
久しぶりに中区不老町を通過した際に見た光景。ここにあったはずの建物が消えて、周囲は工事用のフェンスで囲まれていた。以前は、どこか昭和の民家を感じさせる雰囲気の会社が建っていたのだ。![]() この画像は2018年のグーグル・ストリートビュー♪ 2階には雨戸と戸袋♬ 1階の壁際には植え込みも(^^♪ 角は会社の玄関ぽい感じで、奥には倉庫があった。 ![]() 出入りの業者が荷物を持ってきたところか、あるいは運び出すところか、たまたまグーグルのストリートビューに写っていた。 ![]() ここは後藤製函株式会社。ホームページを見ると昭和24年に南区榎町にて創業とあり、昭和32年に中区不老町に本社を開設している。 昭和30年代から40年代にかけて、不老町、寿町、松影町には、横浜港からの輸出を支える会社がたくさんあった。職業安定所が桜木町から寿町に移転してきたことにより、この一帯は簡易宿泊所街になっていったのだが、それまでは段ボール箱や木箱をつくる会社が目立つ町だったのである。 後藤製函(株)は、もしかしたらこの地区に最後まで残っていた会社なのかもしれない。 ![]() 昭和37年の明細地図。寿町と松影町の一部しか表示していないが、木箱、紙工、印刷などは全部とは言わないけれど、多くが輸出品の梱包に関連していたのではなかろうか。 ついでに言うと、赤く塗った建物が簡易宿泊所である。ピンク色部分は会社関係。白い部分は空き地だ。 昭和30年代、血液銀行もあったことが、この地図から分かった。 さて、昔のことを思い出しながら歩いて行き寿地区に入ると、後ろから中年の男に声をかけられた。 「それ、ギター?」 この日は近くで楽団の練習をした帰りだったので、私はギターを背負っていたのだ。以前、日ノ出川公園テニスコートの近くで、「それはテニスラケットか~? でかいねぇ」なんて婆さんに声をかけられたことがあったが、今回の男性はちゃんとギターであることを分かっていて訊ねてきたようだ。 「そうだよ、ギター」 「なに弾いてるの? サンバ? ジャズ?」 「いや、演歌だけど」 「自分のお父さん、弾いてたよ、ペルーで」 どうも発音からして外国人ではないかと感じていたのだが、ペルー人だった。缶チューハイを呑みながら私のあとをついてくる。 「呑む?」 呑みかけの缶チューハイを呑めと言ってるのかと思ったが、どうやらそうではなく、一緒に呑みに行こうということらしい。 町内には飲食店もあるし、なんなら酒の自販機もあるので、ペルーの話を聴きながら一杯やるか……でも、コロナ禍の最中だからなぁ……などと一瞬迷ったが、やっぱり感染の恐れがあるので丁重にお断りして石川町駅に向かった。 新横浜通りを越えて駅に近くなったとき、背後に人の気配を感じて振り返ると、缶酎ハイを吞みほした彼がニッコリ笑って立っていた。 こっちは一緒に呑む気はないからバイバイしてガード下に向かったのだが、彼はコンビニに吸い込まれて行った。おそらくそこでもう1本買うのだろう。 どこで吞んだのかなぁ。吉浜町公園かな。 ![]() |
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