先月のことだが、森さんたちと酒屋で角打ちをやっていたら、彼から写真展のお誘いを受けた。チラシを見ると横浜高島屋開店60周年記念として開催される企画展で、サブタイトルはYOKOHAMA 1969 - 2019と書かれている。横浜高島屋は60年であるが、森さんの写真は50年分ということらしい。 ということで、久しぶりに横浜駅まで出かけてきた。改札を出てコンコースを抜けて西口正面に立ったとき、あまりの変貌にビックリしてしまった。 これがあの横浜駅なのか! まだ上部は完成していないが、なんだかすごいことになっている! 知らなかったなぁ…… もう何か月もこの駅では降りていなかったからなぁ…… まるで浦島太郎になったような気がする。 振り返るとホームで電車を待つ人たちの姿がまる見えではないか! こんなふうに変ったのね。 サグラダファミリア駅らしく、まだまだ工事中。 仮囲い用のフェンスには、こんな写真が。いその爺さんも応募すればよかったのにね。 表に出て振り返ると、新しい駅ビルが確認できた。これで、やっと中堅地方都市の表玄関駅みたいになったような気がする。 さて、横浜高島屋8階の催事場へ到着すると、フロアは大変なことになっていた。なんと、大東北展が開催されていたのである。 とにかくすごい人。オバサンの含有率は90%以上じゃないかな。工芸品から食べ物、飲食コーナーまで、メチャ混み! 私もその中に混じって買い物をしたいと思ったが、それは後回しだ。まずは森さんの写真展である。 入口には五代路子さんからの祝花も♪ 中に入ると、さらに多くの祝花が飾られていた。 右は加藤登紀子さんから。左は五代路子さんからの胡蝶蘭。 会場内は写真撮影禁止ではなく、「撮影OK!」。SNSで使ってもいいというので、ここから少しだけご紹介しておこうかな。 ご自身の姿とプロフィール。 巨大サイズの花火大会。音が聞こえてくるようだ。 早朝の横浜港で、これもデカイ! 縦2メートルくらいかな、横は3,4メートルあるだろうか。自分がこの埠頭に立っているかのような錯覚に陥る。 こちらは早朝の本牧かな。ほとんどの写真には解説が付いていない。自分の記憶の中からその場所を特定しなければならないのだ。でも、これが愉しい。 富士山の手前に赤、青、黄の光がポツンと写っている。おそらく信号機のライトなんだろうね。まだ人もトラックも出入りしていない静かな埠頭。はるか彼方の風景なのだが、まるで自分がその交差点にいるような気がしてきた。 うわ~、懐かしい♪ 新館ができる前のニューグランドだ。 森日出夫さんといえば、この人だよね。 メリーさん。 懐かしいなぁ~。 むかし、長者町にエイトセンターという丸ごと飲み屋のビルがあった。若いころ、私は毎日のように通ったのだが、そこの大常連(桜木町デパート時代からの)エムさんに聞いた話。 「自分はよくメリーさんから声をかけられたんだよな」 「あの人は高級船員しか相手にしなかったというけど……」 「俺の風体、物腰、話し方、それらが高級船員っぽいじゃん」 たしかに、エムさんは優しくて穏やかな紳士然とした人だったから、メリーさんが声をかけてきたんだろうね。でも彼は、ふたことみこと話をしただけで別れたという。 カウンター席にいた他の常連さんたちはそれを聞いて、「なにやってんだ~、エムさん。もったいないことしたなぁ~」とか、「いやいや、不二家にでもお誘いして、2,3時間お話し相手になればよかったのにぃ~」などと囃し立てていたっけ。 横浜みなと郵便局では、こんなこともあった。 たまたま私があの郵便局に立ち寄ったとき、記載台の隣りにメリーさんがいた。彼女の手元を見ると、宛先の住所を書いているのは、現金書留の封筒だった。 お金をもらうことはあっても、だれかにお金を渡すなんてことはないと思っていた私は、この光景を見てひどく心を動かされた。 どこかに送金しているのだ。誰だろう? そして、その理由は? 田舎に残してきた高齢の父母だったのか…。 それとも……。 さらに、中に入れる金額も気になったが、そこまで覗き見する趣味はない。「彼女も普通に生活しているんだな」と思って、私はその場を立ち去った。 銀座の画廊で出会ったときもビックリしたなぁ~、もう。 私は新橋にある小さな飲み屋へ行く途中、まだ時間が早いからと銀ブラを愉しむことにした。最近なんてまったく足を踏み入れていない街だが、あのときだって数年ぶりだった。まるでオノボリサンのようにキョロキョロしながら歩いていたとき、左側の画廊のドアが開いて、中からメリーさんが出てきたのである! 手には三越の紙袋をぶら下げていた。もちろん顔面も真っ白で、いつものスタイルだ。