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昨年11月に亡くなった中曽根元総理の内閣・自由民主党合同葬儀がわれわれの税金も使って10月17日(土)、品川のグランドプリンスホテル新高輪で行われるそうです。ちなみに、このホテルは私の高校の同窓会や、家族旅行などで利用させてもらったことがあるので、なんだか気分が……。 約1億円も税金を投入するということもあって、SNSでは様々な意見が飛びかっているようです。それらを読んでいて、中曽根氏と原子力、そして役人たちのことを思い出したので、そのことを改めてここに張り付けておきたいと思います。 本当なのかどうかよく分かりませんが、昭和20年、中曽根氏は高松から広島の原爆雲を見て、「これからは原子力の時代だ」と思ったという話を聞いたことがあります。(参考:産経新聞) 昭和32年(1957)、茨城県東海村の日本原子力研究所でアメリカから導入した実験炉が初の臨界に達しました。彼は昭和34年には原子力委員会の委員長に就任。戦後、ずっと日本の原子力政策を進めてきた人です。 そして、平成18年(2006)、「茨城原子力50周年記念式典」で東海村を訪れ、そこで記念講演を行いました。茨城県庁のホームページでは、その時の様子を誇らしげに広報していました。中曽根氏の講演内容も全文が掲載されていたのですが…… それから5年後、東日本大震災による巨大津波が原子力発電所を襲い、大変な放射能漏れを引き起こしました。県庁はその後の県民の反応を考えたのでしょうね、ホームページから見出しだけ残して本文が消されてしまったのです。ただ、かろうじてPDFだけが残っていました。おそらく役人がそこまで気がつかなかったのか、あるいは知っていてそこだけ残したのでしょうかね。 なんだか国の高級官僚が素早く名簿を廃棄した話とかぶさってきます…… 東日本大震災後、茨城県の公式ホームページからは消されてしまいましたが、まだこんなのが残っています。お時間のある方は、いろいろ検索して調べてみたらいかがでしょうか。何が消されたのか、だんだん分かって来るのではないでしょうか。 参考:内閣・自由民主党合同葬儀(内閣府) それにしても、閣議決定を伝える記録文書って…こんなんだったのね。 ![]() |
自民党は、本当に国民政党ではなくなったと言うことでしょう。
自分だけの政党になったのですね。
自民党や中曽根元首相に忖度して、
県の広報から記事を削除してしまった公務員。
モリ・カケ・サクラと同じです。
最近は菅さんの著書も。
テレビ中継は居眠り議員を映し続けてほしいです。
私は眠くなったら目玉を書いた紙をメガネに張り付けて寝ていました。。。