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朝方、5時頃起きてトイレに行くとき外を見ると雨が降っていた。
今日は夫が家にいる。雨で散歩もいけないらしい。
1日テレビの前で座っているだろう。昨日は秋晴れで暖かい。夫は1人で近鉄奈良駅まで歩いて出かけて帰りも歩いて帰ってきたという。
若いときは奈良公園まで足をのばして歩いて近鉄奈良駅に出ている。
15分程度、時間がかかるが若いときに猿沢池まで出て興福寺の前の階段を上って近鉄奈良駅に出てまた帰りは違う道を通って歩いていた。
今はそんなに遠回りをしていないだろう。
自宅から近鉄奈良駅に出る道に入って奈良町界隈を歩いて近鉄奈良駅にでているだろう。帰りは疲れるとバスに乗って帰ってきていることもある。
私も若いときはたまに歩いて近鉄奈良駅に出たが今はもうそんなことしない。
歩きすぎると足が痛くなるのでバスを利用して近鉄奈良駅に出ている。
日々の生活のことしか書いていない私のブログを読んで下さっている人がいて時々コメントを入れて下さっている。これも嬉しいことです。
マイペースで仕事している私、自分もマイペースにできればと----。
「あかん。あかん」、生活をして妻子を養っている人はまだまだ働かないとあかん。50代の男性はまだまだ働いて経済構築をしないとあかんのやで」といいたくなる。
私は雑誌記者時代、まだ子どもが中学・高校生だったので主婦も重きにおいて仕事をしていた。また雑誌は新聞と違って段取りを組んでいくとそう夜も出て活動することは少なかった。
しかし転職して日刊紙の新聞記者になってからは夜も昼もなく働いた。
子どもは大学に進学して1人暮らしをしていたので面倒を見るのは夫だけだった。主婦をしていても仕事優先で夫にずいぶん不自由をかけて苦労させた。
あの時の苦労があるから今日に至っている。夫には感謝している。
夕方、家に帰っても妻はいない家庭に男は真直ぐに家に帰ってこない。飲み友達と毎夜、どこかで飲んで食べていたらしい。風呂は家で入らない。飲みに出かける前にどこかで風呂に入っていく。そんな生活が3・4年続いただろう。
当時はまだ飲酒運転の取り締まりは今ほど厳しくなかったのでたいてい飲んで車に乗っていただろう。今は飲むときはバスでいくかタクシーで行っている。
日刊紙の新聞社を退職して忙しい生活から解放された。
1カ月ほど家にいたが今の所の誘いでまた新聞記者の仕事をするようになった。
週刊紙で夫にはかなりの負担が少なくなった。
しかし夜の現場にも入っていたのでまだまだ主婦は半分もできない状態だった。
諸事情で自宅を事務所にして現場に出るようになった生活スタイルになって10数年、夜の現場は後輩記者にほとんど任せて数年になった。
そして自分の年齢は70歳に届くようになってきた。
2・3年前からは少しは自分の嫌なことは嫌というようになってマイペースで仕事をしている。こんなマイペースに働き盛りの40代、50代の男女は「羨ましい」といわれる。私はそのたびに「あんたらまだ若い。家族を支えているのにまだまだ働かないとあかん」と叱咤激励している。
猛烈に働いてきた私を知っている人は「よくがんばったな」といって下さる。
その言葉は大変うれしい。そしてありがたい。
そんなときは「もう遊びたいけれど私を必要とされる間はコーヒー代がほしいので仕事しています」といっている。
夫はまた冷蔵庫からビールを出して飲んでいる。
こうして1日過している夫です。
今朝、私は7時半に起きた。
起きて玄関を開けていつもの鳩の塒、広告塔を見ると40羽の鳩がとまっていた。40羽は7時39分です。それから家事をして朝食の支度をしてまたもう1度玄関に出て広告塔を見ると鳩は起きだしていたのか50羽になっていた。上にとまれないので横にもとまっている。7時51分です。
この鳩たち、昼間はJR奈良駅の旧駅舎にいってとまっている。
JR奈良駅に散歩に来て鳩に餌を撒く人がいる。そのことを鳩たちはよく知っている。
9時前に玄関を開けて広告塔を見ると5羽の鳩しかいなかった。
雨が降っているので下のところに入ったのか。
どこかに飛んでいったのか。
2012年11月26日、午前7時51分の撮影した鳩です。
