「さくら湯の跡が更地になっているよ」 中区に住む知人からそんな一報が入ったのは2月初旬だった。これは見に行かなくちゃと思いすぐに出かけていろいろ確認してきた。そのときに撮影した写真の一部は、先日アップした「昭和31年の地図に見る銭湯シリーズ」No.9 さくら湯(麦田町)の記事でご覧いただいたのだが、今日はその日のことをもう少し詳しく書いておこうと思う。 JR根岸線を利用して麦田の「さくら湯」へ行くルートは2つある。一つは石川町駅で降りて山手隧道(元町トンネルまたは麦田のトンネルともいう)を抜けて行く、通称・石川町ルート。もう一つは山手駅から商店街を抜けて、さらに千代崎川暗渠をたどって行く、通称・山手駅ルートだ。 どちらも難点があるので「さくら湯」へ行くときは、どっちから入るか迷う。石川町ルートは、あのトンネルが怖い。狭い歩道を自転車が前からも後ろからも、スピードを上げて迫ってくるからね。本来なら自転車は車道を走ってほしいのだが、自転車だってあの逃げ場がない車道を自動車にあおられながら通行するのはいやだと思う。 もう一つの山手駅ルートは距離が長いのが難点だ。しかも商店街の通りは一方通行とはいえ、結構、交通量が多い。時間帯によってはバスも通るしね。 ということで迷った末に選んだのは後者である。久しぶりに山手駅降り立つと無人販売所の看板が目に飛び込んできた(冒頭の写真)。 横浜家系ラーメン「一二三家」 テイクアウト横丁 残念ながらシャッターが下りていたので内部の様子は分からない。ここは次回、山手駅に来た時の宿題だな。 ということで、商店街を本牧通りに向けて歩いていく。 幹線道路に出る直前で現れるのが千代崎川の暗渠だ。「さくら湯」はこの先にあった。 旧鷺山橋跡。銭湯の手前に昔の防火用水があったはずだが…… よかった、残していた 旧鷺山橋を越えて振り返えると、こんな感じ。工事用の重量車が通行するからかな、旧鷺山橋の上に鉄板が敷かれている。 「さくら湯」の駐車場だった場所。この奥、擁壁の下に市電のレールが置かれていたのだ。 銭湯の建物跡…… その奥には「さくら湯」の経営による集合住宅「CASA 1010」。1010で銭湯と読ませるんだろうね。 暗渠横に設置されている注意看板。もはや何が書かれているのか分からない。 でも、なんとか解読してみると、 この川は旧千代崎川に蓋をして整備したものであり、……車両の駐車を全面的に禁止します。 昭和60年12月6日 横浜市下水道局長 中区長 中区第三地区連合町内会長 中土木事務所長 と、書かれているようだ。 その下はまったく読めない…… どうなっているんだ! 四者連名で立てたのだが、下水道局なんて今はない。環境保全局の中に組み込まれている。中土木事務所だって中区役所の一部になっているし、一体、だれが最終責任者なのか。 みんな自分ではないと思っているから、放置したままなのだろうね。 これを設置したのが昭和60年なので、38年間、市役所職員に顧みられず錆ついてきたというわけだ。おそらくこのまま、朽ち果てていくのだろう。 土手にはきれいな花が咲いていた。錆びた看板とは大違いだ。 ということで「さくら湯」跡の更地を確認し終えた。あとは、この怖い山手隧道をくぐって石川町駅へ向かう。 トンネルの上では白い花が咲き乱れていた。 なんだろう、この花は(^^♪ スイセンかな。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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