もう10年近くも着ているこのりタウンジャッケット、よれよれになっているのに着易いのでついこれを着ていた。
前からほしいと思っていたのが1枚ある。通信販売で気になる1着があった。まだあと何枚か冬用のコートがある。そしてよれよれのタウンジャケットがあればいいと思って申し込むのに躊躇していた。冬用を買うなら春・秋シーズンの方も数がいるのでこちらのほうが気に入るのがあれば買おうと思っていたが気に入るのがなくて通信販売の雑誌が送ってきてもリビングのテーブルの下に積んでいた。時期をみてこの本も捨ててしまうと考えていたときにタウンジャケットをなくしてしまった。
いままでこんなことがなかったのに少しずつ手荷物にトラブルが生じてくる。
年のせいだろうか。注意散漫なのだろうか。
今日も出版記念会の会場で若い男性たちが挨拶にこられるが記憶にない人も3人いた。どうしてこんなに記憶が飛んでいるのだろうか。
私のまた悪い癖が始まった。
「私このごろ年なのかそれとも若い男性でハンサムなかたはすぐ忘れるんです」と言って笑いでまた語化している。
心の中でほんまに私の悪やなあと思っている。
年輩の方も挨拶をされるとまた考えてしまう。
「何度も見てますがな---」と言われる。
在日同胞社会の現場を走り回るようになって20年の歳月がこようとしている。
多くの人たちに助けられてきているのに頭の中の記憶から遠ざかっている。
そんなことでこれからももっともっと忘れていきそうだ。
話は変わる近鉄奈良駅から急行難波行きの電車に乗った。
近年いつも1番後ろの車掌から見える座席にすわる。近頃の若者が怖いのでいつしかこんなふうになった。
向かいの座席は優先座席で80歳代の高齢者が座っておられた。
いくつになっても服装が気になるのだろう。
スカートをはいている老婦人、もう1人はズボンをはいている老婦人、ズボンをはいている老婦人はスカートをはいている老婦人に声をかけた。
「寒いのにスカートはいてこぎれいにおしゃれをしておられますね」と言う。そしたらスカートをはいていた老婦人は「いえいえ。誤魔化していますねん」と言ってスカートをまくって厚いハイソックスの上を見せた。私も思わず向かい側なので見てしまった。
厚手のロングスカートの下は長いバッチ(ももひき)をはいてそのうえに厚手のハイソックスをはいておられた。茶色の厚手のハイソックス、濃い茶色上等そうなウール地の厚手のロングスカート(たぶん洋裁のできる人で手作りのスカートのようである)靴も茶色にあわしておられる。コートはベージユー色を羽織っておられた。配色をきちんと考えておられようだ。
若いときはおしやれに服を着こなしておられたのだう。
寒さの中でもおしゃれに着こなしている老婦人にまた老婦人は「私なんかなにもかまっていませんがおたくさん。私とあんまり変わらないお年のようですのに小奇麗におしゃれしておられるのでちよっと話しかけたんですと話して新大宮で降りられた。「えらい話ばかりしてすみせん。降ります」と言って降りていかれた。
女性は幾つになっても自分の服も人の服も気になるものであると気がついた。
そしたらいつもよれよれのタウンジャケットを着ているの私を見てこの人おしゃれをする気があるのかしらと思われているかもしれないと思った。
こんなことをふて気にしていると「それは自意識過剰というの。誰もあんたのことなんか見てへん。見てへん」背後から言葉が聞こえてきそうだ。
30代のころふとしたとき自分の服装が気になるときがあった。そしたら「自意識過剰」とよく言われた。
こんなときがあった私、今は着易い服なら何年も着ているタウンジャケット、そんなに気にしなくなった。人は人、私は私なんて思っている。
こんな私をみて「おたくさんも変わりましたな。年をとりましたな」というかもしれない。それが今は天国にいて面と向かって言われなくなった。
私には嫌味たらたら言っていてだれかさんには何もいえなくてうじうじしている光景が浮かんでくる。
若かったころ、赤い半袖のブラウスに白いバンツで走り回っていた40代の初めの私だった。
よれよれの汚いジャケットを見るときれい好きのこの人は「いいかげん買い換えたら」と憎らしいことをいったかもしれない。私はそんな言葉に「家にいいものがあるのに着易いからこれ着ている」と言い返したかもしれないし「そうやな。買い換えるわ」とも言ったかもしれない。
生きていた頃私のスーツのデザイン、テーラドスーツの形が好きでこのデザインばかり私は専業主婦の頃に洋裁を習いながら作った服をよく来ていた。白のスーツや茶色、青緑のスーツを着ていると彼は「いいかげん形を変えたら。同じデザインばかりや」と言ったことがあった。そのとき男性なのによく見ていると驚いた。それから少しデザインを変えた服を買ったりしたがまた年を取ってくると無難にテーラドジャケットの形になっている。
「自意識過剰」といわれた頃はまだまだ私はエネルギーではちきれていた。
