中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

目移りがして・・・

2018年07月28日 | レトロ探偵団

 最近、昭和21年の新聞記事を総めくりする必要に迫られ、横浜市中央図書館と神奈川県立図書館にときどき通っている。両館とも神奈川新聞が保存されており、中央図書館ではマイクロフィルムで、県立図書館では撮影した原寸大の画像(1ヶ月ごとに製本)で閲覧できる。
 しかし両方とも欠点があり、一回で済むことはなかなかない。というのも、中央図書館のマイクロフィルムは何年分もがほぼ揃っているのだが、元資料が悪いのか、あるいは撮影がうまくなかったのか、文字や写真が真っ黒につぶれていたりしている。
 一方の県立図書館の原寸大の画像版は黒くつぶれている部分は少ないのだが、撮影時のピントが合っていないようで、全体的にぼやけている紙面が多く、判読に苦労している。しかも3ヶ月分が連続して無かったりするからもう大変。

 そんなことから仕方なく両館に足を運び、目的の記事を探すのに膨大な時間がかかってしまうのだ。しかし、問題はそれだけではない。腰が軽く目移りしやすい自分は、目的の記事を探しながら斜め読みをしていくうちに、ついつい、無関係な見出し、それも野次馬に興味を惹かせる見出しにつられて、無駄な時間を費やしてしまうのだ。

 今日は、そんな中から気になった広告を載せておきたいと思う。


 冒頭に載せた写真をここで再掲する。これは昭和21年1月1日に掲載された新聞広告。戦争が終わって4カ月の頃だから、まだ右から読むようになっている。
 まず私の目を惹きつけたのは「進駐軍向婦人入用」という一行。進駐軍というのは太平洋戦争後、日本に進駐してきた連合国軍のことだが、そのメインは米軍だ。
 婦人というのは中高年の女性ではなく、たぶん若い女の子のことだろうね。
 最後の「入用」とは……。必要なモノとかお金に使う言葉だが、人間に対しても使うのか……。

 逗子の駅前にあった「松よし」というのは何屋さんだろうか。料亭? 置屋? 待合?
 そんなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎていく。


 昭和21年1月15日。
 広告を出したのは桜木町駅の近くにあった高級キャバレー「サクラポート」である。進駐軍の社交場として近々オープンするので、ダンサーを500名も募集するというのだ。ほかに将校クラブ用のダンサーも若干名募集。
 「初心者歓迎ダンス英会話養成優遇す」と書いてあるが、面接で容姿も考慮していたのだろうか。

 キャバレーの場所は桜木町駅から西北三丁(舊紅葉閣)と読める。駅から西北に三丁ということは紅葉坂のあたりだろう。そしてカッコ書きの中から、このキャバレーの建物は旧紅葉閣だったということが分かる。
 「紅葉閣」。どこかで聞いた名前だが……。

 だめだ、どうも思い出せない。(ご存知の方いらしたら教えてください)


 昭和21年1月20日。
 進駐軍労務供給業組合が出した労務者緊急募集の広告である。18歳以上の男子を5,000名も必要としていた。
 賃金は1日12円から21円50銭で加配米が1合配給されるという条件だ。雨天でも仕事はあり、その場合は3割増しになった。
 希望者は朝7時に神奈川県庁前か東神奈川駅前に集まり、どこかへ連れて行かれるシステムのようだ。港の仕事だろうか。

 そんな男の仕事の横に、芸妓急募の広告も出ている。こちらの広告主はRAA協会(特殊慰安施設協会)だ。
 英語ではRecreation and Amusement Association、略してRAA。
 経験の有無を不問と書いてある。その下に書かれた5文字ほどは潰れていて判読できないが、「前借・・ズ」と読めなくはない。
 前借のない慰安婦という意味なのだろうか。


 昭和21年1月25日。
 近々できる進駐軍社交場の募集案内である。パラダイス事務所の森町909番地というのは現在のどこにあたるのか、ちょっと気になって「磯子区森町909」で検索したら、こんな施設がヒットした。
 久良岐母子福祉会だ。この会が昭和29年、磯子区森町909番地に屏風ヶ浦母子ホームを立ち上げている。パラアイス事務所と同じ場所かどうかは定かでないが、少なくとも住所は同じだ。
 同会は昭和26年に神奈川県立久良岐母子寮としてスタート。母子寮とは何か、よく分からない方は、コチラを見てね。
 米軍兵士のためのパラダイス事務所のあとに、戦争で夫を亡くした母子家庭が生活する母子寮ができたと考えると、なんだか因縁みたいなものを感じる。


