毎年、開港記念日を迎えると、まもなく私たちの結婚記念日がやってくる。 この日をどこで、どう過ごすか、いつも選択に迷うのだが、今年は開国博覧会にちなみ、関内にあるイタリアンレストラン「オリヂナルジョーズ」に向かった。 ここは1953年の開業というから、今年で56年になる横浜で最も古いイタリア料理店である。 入り口には重苦しい扉が構えていて、一見入りにくい雰囲気が漂っているのだが、店内に一歩足を踏み入れると、そこには昔懐かしいレトロな世界が広がっていた。 赤い革張りで背もたれの高いイス、赤白のチェック柄のテーブルクロス、ローソクの明かり、壁に掛けられた暗い絵画、すべてが昔のままだった。 ▲定番の薄焼きピッツァ。相変わらず美味しい! エディ藩や石黒ケイが歌ってヒットした歌に『横浜ホンキートンク・ブルース』というのがある。エディ藩が作曲し、藤竜也が作詞した名曲で、今でも歌い継がれているからご存知の方も多いだろう。 その曲の中に、「オリヂナルジョーズ」が出てくる。 ♪ひとり飲む酒 悲しくて 映るグラスはブルースの色 例えばブルースなんて聞きたい夜は横浜ホンキートンク・ブルース ヘミングウェイなんかにかぶれちゃってさ フローズンダイキリなんかで酔いしれてた あんた知らない そんな女 横浜ホンキートンク・ブルース 飯を食うなら「オリヂナルジョーズ」なんて聞いたふうな事をぬかしてた アマ色の髪のサラって女さ あの子横浜ホンキートンク・WOMAN あなたの影を捜し求めて ひとり彷徨ったこの街角 本牧あたりの昔の話さ 横浜ホンキートンク・ブルース …♪ 最近は、中村裕介もこの曲を歌っているようだが、私が好きなのは、やはり石黒ケイの歌だった。今頃、どうしているんだろう…。 ▲コースにセットされているパスタ。撮影しようと思っていたら、早くも食べられていた。 「オリヂナルジョーズ」でメシを食うなんて言ったら、たしかに「聞いたふうなことをぬかしてんじゃないよ」と言われそうな大人の雰囲気の店だが、自分の若い頃は、仲間内でよく飲みに行っていた。 ここで初めて呑んだ酒に「キャンパリソーダ」というのがあった。キャンパリをソーダで割るカクテルだ。ひとくち口に含むと一瞬甘い味わいが進入してくるのだが、すぐさま口中奥深くに苦味が広がってくる。あるいは、その逆で、ほろ苦さの後ろに甘さが控えていると表現した仲間もいた。 当時、このキャンパリを輸入していた代理店の広告に、『処女の味 キャンパリ』なんていうコピーがあったと記憶している。おそらく、この甘くてほろ苦い味をもって、このように表現したのであろうが、私にとっては、『青春の味』そのものであった。 ▲和牛ヒレ肉のステーキ。 「オリヂナルジョーズ」。今は夜だけの営業になってしまったが(土日は別)、以前はランチをやっていた。これがなかなかの人気で、少し出遅れたら2順目まで待たなければ入れなかったというのが、どこか「サクライ」と似ていた。 当時はデジカメなどあろうはずもなく、料理の写真が残っていないのが残念。 ▲食後のアイスクリーム。 久しぶりに訪れた「オリヂナルジョーズ」。 嗚呼… なんだか、青春時代を思い出してしまった。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
まさに食に歴史ありですね。
その歴史は個人史でもあると思います。
オリヂナルジョーズは1度行ったことがあります。
重厚感と料理のギャップ?が凄かった記憶が。
今としてはノルタルジアたっぷりなのでしょうが、
開店当初は本当に最先端だったのでしょうね。
ジューンブライドってヤツですねぇ(祝)
ワシらはその1週間前くらいで…というのはさておき、この記事をみたら久しぶりに行ってみたくなりましたよ、我妻を誘ってオリジナルジョーズに…と思ったら我妻と一緒に行ったことはないなぁ!
ランチメインで、夜は飲んだ後に ピザだけ食べに行くような嫌な客でしたが・・・^^;
たしかに、食に歴史ありです。
とくに私の場合、その歴史はそのまま自分史でもあります。
オープン当初の頃のことは分りませんが、
戦後8年目という時代ですから、
かなり先端を行っていたのでしょう。
貴殿も懐かしく思う店なのですね。
どなたとご一緒に行かれたのでしょうかね。
今度は奥方とどうぞ。
やはりランチが懐かしいでしょ。
再開してくれないかなぁ。
このわたくしめも若い時、お姉さま方に連れられ初オリヂナルジョーズ行ったのは昨日のことのように思い出されますなあ。
ほうれん草のガーリック炒めが強烈においしかった。
オリヂナルジョーズはもう何年も行っていません。
叔父が好きでよくピザをお土産に持ってきてくれました。
今ほどピザが身近ではなかったのでそれはもう嬉しかったのを覚えてます。
少し大きくなってからその叔父によく連れて行ってもらいました。
こちらを読みましたら久しぶり行ってみたくなりました。
曙町育ちさんも、ここが懐かしいでしょ。
ほうれん草のガーリック炒めは食べていませんので、次回はこれを食してみますか。
いい叔父さんでしたね。
ピザがお土産なんて、やっぱり横浜らしいや。