中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

ふたつの公園

2015年07月31日 | レトロ探偵団

 もう10年以上ずっと気になっている2つの公園がある。

 横浜公園と山手公園だ。

 どちらにも碑が建っているので、まずはそれらをご紹介しておこう。
 上の写真は横浜公園にある記念碑で、そこにはこんなことが書かれている。


横濱公園は明治九年を以て創設せる我國最古の公園なり
初は神奈川縣の所管なりしか同三十二年來横濱市の管理に歸し同四十二年に至り改造に着手し漸く整美を得たり
斯くて大正十二年九月大震火災の際本市の大半猛火に蔽はるゝや多數の市民は緑陰池邊に避難して危くも九死に一生を得たる
今次復興事業として新公園を起工するに方り裏面鐫刻の有志惣那惟次郎外諸氏は發起して特に樹栽を資け以て美化の一助に供し併せて再生謝恩の意を表せんとするや忽にして曾て避難したる人々の賛同一和を得て計畫の遂行を告けたるは今にして之か美擧たるや論を俟たす
殊に幾百星霜の後其の鬱蒼繁茂の状を観んか必すや回想の念の禁せさるものあるへ志仍て茲に由来を禄して之を他日に傳ふと云爾
昭和四年三月 横濱市長正三位勲二等 有吉忠一


 これを簡潔にすると、
・横浜公園は明治9年に創設したわが国最古の公園である。
・最初は神奈川県の所管であったが、明治32年に横浜市の管理となる。
・関東大震災では多くの市民がここに逃げて助かった。
・碑の裏面に掘られた人たちが震災復興として公園を新しくした。
・昭和4年3月 横浜市長 有吉忠一

 これを公園の由来碑として紹介している人もいるようだが、読んで分かるように「我国最古の公園」という言葉を枕にした、震災復興の記念碑なのだ。

 ま、それでも横浜市長が「我国最古の公園」と言っているのだから、そうなのだろうね。

 昭和4年に建立された碑は数年前から文字が薄れてきていたのだが、最近、リニューアルしたらしく、はっきりと碑文が読めるようになった。


 碑の裏面。
 発起人の氏名が並んでいる。


 さらに公園の一画には、こんな解説板も建っている。
 それによると…

 横浜公園誕生のきっかけは、1866年に横浜を襲った大火であった。
 開港場の3分の1を焼失した火災を受けて、幕府と諸外国との間で「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」が結ばれ、遊郭の跡地に外国人と日本人の双方が利用できる「公けの遊園」を設置することがきめられた。
 外国人と日本人が利用できることから「彼我公園」と呼ばれるようになった。


 当初はこんな形をしていた。
 中央の芝生地でクリケットをやっていたようだ。

 ちなみに、地図をよく見ると町名が花園町となっている。
 この公園は花園とも呼ばれていたからだ。


 一方、こちらは山手公園の記念碑。
 なんだか薄汚れているけど……・


 YAMATE PARK 120th ANNIVERSARY と書かれている。
 これも公園発祥の記念碑ではなく、公園創設120周年を記念して建てたようだ。


 下の方に解説がある。
 
山手公園は我が国初の洋式公園として明治3年(1870年)5月6目に開設されました。
ここに120周年を記念いたします。
平成2年6月 横浜市長 高秀秀信


 120周年の記念碑なのであるが、本文の中でさりげなく明治3年の開設であることを謳っている。
 そこに「我が国初の洋式公園」と書かれている。「我が国初の公園」でないことに注目 


 碑の裏面に書かれた「横浜の公園発達史」。


 これによると、
 山手公園 1870(明治3年)
 横浜公園 1876(明治9年)

 ということになっている。

 くどいようだが、横浜公園の碑には「我が国最古の公園」と書かれているのに対し、山手公園の碑には微妙な表現であるが「我が国初の洋式公園」と彫られている。


 これは碑の横に建つ教育委員会設置の解説板だ。
 そこに、こう書いてある。

横浜市地域史跡

日本最初の洋式公園〈山手公園〉
登録年月日 平成8年11月5日
所在地 中区山手町230番地
所有者 横浜市
登録区域 中区山手町230番地の一部

 横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応3年(1866)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。
 しかし、この中の公園計画は具現化しないで終わりました。

 明治2年(1869)には居留民代表から改めて要求が出されたのに対して、日本政府は山手妙香寺付近の土地約6000坪を、慶応約書で約束した土地の代替地として貸与しました。

