中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

3月10日じゃないけど「三塔の日」イベントが行われました

2016年03月10日 | おいしい横浜

 3月10日は何の日でしょうか。東京都民なら「東京都平和の日」と答えるのかな。1945年3月10日の東京大空襲を忘れないためにこの日が設定されています。
 
 新潟県の方は「佐渡の日」と答えるでしょう。3(さ)10(ど)という語呂合わせで記念日ができたようです。

 茨城県では「水戸の日」。同じく語呂合わせで3(み)10(10)だから。

 そして横浜は3(さん)10(とう)で「三塔の日」。キング(県庁)、クイーン(税関)、ジャック(開港記念会館)という塔のある3つの建築物にちなんだ記念日だそうです。

 ちなみに戦前は、日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利し奉天(現在の瀋陽)を占領したことを記念して「陸軍記念日」となっていました。
 「陸軍記念日」と「東京都平和の日」が同じ日だなんて……

 ま、それはともかく、三塔のある中区では3月10日を「三塔の日」としていますが、今年もその日は平日(木曜)のため、記念日を前倒しして3月6日(日)にイベントが開催されました。
 同時に神奈川県庁、横浜税関も一般公開したのですが、やはりメインイベントが行われたのは開港記念会館です。


 第1部の講演に先立って中区長のあいさつがありました。
 その中で来年(2017年)は開港記念会館が創建100年を迎えることが語られましたが、ほかにも吉田新田完成350周年、馬車道誕生150周年、JR東日本ができて30周年、ホテル・ニューグランド開業90周年、そして中区制90周年と、いろいろな周年事業が行われることが案内されていました。
 区長のあいさつの中には出てきませんでしたが、来年は開港記念会館が関東大震災から改修復興されて90周年でもあるのです。


 さて、第1部は「開港記念会館と横浜の赤レンガ」と題して、都市発展記念館の青木さんの講演です。

 明治7年から39年まで、もともとこの場所には町会所が建っていたのですが、これは類焼により焼失。その後、開港50周年を記念して現在の建物が大正6年に完成しました。
 開港記念会館の名称は、まさにこの「開港50周年を記念する」という意味で名付けられていたのです。

 この時の横浜市長は荒井義太郎。
 彼は明治33年(1900)から大正2年(1910)まで長崎県知事を務めており、その時の部下である長崎県の技師・山田七五郎を開港記念会館建設のために呼び寄せました。
 会館はコンペ形式で募集され、長崎県出身の建築家・福田重義の案が1等に選ばれ、それを基にして山田七五郎が実施設計を行いました。この1等になった設計案は横浜市が権利を持っていたため、こういうことができたそうです。

 講演の前半は開港記念会館が建設されていくお話しで、そのあとは赤レンガの話題に移っていきますが、ここで書くと長くなりますので、それについては後日ということにしておきましょう。


 講堂の緞帳の上部。何が描かれているのでしょうかね。
 両サイドに伸びる紐のようなもの、これは絹糸かなぁ…

 真ん中の船はポーハタン号かもしれませんね。拡大してみます。


 星条旗が見当たりませんね。

 ここに描かれているのは国際信号旗のようです。

 なんか、あれに似てませんか?


 「コクリコ坂から」に出て来た旗。これは航海の安全を祈るという意味でしたが、蒸気船の方は、何だろう……


 これは会館の中にあるポーハタン号を描いたステンドグラス。船尾に星条旗が掲げられています。
 これがまた不思議なんですよね。昭和2年に作られているのですが、戦時中にどうして敵国の国旗がそのまま残されていたのでしょうか。
 会館の本によると、星条旗の上に板を張って隠していたとか。誰かが強い意思を持ってこのステンドグラスを守ったようです。

 まだまだ謎の多い開港記念会館です。


 さて、講演会のあとは第2部でコンサートがありましたが、イベントは講堂だけではなく各部屋でも行われていました。
 こちらはハイカラ写真館。


 大正時代風の貸衣装を着て記念撮影ができます。


 普段は開放していない特別室で撮影♪


 出来上がりはどうでしょうか。
 この日のスタッフが全員、レトロな格好をしていればもっといい感じになったのにね。
 100周年を迎える来年に期待したいものです。


 時計塔に登るという企画は限定300名。あっという間に定員に達してしまいました。


 子供向けの紙芝居。


 大人向けに大正琴なんかの演奏があればいいよね。


 2階の大会議室では横浜開港カフェがオープン♪


 昔の平面図です。現在、2階の大会議室になっている部屋が食堂でした。
 (画像をクリックして拡大できます)


 メニューはこれだけですが…… 
 どっちにするか、もちろん開港レシピのアップルパイでしょう。


 “店内”はこんな感じ。昔の映像とジャズの生演奏付きです。


 なかなか美味しいですね。


 100周年に向けて、すでにこんなお皿が作られていたんだね。
 記念に1枚欲しかったけど、それは無理。代わりにアリアケのハーバーをいただきました。ありがとうございます。


 大正6年、竣工当時の食堂。


 昭和2年に再建したときの食堂。

 会館に食堂があったらいいよね。
 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (いその爺)
2016-03-10 12:36:14
食堂あったら良いですよね!
もちろん夜も営業して欲しいです。アルコールも。。。(^_^;)

そう言えば建物内に厨房施設ってありましたっけ?
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食堂 (冬桃)
2016-03-10 13:01:32
ニューグランドが入ってたんじゃなかったでしたっけ? 
食堂ができて、すべて開港時にできた料理、食材、
調味料でで統一されてるとおもしろいですね。
返信する
Unknown (管理人)
2016-03-11 06:05:42
>いその爺さん
1階に喫茶コーナー(カウンター式)があったので、
簡易なものは残っているのかもしれませんね。
あとは湯沸し場だけ。

返信する
食堂 (管理人)
2016-03-11 06:09:18
>冬桃さん
2階には大食堂の他に小さな食堂が、
地下にも大きな食堂があったといいます。
それらをニューグランドが運営していたようですね。
私としては地下食堂を復元してほしいなぁ…
返信する

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