中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

中華街という呼び名

2020年10月16日 | レトロ探偵団

 昭和9年の電話番号簿で記事を書いたら、中華街という呼び名について、いろいろなご意見が投稿された。
 そこでこの町がどう呼ばれてきたのか、改めて新聞記事などを通して確認しておこうと思う。


 私が確認した、戦後はじめての町の様子を伝える新聞記事。昭和20年11月4日の毎日新聞だ。
 ≪白米も登場 飛ぶように売れる支那街≫という見出しを付けている。
 この頃は、おそらく支那街と言っていたのだろう。読み方は「しなまち」なのか「しながい」なのかは分からない。


 そして、昭和20年12月29日の毎日新聞の記事。
 小見出しは「支那街」でも「南京町」でもなく「南京街」となっていて、記者が朝9時半ごろ街を歩いた時の様子を伝えている。
 これも「なんきんまち」なのか「なんきんがい」なのか不明。


 昭和21年10月2日の神奈川新聞。
 ほぼ1年近く経ってから、「中華街」という呼称が登場する。新聞記者がこの名称を使用する前からあったのか、それとも記者がこう書いたから市民に定着していったのか、これまたよく分からない。


 横浜市役所が発行していた月刊「よこはま」昭和23年6月号。ここでも「中華街」と、はっきり書いている。

 こうして見ると、中華街という呼び名は昭和21年から23年の間には、新聞記事や市役所広報的には使われていたのだろうと想像できる。
 しかし、横浜市民の間では戦後も長らく「なんきんまち」と呼ばれてきたに違いない。現に、私が横浜にやってきたころの先輩方の中には「なんきんまち」という方々が多かったからね。

 昭和30年に善隣門ができて「中華街」という名が決まったような記事を見かけるが、庶民の間ではそれからも長いこと昔のままに「なんきんまち」と言ってたのだと思う。


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11 コメント

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Unknown (ぶらくり佐藤)
2020-10-16 06:23:36
自分が横浜の洋光台へ移り住んだのは昭和44年。その頃、母親は「しなまち」と言っていました。
昔の言葉って風情がありますね。
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呼び方 (管理人)
2020-10-16 11:40:20
>ぶらくり佐藤さん
横浜の人は昭和44年頃に「しなまち」と言っていたのですか。
中華街の門ができてから14年経っても……
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酔華さん 呼び名 (イサ)
2020-10-16 16:20:59
へぇ~~~ですね。戦後も支那町とは......
支那町、南京町はもっとも華僑の方々が嫌う蔑称ですよね。支那は日本人か付けた造語?南京は虫?
華僑の幼馴染が絶対に言っては駄目だよと教えてくれました。私の母親は支那とか、南京町と言ってましたけど 汗)
ミドリムシさんの投稿は面白いですね🤣
映像が浮かび出て来ます。
Fuck Youは最高です・・・・・
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酔華さん 呼び名 (イサ)
2020-10-16 16:53:47
それから、支那人も駄目ですよね。
私の母はこの言葉も使ってました。
注意しても聞かなかったですね 汗💦💦💦
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街を一新 (冬桃)
2020-10-16 21:37:50
 以前、中華街の偉い方から
「日活映画がこの街のイメージを悪くした。
高度経済成長期になり、そのイメージを
一新するため、呼称を中華街に統一し、
観光客の来るグルメタウンに変えていった」
 という話を伺ったことがあります。
 その前は、食事に来る客も地元横浜の
人が多かった、と別のハマっ子も言ってました。
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Unknown (とも2)
2020-10-17 04:48:22
元々は南京町も支那町も親しみを込めて付けられたはずですが、日中戦争が全てを逆転させました。
南京町は「小京都」とか「リトル・トーキョー」のノリで、華僑の方が発案したという説もありますし、神戸では今でも中華街より違和感なく南京町と読んでいます。
また、支那町は「China Town」のカタカナ読み、China ⇒ チナ ⇒ シナ という和製英語みたいなモノですからねぇ…

ちなみに、昭和40年前後の中区&西区の年寄りは「なんきんまち」派が主流でした(昔)
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Unknown (ミドリムシ)
2020-10-17 08:10:10
すいかさん…関内のママの所で一杯やり…外は、いいヨウキだし、頭の中もいい陽気…💕酔いざましに、桜木町まで歩きますかねぇ。…おもむろに…『支那の夜』を口ずさんだりして🎵🎵🎵…ちょいっと…路なりに並ぶ屋体に寄って、熱燗🍶と支那ソバをもらう。…しなちく少々と、うずまきのやつ‼… ナルトか?…が、乗っているだけなんだが、これがまた、実に美味いねぇ‼…と、私の父さんは、言っておりました…(笑)。。。
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Unknown (管理人)
2020-10-17 09:50:05
>イサさん
私が社会人として横浜に来た時、
高齢の先輩方はほとんど「なんきんまち」と言っていました。
今思えばあの人たちは戦前派・戦中派だったので仕方なかったのでしょうね。
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中華街 (管理人)
2020-10-17 09:54:25
>冬桃さん
もうずいぶん前のことですが、
映画監督に頼まれて中華街で撮影することになりました。
映画の内容が町の印象を悪くするということで、
撮影を断られたことがあります。
返信する
ネーミング (管理人)
2020-10-17 09:58:40
>とも2さん
神戸は今でも完全に「南京町」ですよね。
おっしゃる通り、China ⇒ チナ ⇒ シナでしょう。

本牧も「リトル・アメリカ」という人たちがいました。



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