![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/15/bee444c0863c1bb3b7ff581dfb278e05.jpg)
以前に中華街西門通りのことを書いたら、イサさんからいろいろとコメントをいただいた。昔、この辺にお住まいになっていたということで、どこになにがあったか、詳しく教えてくれただけでなく、中華街や港周辺が写っている映画のシーンまで送ってくれたのである。 映画の題名は『涙を、獅子のたて髪に』。イサさんが送ってくれた映画のシーンを見るにあたって、やはりあらすじを知っておいた方がいいと思うので、先にそれを示しておこうと思う。 この映画、私は観たこともないし、初めて聞く情報だった。その一場面に西門通りのレストラン「ニュー ミナト キッチン」が登場してしている。冒頭の画像がそれだ。 当時の地図上ではキッチンと表示されているが、実際の看板はケッチンと書かれている。レストランの左隣はクラブ「レッドシューズ」。右隣りはバー「プレイボーイ」。 現在、ミナトキッチンの跡は日昇商店という名の八百屋になっている。レッドシューズ跡はジャズバーの「ウインドジャマー」だ。 ![]() これが当時の地図。西門通りにバー街の雰囲気が残っているのは、こういう歴史があったからなのね。このうち「チェッカーズクラブ」と「ストーククラブ」は入ったことがある。どちらもいい店だったよね。 関口豆腐店も十数年前まで残っていたと思う。 いま大きな駐車場になっている場所は、当時、横浜中央病院の附属看護学校だったんだね。この地図を見て初めて知ったよ。 ![]() 「ニュー ミナトキッチン」の窓にはメニューが書かれていた。 ビーフカツレツ・・・・50円 ハンバーグ・・・・・・・・80円 カキフライ・・・・・・・・100円 エビフライ・・・・・・・・300円 ![]() ランチ・・・・・・・・・・・100円 インデアンライス・・80円 エビ炒飯・・・・・・・・130円 送っていただいた写真のなかには、中華街の他に港周辺の景色が映っているのがあった。 ![]() これは水町通り。正面突き当りに見えるのはイギリス領事館だ。現在の横浜市開港資料館である。 右側に駐車しているのは、昔懐かしいオート三輪。カーブするときに曲がり切れずよく転んでいたよね。その三輪車の後ろのビルはシルクセンターか。 左側に写っているビルは、手前が昭和8年に建てられた元インド人クラブで、当時は「ダンハムビル」といったかな。佐野元春のレコードジャケットにも使われているよ。 その右隣、縦長の窓が特徴的な建物は、建築年不詳の元外国商社。昭和30年代には神奈川県職員寮となっていたが、昭和60年代の写真を見ると警友病院みなと寮という看板が出ている。 ![]() シルクセンター。上層階はシルクホテルだった。泊ったことはないけど…。 地下には生糸取引所があったと思うが、記憶が定かではないなぁ。 ![]() そして懐かしい「ホフブロウ」♪ 2、3回入って呑んだことがある。 このような建物たちを地図上で確認してみようか。 ![]() 昭和34年の明細地図である。 青色に塗った建物がダンハムビルで、ピンク色の部分が神奈川県職員寮だ。映画のシーンはこの道路からイギリス領事館方面を眺めている。 緑色に塗った小さな建物が、むかしの「ホフブロウ」だ。そして地図の右サイド上にシルクセンター。 ちなみに神奈川県職員寮の隣に「互楽荘」があった。ここで悲惨な事件が起きているのだが、ここでは書かない。いつか時間ができたら触れてみたいと思っている。 ![]() 昭和50年代の水町通りで輝いていたダンハムビルと神奈川県職員寮(この時は警友病院みなと寮)。 ![]() 平成4年(1992年)には、なんかのお店が入っていたと思う。 ![]() 警友病院みなと寮。こんなところに住んでみたかったなぁ…。 ![]() 昭和50年代のシルクセンター。赤丸で囲んだ小さな建物が「ホフブロウ」だね。 それにしても、この交差点はこんな変則的な構造で車の交差が複雑だった。 ![]() アメリカ領事館。ついこの前まではホテル「モントレ」だったけど、5月末で閉館してしまったよね。 ![]() 山下公園前の歩道。ここでアイスクリームをよく買ったよなぁ…。そういえば公園の中にも売店や食事できる店があったはず。ストックを探してみたけど、その当時の写真がみあたらない。 かわりに、こんなのがあった。 ![]() 昭和59年(1984)頃の山下公園前。臨港鉄道の高架線が懐かしいねぇ。 ![]() 貯木場だ。サブが死体を捨てたのはこの海だったのかな。 