図書館で古い新聞をめくって調べものをしているとき、探している記事ではないのに何故か目に飛び込んできて惹きつけられてしまう見出しがよくある。 これはそんなモノのひとつで、思わずその場で読み続けてしまった。 昭和21年7月25日付けの神奈川新聞である。 闇の女を戦慄せしめた毒婦 “ふうてんお時”逮捕 男装で腕にはいれずみ 「横浜市の目抜き伊勢佐木町から南京街を股にかけて、闇の女たちの上にまるで女王のように臨んで、彼女らをふるえあがらせた、奇怪な毒婦“ふうてんお時”はついにこの程加賀署に検挙された」 当時はパンパンガールが大勢いて、市民からは冷たい目で見られていた。しかし、彼女らが転落して身を売らなければならなくなったのは、生きるための糧を稼ぐためだった。 ところが、彼女たちが身を売って稼いだ金を恐喝し、パンパンガールを震え上がらせていたのが“ふうてんお時”である。断髪に黒限鏡、紺襟のYシヤツの袖をまくりあげて男装、ふっくらとした左の腕には『ジヤズのお勝二代目風顛お時』と刺青を彫っていた。 ふうてんお時は小学校を出たあと理髪店に養女として入籍し、のちに結婚したが夫は召集され行方不明に。やけになった彼女は悪の道に入り、横浜の毒婦・ジャズのお勝に憧れ、二代目を継いだという。 このあと記事にはいろいろ書かれているが、ここではいちいち紹介できない。拡大できる画像を貼りつけておくので、時間のある方はそちらをお読みください。 その記事の下にも、もうひとつ “ジャズのお勝” なぐり込み寸前に捕まる という見出しをつけて女親分が逮捕されたということが報道されている。 ジヤズのお勝は当時38歳。栄養不足の時代だというのに、22~23貫もあろうかという体格だった。紺の襟のワイシャツを腕まくりして双腕に桜花の刺青をして、赤革の短靴をつっかけてのし歩く時はどんなヨタもんでもよけて通ったという。(以下略) 彼女についても下の画像を拡大してお読みください。 クリックすると拡大できます。 ふうてんお時とジャズのお勝については、「どういう女性だったんだろうか」と長いことその素性が分からなかったのだが、今回、別件を調査している際にたまたまこんな記事が目にとまり、彼女たちについて少しだけ分かってきた。 目的の探し物は得られなかったが、それ以上に貴重な記事にたどり着いてよかったと思う。 昭和20年から21年の新聞記事を全部読むなんてことはできないので、またいつかこんな偶然の発見を期待したいものである。 最後に、彼女たちが闊歩していたであろう野毛の情報をひとつ。 そして移転先の左には、新しい部門もできるようだ。 なんと、立ち呑みだぁ! 「かぐら」も立ち呑みをやるようになったか。 野毛で野毛(のげでのもう)なんてコピーが流行っているらしいので、近いうちに野毛かな。 そして「かぐら」があったところには蕎麦屋が入っている。 こちらは閉店してしまったらしい。 立ち呑み「石松」とトイレの間を往復するたびに眺めていたが、結局、一度も入らずじまいだった。 なんだか、ゴールデンセンターも店が減っていくなぁ… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
最後に向いの中華 横浜飯店に入った時、店内にいらっしゃったのです。
ラーメンの方は、すっと以前に冷やし中華を食べたっけなぁ。
地下に昔からある飲食店が減っていきますねぇ。
揚子江なんて中華料理屋がありました。
八事という名古屋の店も。
残念です…