この新聞記事も別件で調査していた時に見かけてコピーしておいたもの。こういう見出しに、ついつい反応してしまうんだよね。 「花(華だと思うが)やかに見えても生活難」 「キャバレー内幕のぞき」 キャバレーやクラブでの踊り子さんたちが、ただ踊っていただけでは食べていけない、生活苦をどうしのいでいるのか、記者が調査して報告している。 まず、“キャバレーの巻”によると…… 横浜には7つのキャバレーがあり、そこでバンドが演奏しダンサーと客が踊っていた。その7つの店名とダンサー数は、 ①グランドチェリー 313名 ②オリンピック 222名 ③ニューヨーカー 116名 ④サクラポート 104名 ⑤ハッピーグランド 45名 ⑥一力 32名 ⑦トラカデエロー 15名 これらは何処にあったのか? ①の「グランドチェリー」は現在、横浜創造都市センターとして使われている建物で、昔は第一銀行横浜支店(のちの横浜銀行本店別館)だった。当時の場所はもう少し県庁寄り、馬車道と本町通りが交差するところに建っていた。 それが2002年だったか、北仲地区の開発のためバルコニー部分が現在地に移設されたのだ。ジャッキアップして移動するのを興味本位で見に行ったのを覚えている。 その横浜創造都市センターではさまざまなイベントをやっているようなので、いつか戦後を振り返るものとして「一日キャバレー」でも企画してくれないかなぁ……。 ②の「オリンピック」の場所を知っている市民は多いのではないかと思う。吉田橋と尾上町交差点の間にあった。私が記憶しているのはキャバレーではなく、ビルの名前としてだ。その屋上から伊勢佐木町方面を眺めた写真が、これ♪ ③の「ニューヨーカー」は何処に? 調べてみたら、中華街西門、港高校の近くにあったという。横浜開港150周年を記念して立ち上げられた「みんなでつくる横濱写真アルバム」の中で、福井一雄さんが書いておられた。 ④の「サクラポート」は当ブログでも二度ほど取り上げた。なかなか具体的な場所の見当がつかなかったのだが、アサキチさんとAnneさんのコメントから、紅葉坂を登ってすぐ右側の花咲団地のあったところだということが分かった。 ⑤の「ハッピーグランド」。これは分からない。初めて聞く名前だ。 ⑥の「一力」。なぜか漢字表記だ。 かつて桜木町駅と郵便局の間に居酒屋「一力」があったけど、それと関係があるのか、ないのかは不明。 ⑦の「トラカデエロー」はまったく分からない。おそらく関内周辺にあったんだろうね。 この7軒で合計847名のダンサーがいた。そのなかで稼ぎ頭は、1枚3円のチケットを1か月で8,000枚もこなしているという。B、Cクラスになるとその半分以下である。しかし、全額がダンサーの懐に入るわけではなく、経営者と折半だったから生活は苦しかったようだ。そのため仲間内で客をとった、取っていないといういざこざが絶えなかった。記事は「肉体の切り売りをせねば生活できない」と結んでいる。 次に“邦人ホールの巻”に書かれていることを抜き出すと…… 「新世界」と「クリフサイド」が両横綱だったそうだ。ダンサーたちが働くのは、土曜・日曜で、平日はほとんど客が来ない。そのため昼間は会社勤め、あるいはパイラーに利用されながら夜の稼ぎを得ている。 この頃になると、会社の同僚同士、学生カップルなどの同伴利用が増えて、ダンサーの収入は減ってきているようだ。 最後に“曲者ホールの巻”。 この名称は倶楽部、ホール、教習所、研究所などいろいろあるが、横浜の公認が30数軒、モグリがその倍くらいという。その中に「りべらる調」の店が登場していると書かれているが、さて、この「りべらる」とは何か。 政治的な保守に対するリベラル、そんな意味で使っているわけではない。戦後間もなくの広告を眺めていると「リベラルショウ」なんていうのが出てくる。いわゆるストリップのことだが、踊り子さんが額縁の中で動かずジッとしている「額縁ショー」から発展したものだと思う。 ということで、本来の調査目的の記事にたどり着く前に、こんな無駄な時間を費やしてしまった……。 最後に、旧横浜銀行本店別館の写真を載せておこうと思う。 馬車道と本町通りの四つ角には、邪魔な歩道橋があった。 この左側ビルの上には、革マルだったか中核派だったかの拠点があって、夜遅く歩道橋を歩くとサーチライトを浴びせられたものだ。 歩道橋からはバルコニーがよく見えた。 やがて、一方向が切り落とされた。 そして建物をジャッキアップして移動。すごい工事だった。 移転前に内部の見学会があった。いい階段だよね。 初めてバルコニーに立った♪ 別館内部。こんな柱が立っていたのだ。 トイレ♪ なんだか長居したくなるよね ドアの上にあったメダリオン。 金庫のダイアル。 宿直室だったのかな。洗い出しの黒石が懐かしい。 移転されて横浜市の歴史的建造物のプレートが嵌められた。 ステイホームで時間のある方は、今回の新聞記事を拡大してお読みください。端の方の記事は途中で切れていますが、なかなか面白いですよ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
stars & strivesの新聞配達してた頃ベースの子にハンドルがチョッパータイプの自転車を借りてAREA2を走り回ってました。シーサイドクラブも懐かしい.
バンドで演奏してました。本牧、新山下だと近くて直ぐに行けるので、助かりましたが、御殿場、横田、立川だとオンボロのハイエースで楽器を積んで行くので大変でした。
平和球場も懐かしいです。中学生の頃少年野球で優勝しましたよ。
今の藤木企業の社長、副社長もメーバーでしたよ。
酔華さん、自分の思い出話しばかりですみません。
まざまざと思い浮かぶものばかり。
大邸宅に巣くう雨降り窃盗団がおもしろい。
「闇の女」もいるし、二階の押し入れを
ぶちぬいて逃げ道まで造ってる!
「みんなで作る横濱アルバム」、なかなか懐かしいですよね。
御殿場、横田、立川へも演奏しに行っていたというのは、
うらやましい話です。
本来探していたのは、映画館情報だったのですが、
ついつい、こんな記事に目が行ってしまい、
さらに、その隣も読みだしたら、
もう、時間がいくらあっても足りません。
二階の押し入れをぶち抜いて造った逃げ道…
ゴールデン街でもこんな話を聞きました。
写真も記事もたいしたことないけれど、
長く続けているだけです。
のんびりやっていきます。