
2012年3月2日 六ヶ所村を見学したあとは再び下北半島を北上。 到着した先は下風呂温泉だった。 原子力発電所の建設が取り沙汰されている大間まであと少しという位置にある。 ![]() 外の温泉でも入浴できるようだったが、こんな寒い日は旅館の中の風呂に限る。 ひと風呂浴びたあとは待望の食事が待っていた。 もちろん部屋食である。 ![]() 魚と野菜の鍋・カレイの煮つけ・山菜と野菜の和え物・揚げ物・刺身・野菜の味噌和え・イクラ・魚の酢〆・肉のほにゃらら~・茶碗蒸し、それにお新香とフルーツというボリューム。 これだけでも大変な量なのであるが、知人はさらにこんなものまで用意していてくれた。 ![]() 大間のマグロ。 ![]() そしてアワビ。 ![]() ご飯は釜飯だ。 もう食い切れない~。 これじゃあ、ビールも1本が限界だ。 あっという間に睡魔に襲われてきた。 ![]() 翌朝。 一汁八菜の朝ごはん。これまた食い切れない…。 ![]() 旅館の窓から北海道が見える。 こんなに近けりゃ、大間の原発建設に反対するわけだ…。 ![]() 朝食後すぐ、青森に向けて出発する。 横浜まで9キロだ。 ![]() 再び東通原発、六ヶ所村を通って行く。 やはり異様な光景だ。 ![]() 縦貫道路を造ってどこに行くのかな。 ![]() 青森駅前に到着。ここで知人と別れ、私は列車の時間までしばらく市内を散策する。 まず訪れたのは「ねぶたの家 ワ・ラッセ」。 ![]() 水滸伝のシーンだ。 ![]() お囃子の実演。 ![]() 四神降臨「白虎と青龍」。 ![]() ここではねぶたの制作工程が学べる。 ![]() 青森桟橋記念碑。 青函トンネルができるまで、ここから青函連絡船が出ていた。 懐かしい…… ![]() 記念碑のそばにもう一つの碑が建っている。 青函連絡船戦災の碑だ。 ![]() 青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、八〇年の歴史の中で、「戦災」の悲劇を忘れ去ることはできません。 第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)七月一四日、米海軍艦載機の攻撃により、物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、八月一〇日には「亜庭丸」が青森湾で撃沈され、一三一名の犠牲者を出しました。この中に、函館船員養成所大沼分所の生徒一四名(当時一四、五歳)がおり、悲しみを一層大きくしました。 また、七月一四・一五日に津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、青函連絡船は全滅をし、乗員乗客四二四名の尊い人命が失われました。 今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が、この航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。 青森市民の目前で繰り広げられた、悲惨で残酷な空襲・戦災から六〇年を経ましたが、今では、当時の惨状を止めるものはなく、人々の記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化されつつあります。 青函連絡船戦災から六〇年目に当たり、この悲劇を歴史に止め、語り継ぐとともに、犠牲となられた方々のご冥福と平和を衷心より祈念し、この碑を建立いたしました。 二〇〇五年(平成一七年)七月一四日 六〇年目の空襲・戦災の日に ![]() 青森と横浜は近いんだね。 ベイブリッジもすぐそこだ。 ![]() 3月とはいえ、駅前商店街はまだまだ雪の山が残っていた。 ![]() 歩道と車道の間に自転車専用道があるが、これじゃぁ走れない…… ここで、列車の時間がやって来た。居酒屋で一杯やってから帰りたいところであったが、そうもいかない。 早足で青森駅に向かう。 ![]() 帰りの新幹線はちょっと奮発してみた。 ![]() E5系。 ![]() グランクラス。新青森~東京が26,360円! 客室内は飛行機のよう。 ![]() リクライニングがゆったりしていて素晴らしい。 ![]() 食事とお酒も付いてくる。 ![]() 和食と洋食を選べる。 ![]() お酒は無料で何杯でも飲めるが、あっという間に東京に着いてしまうので、2本が限界であった。 ![]() 東京駅到着。客室アテンダントともお別れである。 こうして被災地でのボランティア活動と下北半島漫遊の旅を終えたのであるが、やはり一番印象に残っているのは仮設住宅で聴いた被災者の悲惨なお話しだ。 しかし、多くの方々が仰っていた最後の言葉によって、湿りがちだった私の気持ちを温かいものにしてくれたことに灯り見出すことができた。 「大変な目に遭ったけど、今は幸せです」 「こうして住むところもあって、食事もできるし毎日感謝しています」 この時の活動から1年が経ってしまったが、また機会を見つけて行ってみたいと思っている。 (おしまい) |
下北半島とグランクラスはご褒美ですね(^o^)v
グランクラス、また乗ってみたいです。
できれば昼間、景色の見える時間帯がいいですね。
マトモなコメントが出来れば良いのですが、そんな器量を持ち合わせておらず。
ただただ皆さんがお元気で暮らせる事のみを願う事しか出来ません。
あと出来る事・・・東北の物を沢山食べる様心がけます。
有難うございました。
見守りスタッフさんとの約束が、少し果たせたようで良かったです。
仮設住宅に住む人たちのなかでも所得格差があって、
いろいろと問題は多いようです。
また復興工事を受注するのは東京のゼネコンが多いとか、
その辺の話もいろいろ聞きました。
私たちにできることは、東北の美味しいものを買う、食べるということぐらいかもしれません。
私も最近はご無沙汰なので、近いうちに再訪したいです。
現地で観光なり飲食なりすることが貢献になりますものね。
私も降りに触れ、あちこちであのときの体験談を話しています。
久しく現地には行っていませんが…