冒頭の画像は、美空ひばりが主演した「悲しき口笛」の中のワンシーン。彼女が千代崎川(横浜市中区)河口に架かる東泉橋の欄干を歩いている。その背景に写っているのが、当時、中区小港町にあった米軍のボイラーハウスである。 映画が公開されたのは昭和24年(1949)10月なので、撮影していたのは昭和23年から24年にかけてだろうか。アメリカ軍が本牧を接収してからそれほど年月が経っていない頃だ。 それから30年くらい経った頃に撮影した現場。2本の煙突をつなぐ鉄骨のようなものはなくなっている。改修したのだろうかね。 煙突の下部。 千代崎川に架かっている橋は管理用のものだろうか。 車道側から見たボイラーハウス。 敷地内にあった駐車場。すでに使用できなくなっていた。 エリアⅠから見た小港町方面(昭和50年代)。写真中央にボイラーハウスが写っている。 右端に見えている一本の煙突。これは小港団地の近くにあった米軍施設のもの。 その左側、遥か彼方に見えている塔はマリンタワーだ。 昭和53年撮影の米軍海浜住宅跡地。中央の小高い丘が本牧十二天。その向こうに見える一本の煙突は、中部下水処理場のものかな。 本牧十二天の横に写っている高層住宅はマリンハイツだ。 マリンハイツから撮影した昭和59年頃の本牧十二天。 小港団地の先にあった米軍施設の煙突。 米軍撮影の航空写真(昭和24年USA-R582-22 2)。赤で囲った部分がボイラーハウスだ。 なんとなく煙突や建物の影が映っているように見える。 ←クリックして拡大できます。 横浜市が公開している「昭和30年代の地形図」。赤丸が米軍のボイラーハウスで、煙突の地図記号が描かれている。 青丸部分が中部下水浄化場(この時代はまだ処理場といっていなかったのか)。ここにも煙突マークがある。 同じく「昭和30年代の地形図」。こちらは米軍施設の敷地内に煙突マークが描かれている。焼却炉かな。 以上、「悲しき口笛」を見ていて思い出した写真を並べてみた。米軍の航空写真や横浜市の「三千分一地形図」を眺めて、いろいろなことが分かってきた。 それにしても、今年最初の中華街訪問はいつになるのかなぁ…… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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