天国に行ったこの人もいっぱい夢をもっていた。夢をもちながら「俺はあかんわ」と挫折もしながら這い上がっていた。
そんな彼が町の中でカメラバッグを歩いているところをふっと今でも錯覚してしまう。デスク時代は下を向いて歩いていたのに役職になると胸をそらせて歩いていた。そんなときからそんな彼を見るのが嫌になった。
あれこの人はこんなにも高級志向、権力志向だったのか。私の知っている彼は弱い立場にいる人に目をかける人ではなかったのかと私の頭の中で混乱していた。それから下を向いて歩いている時だけ彼とすれちがっても挨拶をしたが胸をそらせているときはこんなところは見たくないと思っていつも物陰に隠れて通り過ぎていくのを待った。
彼がデスク時代からずいぶんと年月がたった。あの時、燃えていたものがあった。また日本がバブルというわけのわからない高度成長のうねりに入り日本の国が繁栄ハイウエイに乗ったところだった。
夢があった。一途な夢があった。
かなわない夢かもしれない。かなうかもしれないと思っていた。それよりまず第1歩の足を踏み出していた。
銀色と金色のレールが前にあると信じていた。
あのキラキラした金銀のレールがいつからパラレルでなくてねじれたままになったのだろうか。今は金銀のレールでなくて灰色のレールが横たわっているだけである。
金銀のレール、はるかに遠くなったがまだ夢は持てる。「愛があれば何でもできる」とまた「夢」をおいかけていたころに彼がよく使った言葉だった。
彼の愛は金銀のレール、音楽とカメラだったのだろうか。
また私はかってに創造している。
「自意識過剰」からまたあちこちに話しが飛んだ。もうこの辺でやめておこう。
前からほしいと思っていたのが1枚ある。通信販売で気になる1着があった。まだあと何枚か冬用のコートがある。そしてよれよれのタウンジャケットがあればいいと思って申し込むのに躊躇していた。冬用を買うなら春・秋シーズンの方も数がいるのでこちらのほうが気に入るのがあれば買おうと思っていたが気に入るのがなくて通信販売の雑誌が送ってきてもリビングのテーブルの下に積んでいた。時期をみてこの本も捨ててしまうと考えていたときにタウンジャケットをなくしてしまった。
いままでこんなことがなかったのに少しずつ手荷物にトラブルが生じてくる。
年のせいだろうか。注意散漫なのだろうか。
今日も出版記念会の会場で若い男性たちが挨拶にこられるが記憶にない人も3人いた。どうしてこんなに記憶が飛んでいるのだろうか。
私のまた悪い癖が始まった。
「私このごろ年なのかそれとも若い男性でハンサムなかたはすぐ忘れるんです」と言って笑いでまた語化している。
心の中でほんまに私の悪やなあと思っている。
年輩の方も挨拶をされるとまた考えてしまう。
「何度も見てますがな---」と言われる。
在日同胞社会の現場を走り回るようになって20年の歳月がこようとしている。
多くの人たちに助けられてきているのに頭の中の記憶から遠ざかっている。
そんなことでこれからももっともっと忘れていきそうだ。
話は変わる近鉄奈良駅から急行難波行きの電車に乗った。
近年いつも1番後ろの車掌から見える座席にすわる。近頃の若者が怖いのでいつしかこんなふうになった。
向かいの座席は優先座席で80歳代の高齢者が座っておられた。
いくつになっても服装が気になるのだろう。
スカートをはいている老婦人、もう1人はズボンをはいている老婦人、ズボンをはいている老婦人はスカートをはいている老婦人に声をかけた。
「寒いのにスカートはいてこぎれいにおしゃれをしておられますね」と言う。そしたらスカートをはいていた老婦人は「いえいえ。誤魔化していますねん」と言ってスカートをまくって厚いハイソックスの上を見せた。私も思わず向かい側なので見てしまった。
厚手のロングスカートの下は長いバッチ(ももひき)をはいてそのうえに厚手のハイソックスをはいておられた。茶色の厚手のハイソックス、濃い茶色上等そうなウール地の厚手のロングスカート(たぶん洋裁のできる人で手作りのスカートのようである)靴も茶色にあわしておられる。コートはベージユー色を羽織っておられた。配色をきちんと考えておられようだ。
若いときはおしやれに服を着こなしておられたのだう。
寒さの中でもおしゃれに着こなしている老婦人にまた老婦人は「私なんかなにもかまっていませんがおたくさん。私とあんまり変わらないお年のようですのに小奇麗におしゃれしておられるのでちよっと話しかけたんですと話して新大宮で降りられた。「えらい話ばかりしてすみせん。降ります」と言って降りていかれた。
女性は幾つになっても自分の服も人の服も気になるものであると気がついた。
そしたらいつもよれよれのタウンジャケットを着ているの私を見てこの人おしゃれをする気があるのかしらと思われているかもしれないと思った。
こんなことをふて気にしていると「それは自意識過剰というの。誰もあんたのことなんか見てへん。見てへん」背後から言葉が聞こえてきそうだ。