 昭和21年2月20日
 京浜最初の日本人向カフェー 本日開店 グランドカフェー新世界
 
 皆様の新しき慰安所 湘南の丘に出現とある。
 場所は日ノ出町駅前だってさ。でも、「…丘に出現」としているのだから、たぶん駅前といっても、駅裏だろうね。


 昭和21年2月24日。
 またまたRAA協会のダンサー募集の広告。経験の有無は問わず、教養ある麗しい女性を求めている。ダンスだけが仕事ではないような……。


 昭和21年9月24日。
 米軍がらみの記事や広告だけではなく、たまにはこんなのも目に入ってきて、ついつい読んでしまう。
 戸塚競馬場の開催案内だ。戦前につくられ、戦時中は中止をしていたが、戦後再開し、昭和25年10月の開催で幕を閉じた競馬場だ。


 その跡地は今どうなっているのか、「今昔マップ」で調べてみた。左は昭和22年発行の国土地理院の地図。右は現在の地図。
 こうして並べてみると、戸塚高校から汲沢団地のあたりにあったことが分かる。競馬場のコースの大半が現在の道路に転用されているようだ。
 ちなみに戸塚競馬場の歴史はコチラから。

 競馬開催案内の下に掲載された映画館の上映案内も気になるところだが、これはあとで調べてみようと思う。


 昭和21年11月19日。
 中華街のお店の広告が初登場した。「全福園」という聞いたことのない店だ。場所は山下町149と書いてあるので調べてみると、どうやら「聘珍樓」から「中華街貿易公司」にかけての一帯である。
 1階が喫茶と洋菓子、2階が中華料理。なんかいい感じだな。


 昭和22年2月11日。
 中華街にある「新光映画劇場」の上映案内だ。かかっているのは「運命の饗宴」。ツタヤで借りられるので見てみるかな。

 ついでに言っておくと「新光映画劇場」というのは、現在の「同發新館」のところにあった。ここで中華街映画祭をやるのは、そんな経緯があるからなの。


 最後に横浜国際劇場の案内広告(昭和22年7月29日)を載せておこう。
 昭和23年に美空ひばりが出演したことで知られる劇場だが、映画や歌謡だけでなく、なんと拳闘(ボクシング)までやっていたんだね。知らなかった……。
 堀口兄弟というのは、ピストン堀口だろうね。この3年後に彼は東海道線で轢かれて亡くなっている。
 そんな彼の一生を描いた映画を子どものころ観た記憶があるのだが……。
 なんてう題名だったか、思い出せない……。

 というわけで、こんな広告に目移りして、本来の目的である記事に到達していない。
 う~む、どうしよう。


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4 コメント

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期待大 (メタ坊)
2018-07-28 21:29:44
古い新聞を読みだすときりがありませんね。
浜海道で、よく縮刷版を見に来られて、
出歯亀現るとか
とんでもない記事をコピーしていた
あの頃を思い出します。
人づてに聞いたことはいろいろありますが、
今の時代に一層公表できないことが増えて、
なんともやるせなくなります。
一方、戦中戦後を生き抜いた人々も
鬼籍に入りつつある中で、
もっと聞き取りをしておくべきだったと
後悔もしています。
調べられていることと、
そのオマケ記事の展開に期待しています。
返信する
ついでに (管理人)
2018-07-29 07:30:27
雑誌の編集者が取材で写真を撮りに行った際、
本来の目的とは関係ない風景や物事を撮影していましたが、
コッチの方が後々、貴重な史料になったことが多々ありました。
私のは単なる野次馬ですが、、、
返信する
Unknown (モリモリ)
2018-07-31 18:27:57
もみじ会館があった記憶があります?
返信する
Unknown (管理人)
2018-07-31 20:36:45
>モリモリさん
紅葉閣、かすかに文字を見たような気がするのですが、
幻覚かも・・・・・
返信する

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