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また米軍機の墜落事故だ。新聞写真やTV映像を見ると、墜落としか思えないのだが、沖縄の米軍や日本政府は、これを不時着と言っているようだ。 しかし、アメリカ軍に関する記事を中心に載せている「STARS & STRIPES」(星条旗新聞)では、不時着ではなく「墜落」と書いている。 事故後、菅官房長官は「今までの飛行時間などの指数でオスプレイは安全だと思っている」なんて語ったそうだ。なんていうことを言うんだろう。 そして、「安全」と言われて連想するのは原子力発電所だ。あれだって安全だと言いくるめていたが、3.11の大事故でいまだに帰還できない人たちが多数いる。 オスプレイも同じだ。安全じゃない。 米軍機の墜落事故で思い出すのは、39年前、横浜に墜落して死傷者9名、住宅の全半壊20戸という被害を与えた横浜米軍機墜落事件である。 1977年9月27日、午後1時20分ごろ、米空母ミッドウェーの艦載機RF-4Bファントムが緑区(現青葉区)荏田町に墜落・炎上した。 同機は厚木基地から帰艦する途中だったが、離陸直後にエンジントラブルを発生し、乗員2名がパラシュートで脱出したあと、無人となったジェット機が航空燃料満タンのまま、荏田町の住宅街に突っ込んだのである。 この事故で土志田(旧姓・林)和枝さんの子ども2人が焼死。全身やけどで闘病を続けていた和枝さんも4年4か月後の82年1月に急死した。 ほかに椎葉悦子さんなど6名がやけど等の重軽傷を負っている。 この事故で亡くなった3人の母子像が、港の見える丘公園・フランス山地区にある。 ![]() この像自体はかなり前に横浜市の許可を得て公園内に設置されたのだが、なんの像かを示す案内板がなかった。 それが2006年、設置の由来を書いた案内板が置かれるようになった。当時は中田宏市長の時代。いろいろあった市長だったが、これだけは、よくやったと思う。 その案内板にはこう書かれている。 《愛の母子像》 昭和52年(1977)9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。 生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。 和枝さんは生前、高校生のインタヴューに対し、こんなふうに答えていた。 『戦争は反対です。米軍には悔しさでいっぱい。勝手に他人の国を飛んでいる。 自衛隊は私たちを救ってくれなかった。安保は必要ではない気がします。 戦争でもないのに、こんな被害に遭って……』 39年前のあの日、テレビや新聞で事故の記事を見た人たちのどれだけが、今も鮮明な記憶を持ち続けてるのだろうか。 自分自身にこのことを問いかけたとき、改めて当時の新聞を見なければならないほど風化していることに愕然とする。 来年は横浜米軍機墜落事件から40年だ。 ![]() |
脱力感を覚えました。
日本はまだ接収解除されていないのでしょう。
少なくとも日本の上空は接収中です。
やっていることを観察していると、支持率も偽装しているとしか思えないのですが。白紙領収書も問題ないとする内閣ですから。
事だから運転手に感謝しろ」と同じだろう!
21兆円の原発事故処理費用は国民負担、安全で安い原発電力はうわべの戯言。
占領ですよね。
いまだに占領されていると思います。
神奈川の上空も危ないですね。
ロシアに対しても、まったくだめでしたね。
結局、食い逃げされるんでしょう。
あの戦争で負けたから、こうなってしまった…
ほかにも安全なんていうことが多いようですが、
どうも信用できませんね。
食べ物関係がとくに心配です。
なるほど。
放射線の人体影響を見積もるための人体模型もファントムというそうですね。