いその爺さんから長いことお借りしていた本をやっと読み終え、先日、やっとお返しすることができました。 冒頭の写真がそれ。 『支那料理』。 著者は東京割烹女学校校長の秋穂敬子さんで、昭和10年に発行されています。 目次に「涼拌」というジャンルがあります。そこに並ぶ料理の日本語表記はすべて「***酢の物」。 中華スープも日本語では「吸い物」とか「すまし汁」になっています。 割烹女学校の先生が書いているから、こういう訳になるのでしょうかね。 ところで、この「東京割烹女学校」、「秋穂敬子」で検索をしたら、いろいろなことが見えてきました。 秋穂敬子の他に、一族らしい2人の男性の名前が一緒に登場します。 一人は秋穂益実。 大正4年に『家庭和洋保健食料 三食献立及料理法』という本を出していますので、おそらく秋穂敬子の関係者なのでしょうね。 その本の紹介文に、こんなことが書かれています。 私立東京割烹女学校を設立した秋穂益実が出版した料理書。カレーやフライなど西洋料理が紹介され、ご飯を中心にした献立に取り入れようと工夫しているのが特徴 どんな本なのか読んでみたくなりませんか? 横浜市の中央図書館に蔵書があるかと思い調べてみたら、残念ながらありませんでした。 しかし、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧できます。暑い日に野毛坂を登ることなく、自宅でゆっくり読めるので、こっちの方が楽かも。 『家庭和洋保健食料 三食献立及料理法』 この秋穂益実という人の経歴ですが、調べてみると… 明治31年 帝国海軍士官室割烹係 明治37年 一般向け和洋割烹講習会開催 明治39年 陸軍経理学校嘱託教授 明治40年 東京割烹女学校設立 ということなので、秋穂益実という人は秋穂啓子の父親なのではないでしょうか。 もう一人は秋穂英男。 敬子と共著で本を書いていますので、旦那さんでしょうかね。 さて、そんな秋穂敬子ですが、久しぶりに『復録版 昭和大雑誌 戦中編』を読み直していたら、ここにも登場していました。 以前読んだときは内容だけしか頭に入っていなかったんですね、原稿を書いた人の名前に気がついていなかったのです。 『日の出』(昭和16年7月号)に載った記事です。 今でも通用するご飯の作り方だと思います。 っていうか、私ははよく大根飯を炊いていますので… 発行が昭和16年ですから、まだそんなに欠乏感はないのかな。 砂糖の代わり。 干した柿の皮を煎じて、その汁を砂糖の代用品にするんだそうです。 ほかに野菜屑の利用法。 ニンジンの皮なんて捨てちゃもったいないですよ。 いちばん栄養がある所だそうですから、私はキンピラにしちゃっています。 大根の皮も同様。 ということで、お借りした一冊の本からいろいろなことが分かってきました。 いその爺さん、どうもありがとうございました。 その本をお返しするため落ち合ったお店。 屏風ヶ浦にある「あいぐん」。 中華街関帝廟通りの「愛群」と関係あるのかな… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
本 お役にたてた様で良かったです。
他の中華料理本 数冊当たりましたが弁の字を持つ料理は出て来ませんでした。
謎は深まりますね。
あいぐんバイトの娘さん可愛いかったでしょ?(笑
あいぐん… 女子バイトの日に当たらないのですよ…
もとは弁麺の調査だったのですよね。
あちこと興味が広がってしまってすみません。
弁・・・気に留めておかないと。
バイトのオネエサンもですけど、
お店のルーツに惹かれます。
それと屏風ヶ浦駅周辺にも。