東京の人たちは彼女のことを知らないだろうから、きっとビックリしたに違いない。 私も驚いたよね。彼女が銀座の画廊で絵画を観賞しているなんて、夢にも思っていなかったからね。 高齢になってからの彼女の姿は、ちょっと身につまされるものがあった。私も歳をとり、自分の行動に自信を持てなくなっていたから……。 あれは彼女が横浜から消える2,3年前だったかなぁ~。 出会った場所はJR根岸線の磯子駅前。橋上駅舎から階段を降りて、公衆便所のあるあたりで、時間は午前1時を過ぎていた。大船方面行きは既に終了していて、午前1時10分頃に磯子止まりが到着すると、ホームや駅舎の灯りが消えるのだ。 こんな場所、こんな時間帯にメリーさんが現れるなんて、どうしたことだろう……。 そう思って彼女に近づいたとき、「あれぇ? ここはどこかしら~?」なんて独り言を言いながらタクシー乗り場の方へ去って行った。 たぶん最終電車で寝過ごしたんだろうね。でも、なんで磯子行きの最終に乗ったのかな? 一駅だけ乗るつもりで座って寝込んでしまったのか? そういう私も関内駅のベンチで長時間眠ってしまい、最終の磯子行きには間に合ったものの、そこから先へは進めず、家まで歩いて帰るつもりだったのだがね。 あのときはメリーさんと同じ境遇だったのだ。 何年か前に解体された海岸通り団地。昭和30年代に登場したモダンな住宅だった。 この写真、どこかで見たと思ったら、2008年に当団地で開催された内覧会で飾られていたあれだ。 森さんは解体される前の建造物だけでなく、その解体現場も撮影しているのがすごい。 これはバンドホテルだろうね。 ここからは展示方法に 野毛の入口だ。キャバレー「ロンドン」には入ったことがないけど、右端の店には強烈な思い出がある。古い話なので、たぶんここに写っている店の何代か前の店だったのだろうがね。 これは村雨橋か。 おなじみの鶴見線「国道駅」。まだまだ健在だ。 大判カメラで白黒フィルムを使って横浜ゆかりの人物の全身像を捉える「わたし」シリーズ。たぶん実物大なんだろうね。すごい映像だ。まるでそこに立ち、なにか語りかけてくるような気がする。もちろん被写体が迫力ある人物だからね。 この人は関内アカデミーや横浜日劇、ジャック&ベティを運営していた映画興行師の福寿さん。最近は神奈川新聞の連載「わが人生」に登場し始めたよね。 彼もエイトセンター(長者町)の常連だった。 平岡正明さん。酒を呑まない人だったが、何回かエイトセンターで同席したことがある。アルコールが入っていないのに、話がおもしろかったなぁ。 ほかに、三代目彫りよしさん、大野一雄さんなども大きな写真で展示されている。 これが彼らを撮影してきたカメラだ! 出口付近では懐かしい風景がカラー写真で掲示されている。 新港ふ頭にあったよね、これ。私も写真を撮ったけど、管理が悪いから何処かへ行っちゃったよ。あ~あ。 森日出夫写真展の前で開催されている「大東北展」が愉しい。写真展を観る時間よりも、こちらを巡回する時間の方が長くなるからね。これから行く方は、時間を充分とることをお勧めします。 山形牛入りのメンチ♪ 丸くて厚みもあって、しかも美味しい♪ イートインはメチャ混みで入れなかった…… 明日は狙い目かもね。台風が来るからお客さんが少ないかも。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
入って突き当りのカーテンの中に赤いコートを着た女性の写真がありました。私の知っているメリーさんはすでによぼよぼの人で、この写真とは似ても似つかないので、「これは五大さんじゃないか」などと、近くの人としゃべっていたら、撮影許可の腕章をつけた男性が、「メリーさんです。」と一言。「雰囲気が違う、、。」「いえメリーさんです。私が撮りました、森と申します。」「失礼しました、、、。」昔は若かったんですね。
浦島太郎伝説で有名な慶運寺の前を歩いていたら、
「神奈川のメリーさん、今日も元気だな」って、
話し声が聞こえてきました。
立ち話している人の視線の先を見ると、
白装束ではなく、ちょっと派手なご婦人の後ろ姿。
何がどうメリーさんなんだろうと思いましたが、
後ろ姿だけでは皆目見当がつきませんでした。
このブログで知っていただきありがとうございます。
私は対談のあった9日も、最終日も行くことができませんでした。
永いこと福富町で呑んだくれていた私は、
メリーさんが老けていくのを見ていました。
自分も老けていったのにね……。
神奈川にもいるんですね、メリーさん。
1区に一人くらいいてもおかしくなさそうです。