映画を撮影した昭和30年代には、ご覧のように材木がぎっしり浮かんでいたのだが… ![]() この写真は昭和55年(1980)の貯木場。ほとんど材木がなくなっている。 ![]() でも、現役らしい水門が2つあった、やがて…… ![]() 貯木場は埋め立てられ、広大な土地が出来上がった。その一画に水門が当時のままの姿で残されている。 ![]() 現在は訪れる人も少ないと思うが、跡地にはこんな風景が広がっている。電柱みたいなものは、かつてここに貯木場というものがあったことを示すモニュメント。 ![]() スポットには「木のみなと」という名前が付けられている。 ![]() 映画には本牧の海も登場していたようだ。 ![]() 昭和34年から始まった根岸湾埋め立て工事のため、しだいに海は失われていき、昭和50年代にはこんな公園が出来上がった。 海を失った市民のために、その見返りとして本牧市民プールが造られたのだが、それも数年前から閉鎖されてしまった。 横浜市はその再整備事業を始めるようだが、入札がうまくいかないようだ。なにか起きているのかな… ![]() 中華街西門通りの記事からここまで来てしまったが、自分自身、この数十年間を思い返すことができてよかったと思っている。 映画のシーンを送ってくださったイサさんに改めて御礼を申し上げます。 ありがとうございました。 そうそう、最後に「ホフブロウ」の食べ物を載せておこうね。水町通りに移ってからのものだけどね。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
お世話になります。
酔華さんの構成力に脱帽です。
唯、映画のスティル写真を送っただけなのに
ワクワクしながら読ませて頂きました。
前に有ったホフブローは風情が有るお店でしたね。
よく朝帰りに寄らせて貰いました。
値段の割にボリュームの有る料理で!
本牧の周りが海だったのは知りませんでした。
年上の方に聞き、よく泳いだそうです。
映画で観てビックリしました。
アメリカ大使館の地図で隣りにゼブラクラブが有ったんですね。
私依り年上の方の夜の遊び場だつたらしいです。
今、思い出したんですけど、側にシーサイドボーリング場やトランポリン場が有りました。
後、レッドシューズの入り口前の女性のオブジェに
ドキドキした想いが有ります。
酔華さん有難う御座いました。
そうそう、ミナトケッチンは朝方迄レッドシューズで踊り明かした若者達の溜まり場だったらしいです。
ナンパに成功した者、失敗した若者達で繁盛してたそうです。
ホフブローもそんな感じでしたね。
バブル期のファミレスの朝方と言う感じですかね。
>ミドリムシさん
本牧にベニス、VFW、ゴールデンカップ(現存)、イタリアンガーデン(IGとして継続)などが流行っていた頃、
若者たちが夜遅く食べに行っていた「ポンコツ」という洋食屋があったそうです。
中華街と本牧。。。そういうところは似ています。
お久しぶりです。
イタリアンガーデンもVFWの隣りのバー名前何でしたかねぇ?ハリーと言うアメリカ人が両方とも経営してました。
リキシャルームも同じ経営?
後、リンディ、アロハで遊んだ後は女の子連れて、
ポンコツでご飯食べて、この後どうするかぁ?
と考えていると夜が開けてました 笑)
VFWの隣は「ベニス」でしたかね。
私はどれも入っていませんけど…
野毛にばかり行っていました。
ベニスは大人っぽくて騒げるお店では無いので、
食事だけと言う感じでした。
そのお店は昼の12時迄開いてました。
開店は深夜0.00でしたけどね。
ママさんが気さくで、お金が余り無い時はごちそうしてくれました。
昭和51年の地図を見たら、
VFWの右隣がベニスで、左隣がアネックスでした。
そして新しい発見。
VFWの向かい側にスナックぽんこつ。
レストランの他にスナックもやっていたんですね。
そうそう、ANNEXでした。看板もカタカナではなくて英字でした。
スナックぽんこつは覚えてません?
道路の向かい側ですか?
今度は本牧の今昔を期待したいですが、酔華さんの趣旨から外れてしまうので!
後、本牧に対しての想いが沢山有る方が多いと思うので、山下町近辺で期待しましょう笑)
昨日ですが、自粛も明けたので、久しぶりにドライブに繰り出し、湯河原の万葉公園にホタルを見に行ったのですが、公園自体が改修工事で入れず、近くの川で
夜の8時30分位迄粘って2~3匹妖しく光を放ってたホタルを見ました。
到着する前に真鶴道路に有る貝汁さんで夕飯を食べたのですが、何時も安定した美味しさで満足でした。
酔華さんも寄った事有りますか?
値段良し、新鮮な魚良し👍ですね。