中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

「東北人家新館」にて一杯やりながらトンネル談議

2017年09月21日 | 中華街(開港道・広東道)

 “まちが好き” “歴史が好き” “人が好き”
 そして“横浜が好き”

 そんな3人が集まって8月下旬、「東北人家新館」にて呑み会兼情報交換会を挙行した。
 テーマは本牧と外部を結ぶトンネルである。

 やはり最初の話題は元町のトンネルだ。
 豚の背骨ガラを齧りながら話は進む。 


 キュウリのニンニク和え。麺棒でたたき割ったのかな、うまし。

 元町・石川町~麦田町をつなぐトンネルだが、あれには名前が何通りかある。
 元町や石川町に住んでいる人たちは「元町のトンネル」というが、本牧方面の方々は「麦田のトンネル」と呼んでいる。
 それぞれ住んでいる側からみたトンネル名なのだ。


 ピータン豆腐。豪快に1丁使っている。見た目の美しさなんか関係ないのがいいね。

 しかも、あのトンネルは2本あって、それぞれ出自が違うのだ。
 元町から麦田へ向かう方は、もともと横浜電気鉄道・横浜市電のトンネルで、その当時は電車専用(明治44年開通)だった。


 干し豆腐のなんちゃら。名前を忘れた。光線の関係でこんなに黄色っぽくなっているが、実際はもっと白っぽかった。

 山手の丘をくり抜いて電車のトンネルを造ったわけだが、ここには今のようなもう一本のトンネルがなかったため、人力車、馬車、荷車、自動車などは、あいかわらず地蔵坂を上り下りしていた。

 麦田から元町へ抜けるトンネルは、震災後の昭和3年に造られたもので、正式名称は山手隧道という。
 その後、昭和40年年代に横浜市電が廃止となると、市電のトンネルは道路用のトンネルに造り変えられた。
 このとき、トンネル名は第2山手隧道と命名されたのである。トンネル自体の歴史は古いのに、「第2」とされている理由は、そういうことなのだ。


 羊肉の串焼き。部位は何だったかな…。クミンの風味がいいね。

 さて、本名は「山手隧道」なのだが、これを見る側の意識から「麦田のトンネル」とか「元町のトンネル」と呼ばれているわけだが、このトンネルの上は山手町である。
 山手に住む方々は、ここを何と呼んでいるのであろうか。


 これは羊ではなく、牛だったかな。見た目じゃ分からないな。

 私は横浜市電に乗ったこともないし、ましてや市電のトンネルを歩いたこともないのでよく分からないが、昭和11年生まれの古老は「素掘りだった」という。
 それに対して、昭和20年代生まれの人は「素掘りなんかじゃなかった」と反論する。

 トンネルの出入口の写真は大量に残っているのだが、内部の写真がないので、事の真偽は不明のままである。
 どなたかご存知の方がいらしたら教えてくださいませ。


 さて、本牧と外部をつなぐトンネルといえば、このほかにあと2つある。
 一つは見晴らしトンネル。これは山手の丘、見晴台の下を通過するから、そう名付けられたのであろう。
 新山下から本牧一丁目に抜けることができる。



 こんな地図では分かりにくいだろうから、グーグルのストリートビューを貼っておくね。

 この下を通る見晴トンネルは昭和8年に開通している。

 もう一つは代官坂トンネルだ。
 元町から代官坂を上がって行くとある。

 左の道は山手の丘を越える道路だが、このまま進むと本牧方面に出ることができない。進入禁止なのだ。
 したがって、自動車は右側の道を進まなければいけない。すると、その先に代官坂トンネルがあり、そこを突き抜け坂を下っていくと本牧通りに出る。

 というわけで、本牧に至る3つのトンネルについて語り合ったのだが、ここで美味しいパン屋さんのことを思い出した。
 代官坂にある「ブラフベーカリー」が本町通に2号店を出したことは、ファンの間で話題になっているが、さらに本牧通りにカフェをオープンさせたというからすごいね。


 オープン初日。
 大変な行列だった。実は右に入った路地に、大量の人々が並んでいたのであった。


 しばらくは様子見だな。


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2 コメント

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見晴トンネル (作治)
2021-01-23 15:36:50
見晴トンネルはじめ横浜市に在る得体の知れないトンネルは軍が掘ったもの、俺の土地のした無断で掘りやがてと押しかけた者の帰りは戸板の上に虫の息で帰ってくるのが常でした。
返信する
Unknown (管理人)
2021-01-23 15:45:33
>作治さん
面白い話ですね。
これは調べてみないといけません。
横浜のトンネル。
返信する

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