 公園の造成は居留民が行い、明治3年5月6日(1870年6月4日)に開園したのが山手公園です。
 明治11年(1878〉からは、居留外国人女性で組織される横浜レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠(ろうきゅう)社)が管理することとなり、クラブハウスとコートがここに設けられました。

 横浜市教育委員会



 以上が、2つの公園に設置されてる記念碑や案内板であるが、はたしてどちらが公園発祥地になるのか。
 私はこの10数年、ずっとこれが気になっているのだ。
 そこで何をもって公園というのか調べてみた。

 公式な公園とは、明治6年(1873)に出された太政官布告によるそうだ。
 突然、お上が「公園」という言葉を持ち出してきたのだが、一般にはなじみがなく、とりあえず浅草・浅草寺の境内、上野・寛永寺の境内、京都・八坂神社と清水寺の境内などを公園とみなしていたようだ。

 そこはもともと人々が集まる場所だったから公園扱いにするには良かったのだろう。でも、庶民は公園とは呼ばず遊園とか花園と呼んでいたらしい。

 東京における本格的な、いわゆる公園というものが設置されたのは、明治36年(1903)に開園した日比谷公園である。

 横浜には太政官布告による公園はなかったが、東京よりも早くから西欧思想に基づいて計画された公園があった。それが横浜公園と山手公園だ。
 
 公園というのはその文字のとおり、「公に開かれた、だれでも使える場所」でなければならない。

 そうすると当時の山手公園は「公園」といえるのかどうか。
 外国人が利用するために、外国人が造ったもので、日本人は利用できなかった。
 全然、「公」ではなかったわけだ。

 なので「山手公園」を我が国公園発祥の地とするのには、ちょっと疑問を感じてしまうのは私だけではないはず。
 都市計画プランナーだった田村明さん(1926年7月25日 - 2010年1月25日)も、『市史研究よこはま』13号(2001年)の中ではっきりと「山手公園は公園ではなかった」というようなことを書いておられた。

 さらに疑問に思うことは、記念碑の設置時期である。
 横浜公園のは震災復興記念碑として昭和4年に建立されているのに対し、山手公園のは120周年記念碑として、なぜか平成2年になってから建てられている。

 「我が国初の洋式公園」であるならば、もっと早く、たとえば50周年や100周年のときに設置していても良さそうなのに…
 
 結局、本当のところはよく分からない。
 だからこのあともずっと疑問に思い続けるのだろうね。

 ま、それにしても山手公園っていうのは、あまり市民に知られていないよね。

 かつて、横浜市が発行していた「公園のあゆみ」というパンフレットがあって、各公園ごとにカラー写真入りで立派なものがあったのだけど、その中にはなぜか、山手公園が無かった。
 また、山手西洋館めぐりというコンパクトな地図があるのだが、山手本通りがコースになっていて山手公園は除外されていた。山手教会のすぐ裏なのにね。

 こういう印刷物を作る側の人たちにとっても、あまり存在感がなかったのだろうか…

 最近はチャンと仲間に入れてもらっているようだがね。


 これは山手西洋館のマップと案内。あちこちで貰える資料である。

 これを眺めていて、「ん?」と思った。
 地図上には山手公園も68番館もテニス発祥記念館も描かれているし、散策コースを示す赤い破線も入っているのだが…


 解説部分にはどれも入っていない…涙
 山手公園の説明文が書かれていない。地図上では散策コースに組み込まれているのに。

 なぜだろうか?
 どうも山手公園の存在感が薄いんだよね…
 


 さて、そんな話はこれでおしまいにして、ここから先は公園内のご案内をしようか。


 山手公園といえばヒマラヤスギとテニス。

 とくにテニスは日本庭球発祥の地でもある。


 公園管理事務所&クラブハウス。


 もともとは68番館だ。それを移築している。


 山手公園のテニスコート開設についての案内掲示。
 なんだか紙一枚に書かれているけど、ちゃんとしたプレートとかにしないのかなぁ。


 洋風のあずまや。
 私が写真を撮る直前まで、ここでチェロの練習をしている男性がいた。
 楽器を演奏するにはいい場所だね。


 山手公園野外音楽堂の第10連隊第1大隊軍楽隊 開港資料館蔵

 当時のあずまやを模して、今のものが造られていることが分かる。


 そしてテニス発祥記念館。

 閑古鳥が鳴いているけど、内部は結構面白いよ。

 こんな公園だけど、散策のあとは例の「Tea Room 閑古鳥」に寄りたいものだね。
 

 ≪参考≫
 有隣堂の『有鄰』438号に「横浜・山手公園を語る」と題して座談会が掲載されているので、ご興味のある方はこちらからどうぞ
 

 

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