
若いころは1年に5~6回、自転車によるツーリングに出かけていた。 私が好んだのは主に、丹沢奥地や八ヶ岳などの山岳地帯に入っていくワイルドツーリズムだったのだが、ときどきは「なんちゃら縦断」とか「○○一周」なんていう旅もやっていた。 この古い写真は、糸魚川から浜松までフォッサマグナを駆け抜けたときのもの。 出発して間もなくの地点で、交通止めを食らってしまった。この先で発破作業を行っているため、2時間ほど待機させられたのだ。 ![]() 三州街道(伊那街道、飯田街道とも呼ばれる)の途中、標高が900メートル近くある善知鳥峠(うとうとうげ)。 このバス停も今じゃ大きく様変わりしていることだろうね。 ![]() 駒ヶ根駅の軒先を借りて宿泊。隣の自転車はここで知り合った男のもの。 夜遅くまで自転車のこと、旅のこと、学校のことなど、いろいろ話した。お互いに連絡先を交換し、このあと数年は手紙のやり取りをしていたのだが、いつの間にか音信不通になってしまった。 ![]() 旧道を登って行く。 ![]() 県境に近いところ。 ![]() 長野県から静岡県に入ると、しだいに道路が良くなってきた。 新野峠を越えたあたりかな。 ![]() 5日目。 とうとう太平洋側に到着した。 このあとは浜松でウナギを食べたのだが、当時は食べ物の写真を撮るなんてフィルムがもったいなくて撮っていないのが残念。 でも、あの味覚、柔らかくホッコリした歯触り、そしてタレの香りはしっかりと思い出せる。 完走したあとのうな重、本当に美味しかった。 ![]() |
寝台列車の恋と同じ頃ですか?
サクラフイルムだと思います。
当時フイルムも貴重でしたが、現像代も馬鹿になりませんでしたね。
多分、似たような時期=1982年秋=なのでしょうがこんなにセピア色になっているのですねぇ…
小生、善知鳥峠の側に住んでおります。
今、峠のバス停はありません。
バス路線も廃止されています。
勿論道路は舗装されています。
デジカメなんかなかったしね。
ネガを残しておけば、もう少しは良い色のままだったかも。
あの頃ですかね。
それとももう少しあとかも。
懐かしいなぁ。
そうでしたね。
フィルム代、現像代を考えると、
今のデジカメみたいにバンバン撮れなかったですね。
歩いて横断したんですか!
すごいですね。
次は南アルプスから北アルプスを経由しての横断かな。
善知鳥峠の近くにお住まいですか!
よくこのブログに辿り着いていただけましたね。
ありがとうございます。