとここで売っている。 関帝廟通りもガラガラだ。 ん、街灯に何か貼ってあるぞ。 なるほど。関帝廟通り会でこんなこともやっているんだね。 山下町公園。 これだ。ここで手を洗うことができるんだね。 市場通りから開港道へ向かう途中。懐かしい建物だ。 こっちもね。 広東道も開港道も人がいない…… 町内を回って「龍鳳酒家」へ。こんな表示が出ていた。テイクアウトのお弁当だ。 こちらで買って帰ろうかとも思ったが、久しぶりに「同發」で食べていくことにして、大通りへ向かう。 今日は時間がないので、この続きはまた明日に。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
情報をありがとうございます。
閉店していたんですか。。。
残念ですね。
なんだか閉まっている店、やめた店が多くなってきたような。。。