昨年11月のことだが、中華街から前田橋を渡り堀川に沿って谷戸橋方面に歩いていた時、見慣れぬ風景に出くわした。 なんだろう、この違和感は…… 一瞬、よく理解できなかったのだが、数秒後にその理由が分かった。 あるはずの薬師堂が消えていたのだった。 そういえば、一昨年(2015年)、薬師堂の外壁に書かれていた平野威馬雄の詩が消されていたのだが、いま思えばあれが薬師堂解体の始まりだったのかもしれない。 その時の記事は→コチラ 薬師堂の敷地内には「大震災殃死者慰霊碑」と「戦災者供養塔」が建っていたのだが、それはどうなったのだろうか…… 大震災殃死者慰霊碑 伯爵 有馬頼寧書 紀元二千五百八十三年九月一日、午前十一時五十八分、関東一圓大震災二遭遇スルヤ、元町町内倒潰家屋千餘戸、并二、背後一帯ノ断崖崩壊シ、埋没家族数十、殊二橋梁墜落シ、加フルニ随所二發スル火勢ハ遁ルルニ途ナク、壓死集死溺死者百五十餘名、其他街路歩行ノ内外人殃死セル者多、町内ヲ焦土卜化ス其惨状、實二酸鼻ヲ極ム、今ヤ當時ヲ追憶スルニ自カラ慄然タルヲ覚◇、本日恰モ十三周忌二際シ、茲二有志相圖リ、其各霊ヲ追悼シ、此碑ヲ建立ス 昭和十年九月一日建立 發起人 元町衛生組合 元町會 元町青年會 元町有志會 元町商工會 (◇は碑文が欠落して判読できず。読みやすくするため読点を加えた) 碑には賛助者の氏名も彫られており、そこには「大木ハム」の創業者である大木市造の名前も見られた。 この新しいビルが薬師堂なのだろうか… もう一度、探索に行かねばならないようだ。 ************************* さて、以下は薬師堂とは関係ないが、以前、雑誌「ハマっ子」を眺めていたとき、平野威馬雄が興味ある記事を書いていたのでコピーしておいたものである。お時間のある方はお読みくださいませ。(クリックすると拡大できます) ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
本年も中華街情報をはじめ よろしくお願い申し上げます。
今年も美味しい情報を待っています。
中華街情報もよろしく~
盛ってあるかもしれません。
でも、知られざる「横浜の闇」を、彼はたしかにご存知
だったのだと思います。
それにしても、薬師堂とともに、いろんな歴史が
また消えていきましたねえ。
壊しちゃっていいんでしょうか。
こうして元町薬師堂も歴史から消されていくんですねぇ。
平野威馬雄の書いた記事は、実際にあったかどうかは分かりませんけど、
でも、あんな言い伝えがあったのだろうと思います。
こんな話も消えていくのかな…