中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

小野光景の生家を訪ねて(1)

2018年08月05日 | レトロ探偵団

 5月のことだが、本牧の重鎮や横浜でまちづくりなどを手掛けているプランナーたちと一緒に、小野光景の生家を訪ねるツアーを挙行した。
 いや、「挙行した」なんていうと、まるで私が主宰したように思われてしまうが、実際は本牧の重鎮が所有する別荘を利用して、横浜発展の恩人である小野光景に関する史料を観に行くというものであった。

 ところで、小野光景といっても、「誰だ、それは?」なんて言われてしまいそうだよね。正直いって私自身も15年程前までは、この人の名前すら知らなかった。おそらく当ブログの読者の方々でも、ご存じない人が多いのではないかと思う。

 小野光景とは……

 どんな人なのか、Wikipediaで見ても、これしか書かれていない!

 それによれば、横浜商業高校の前身にあたる横浜商法学校を設立し、横浜正金銀行(東京銀行の前身)頭取、横浜商工会議所会頭などを歴任し、郷里の小野では小野駅の開設や、私財を投じての学校、図書館、病院等の建設に貢献した人である。

 かつて本牧には、彼の別邸もあった。現在、そこには記念碑も建立されているが、これまた知る人は少ないのではないか。
 横浜市民にほとんど知られていないのは、原三溪と違って、この横浜に彼が残したモノや会社などがないからということもあるのではないか。

 そんな小野氏の出身地や資料館を訪ねてみようという企画を立てて出発したのであった。

 冒頭の写真は小野氏の生家に近いところにある「かやぶきの館」(上伊那郡辰野町横川)前。丸ポストが懐かしい……でも、これって観光用のポスト? なんて思っていたら、郵便局のバイクが来て郵便物を取り出していったので、これは現役のポストであることが判明した。


 「かやぶきの館」で注文したのが、これ♪
  山菜入りの蕎麦と炊き込みご飯。

 美味しい♪

 こんな昼食を食べたあと、小野光景の子孫が待つ生家へ向かう。


 歴史を感じさせる街道。


 こんな家屋が並んでいる。


 小野さんちの門。すごい立派だ。この広い邸内に「小野光賢光景記念館」がある。


 四代目の主に招かれて内部に入る仲間たち。


 敷地内には多くの建物がある。そのうちの一つ、光賢庵。


 光賢は光景の父親だ。その案内板。


 江戸時代か明治時代の蔵。


 コチラ側にも。


 庭では何かを栽培していた。


 広い、広~~い敷地の先に、洋館が現れた。
 これが記念館である。

 我々はこの中に潜入するのだが、内部はすごいことになっていた。

(つづく) 
 
 

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4 コメント

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小野さんはどこから? (メタ坊)
2018-08-06 00:25:12
ある有名校の校長をしていた方と、
世間話をしたときに、
出身は「鶴見区」だというので、
小野町の由来を持つ「小野さん」ですかねぇ、
といったら、
祖父だか曽祖父だかが長野県出身で、
同郷で横浜で財をなした人から出資を受け、
鶴見区で銭湯を経営していたと聞きました。
小野町に由来する小野重行と、
小野光景とは関係なさそうですが、
苗字や出身地からいろんな話が膨らむのも面白いですね。
続きが楽しみです。
返信する
小野 (管理人)
2018-08-06 10:09:20
>メタ坊さん
鶴見の小野さんとは関係なさそうですが、
あの方もWikipediaにはあまり記事が書かれていませんね。
町名、駅名にも残っているのに。

返信する
直ぐ側に住んでおります (ご隠居プーさん)
2018-08-06 16:33:06
何時も楽しく拝見しております。
直ぐ側に住んでおります。
態々横浜から有難う御座います。
逆に私は横浜でここも小野さんが関わっていた・・。
と勉強しながら、横浜を歩きます。
横浜商業高校も関係してるもんね。
返信する
Unknown (管理人)
2018-08-07 10:08:57
>ご隠居プーさん
「何時も楽しく拝見しております」とは、ありがたいお言葉です。
すぐ近くにお住まいなんですね。
いいところだと思います。
なんだか懐かしい感じの町でした。
返信する

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