30代のころふとしたとき自分の服装が気になるときがあった。そしたら「自意識過剰」とよく言われた。
こんなときがあった私、今は着易い服なら何年も着ているタウンジャケット、そんなに気にしなくなった。人は人、私は私なんて思っている。
こんな私をみて「おたくさんも変わりましたな。年をとりましたな」というかもしれない。それが今は天国にいて面と向かって言われなくなった。
私には嫌味たらたら言っていてだれかさんには何もいえなくてうじうじしている光景が浮かんでくる。
若かったころ、赤い半袖のブラウスに白いバンツで走り回っていた40代の初めの私だった。
よれよれの汚いジャケットを見るときれい好きのこの人は「いいかげん買い換えたら」と憎らしいことをいったかもしれない。私はそんな言葉に「家にいいものがあるのに着易いからこれ着ている」と言い返したかもしれないし「そうやな。買い換えるわ」とも言ったかもしれない。
生きていた頃私のスーツのデザイン、テーラドスーツの形が好きでこのデザインばかり私は専業主婦の頃に洋裁を習いながら作った服をよく来ていた。白のスーツや茶色、青緑のスーツを着ていると彼は「いいかげん形を変えたら。同じデザインばかりや」と言ったことがあった。そのとき男性なのによく見ていると驚いた。それから少しデザインを変えた服を買ったりしたがまた年を取ってくると無難にテーラドジャケットの形になっている。
「自意識過剰」といわれた頃はまだまだ私はエネルギーではちきれていた。
天国に行ったこの人もいっぱい夢をもっていた。夢をもちながら「俺はあかんわ」と挫折もしながら這い上がっていた。
そんな彼が町の中でカメラバッグを歩いているところをふっと今でも錯覚してしまう。デスク時代は下を向いて歩いていたのに役職になると胸をそらせて歩いていた。そんなときからそんな彼を見るのが嫌になった。
あれこの人はこんなにも高級志向、権力志向だったのか。私の知っている彼は弱い立場にいる人に目をかける人ではなかったのかと私の頭の中で混乱していた。それから下を向いて歩いている時だけ彼とすれちがっても挨拶をしたが胸をそらせているときはこんなところは見たくないと思っていつも物陰に隠れて通り過ぎていくのを待った。
彼がデスク時代からずいぶんと年月がたった。あの時、燃えていたものがあった。また日本がバブルというわけのわからない高度成長のうねりに入り日本の国が繁栄ハイウエイに乗ったところだった。
夢があった。一途な夢があった。
かなわない夢かもしれない。かなうかもしれないと思っていた。それよりまず第1歩の足を踏み出していた。
銀色と金色のレールが前にあると信じていた。
あのキラキラした金銀のレールがいつからパラレルでなくてねじれたままになったのだろうか。今は金銀のレールでなくて灰色のレールが横たわっているだけである。
金銀のレール、はるかに遠くなったがまだ夢は持てる。「愛があれば何でもできる」とまた「夢」をおいかけていたころに彼がよく使った言葉だった。
彼の愛は金銀のレール、音楽とカメラだったのだろうか。
また私はかってに創造している。
「自意識過剰」からまたあちこちに話しが飛んだ。もうこの辺でやめておこう。
昨日の鄭容順さん、今も変わらず、取材記者さんやなぁ!
と、昔お世話になったときよりも、ファッションをふくめて、
ステキでしたょ。
李愛珠さんとムーダンの金石出さんたちのジョイント公演・
京都で、私はたいへん、お世話になった者です。15年ほど
前になります。
以来、お会いする機会も少なくなかったと思いますが、やは
り、お仕事でいらしているから邪魔をしてはいけないとお姿を
拝見するだけにしてきました。
ダウンジャケットは、お忘れになったままですか?だったら
誰かが二次会の会場に持っているかも知れません。
実は、私もコートとショールを忘れてしまいました。お客で
行ったつもりなのに、やはり会場の片付けとなると、友人たち
が忙しく働いているのに、素知らぬ顔は出来ませんものね。
着易いものは、手入れをして長く着るのがいちばんです。
私などは衣服に注ぎ込むお金がないので、祖母や母の着物
をリフォームして着ています。
汚いタウンジャケット、なにもいってこないのであるのかないのかわかりません。しかたありません。よれよれなのでもうきないでといっているのか。しかし着易い服だったのでやっぱり惜しい。
忘れ物はいずこも同じですか。
私も最近はほとんど服をかわなくなりました。老後の生活は現職とちがってきついです。1年に買う服はもう少なくなりました。昨年は衣類も何年分を整理して棄てたので着る服はいつも同じようなものを着まわしをしているので買わないようにしています。
だいたい近年の服、若い人向きのがりがりやせの着る服ばかりで私の体系にあうものがなくなっているのが現状です。さて横に伸びているのにまたこれからコーヒーをのみます。
メールありがとうございます。うれしく拝見していまのす。