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横浜市中央図書館には戦前の電話帳があり、昔の町の様子を知る手掛かりとなるので、私はときどきそれを利用させてもらっている。 今日は、そのなかから広告をご紹介したいと思う。 冒頭の画像は中華料理「永楽軒」のもの。住所は南京街通りとしか記載されていない。ここで本編を撮影するべきだったのだが、うっかり忘れてしまった。メモもないし、どこにあったのかは不明。また後日、図書館に行った際に確認してこようと思う。 ところで、横浜中華街でこの「軒」と名の付く中華料理店は、現在それほど多くはない。先ごろ閉店した「福養軒」が最後だったのかもしれない。(今すぐに思い出せる店名が出てこないから……) ![]() 「安楽園」。店内の様子が掲載されている。部屋の広さのわりにテーブルが小さい……。食事は別テーブルだったのかなぁ。 ![]() 「聘珍楼」。こんな素敵な建物だったのね。 ここで気になったのが「シウマイ」という表示。「シューマイ」でも「焼売」でもない、「シ・ウ・マ・イ」。 やっぱりシウマイが正統派なんだ。 ![]() |
子供の頃近所の中国人のおじさんに朝、お粥やサンマー麺等食べに連れてって貰いました。
店内は木造建築で、床も板張りです。
お客さんが歩くとドタバタと賑やかな音がし、近所の華僑の方の社交場と言う感じの
お店でした。
まだ、入り口のお店の壁に武将の壁画が無かった
頃だと思います。この建物だと思うのですが、
勘違いかなあ?
華僑の方は大体朝9時から10時頃から朝ごはんで
近所のお粥屋さん等で食べますよ。
私の記憶では、聘珍さんとか、安記、金陵さん等朝早くから営業して、華僑の方達の情報交換の場所と化します。
特別な町でした。
他の町の人は南京町は危ない所と思い、
地下道が張り巡り、麻薬の売買が横行してる町と
誤解されてる方が沢山居ました。
私が住んでると言うと、ビックリされましたね。
外から外れた特別区でした。
友達が私の家に泊まりに来ると必ず言われます。
お前の住んでる処日本じゃないねと 笑)
だから、日本人みたいに何時に朝ご飯とか
決まって無かったですよ。
大体、お母さんとか、奥さんは家事はしません。
家事は男の仕事です。
後、華僑の方は喫茶店のモーニングが好きです。
喫茶店も昔は沢山有りました。
失礼しました。謝)
〇〇軒という屋号は崎陽軒然り昔の日本人の町中華店に多かったように思います。
中華街は樓や飯店と酒家が多いですよね。
イタリア料理店のリストランテ、トラットリア、オステリアなどに当たる用途や規模を示しているのでしょうか。
今回の記事を拝読し、これまた多い安記、徳記、杜記、謝甜記の記の意味合いが気になってきました。
其れ迄は中華街に住んでる私の母親も南京町と言ってました。地元の不良系の方々はチャン町、チャン街と
呼び、大手を振って町を闊歩してました。今、その方々も70過ぎですね!話しが脱線してしまいました 汗)
(正門)加賀町警察署の処です。門は1つだけでした。
昔聞いた話しですけど、戦前華僑の方達を監視しやすい様に警察署が出来たと言ってました。
中華街の通りを石川町駅方面に真っ直ぐ出ても警察署にぶつかる、
山下公園側も交番にぶつかる。
真偽は解りませんが?
後、戦争を経験した方は支?町と呼んでいたのを覚えてます。脱線しまくりで、申し訳有りませんでした。