9時56分、また玄関を開けて広告塔を見ると鳩が17羽とまっていた。
餌をとっていて戻って来たのだろうか。
また---。このへんで。
今日は夫が家にいる。雨で散歩もいけないらしい。
1日テレビの前で座っているだろう。昨日は秋晴れで暖かい。夫は1人で近鉄奈良駅まで歩いて出かけて帰りも歩いて帰ってきたという。
若いときは奈良公園まで足をのばして歩いて近鉄奈良駅に出ている。
15分程度、時間がかかるが若いときに猿沢池まで出て興福寺の前の階段を上って近鉄奈良駅に出てまた帰りは違う道を通って歩いていた。
今はそんなに遠回りをしていないだろう。
自宅から近鉄奈良駅に出る道に入って奈良町界隈を歩いて近鉄奈良駅にでているだろう。帰りは疲れるとバスに乗って帰ってきていることもある。
私も若いときはたまに歩いて近鉄奈良駅に出たが今はもうそんなことしない。
歩きすぎると足が痛くなるのでバスを利用して近鉄奈良駅に出ている。
日々の生活のことしか書いていない私のブログを読んで下さっている人がいて時々コメントを入れて下さっている。これも嬉しいことです。
マイペースで仕事している私、自分もマイペースにできればと----。
「あかん。あかん」、生活をして妻子を養っている人はまだまだ働かないとあかん。50代の男性はまだまだ働いて経済構築をしないとあかんのやで」といいたくなる。
私は雑誌記者時代、まだ子どもが中学・高校生だったので主婦も重きにおいて仕事をしていた。また雑誌は新聞と違って段取りを組んでいくとそう夜も出て活動することは少なかった。
しかし転職して日刊紙の新聞記者になってからは夜も昼もなく働いた。
子どもは大学に進学して1人暮らしをしていたので面倒を見るのは夫だけだった。主婦をしていても仕事優先で夫にずいぶん不自由をかけて苦労させた。
あの時の苦労があるから今日に至っている。夫には感謝している。
夕方、家に帰っても妻はいない家庭に男は真直ぐに家に帰ってこない。飲み友達と毎夜、どこかで飲んで食べていたらしい。風呂は家で入らない。飲みに出かける前にどこかで風呂に入っていく。そんな生活が3・4年続いただろう。
当時はまだ飲酒運転の取り締まりは今ほど厳しくなかったのでたいてい飲んで車に乗っていただろう。今は飲むときはバスでいくかタクシーで行っている。
日刊紙の新聞社を退職して忙しい生活から解放された。
1カ月ほど家にいたが今の所の誘いでまた新聞記者の仕事をするようになった。
週刊紙で夫にはかなりの負担が少なくなった。
しかし夜の現場にも入っていたのでまだまだ主婦は半分もできない状態だった。
諸事情で自宅を事務所にして現場に出るようになった生活スタイルになって10数年、夜の現場は後輩記者にほとんど任せて数年になった。
そして自分の年齢は70歳に届くようになってきた。
2・3年前からは少しは自分の嫌なことは嫌というようになってマイペースで仕事をしている。こんなマイペースに働き盛りの40代、50代の男女は「羨ましい」といわれる。私はそのたびに「あんたらまだ若い。家族を支えているのにまだまだ働かないとあかん」と叱咤激励している。
猛烈に働いてきた私を知っている人は「よくがんばったな」といって下さる。
その言葉は大変うれしい。そしてありがたい。
そんなときは「もう遊びたいけれど私を必要とされる間はコーヒー代がほしいので仕事しています」といっている。
夫はまた冷蔵庫からビールを出して飲んでいる。
こうして1日過している夫です。
今朝、私は7時半に起きた。
起きて玄関を開けていつもの鳩の塒、広告塔を見ると40羽の鳩がとまっていた。40羽は7時39分です。それから家事をして朝食の支度をしてまたもう1度玄関に出て広告塔を見ると鳩は起きだしていたのか50羽になっていた。上にとまれないので横にもとまっている。7時51分です。
この鳩たち、昼間はJR奈良駅の旧駅舎にいってとまっている。
JR奈良駅に散歩に来て鳩に餌を撒く人がいる。そのことを鳩たちはよく知っている。
9時前に玄関を開けて広告塔を見ると5羽の鳩しかいなかった。
雨が降っているので下のところに入ったのか。
どこかに飛んでいったのか。
2012年11月26日、午前7時51分の撮影した鳩です。
9時56分、また玄関を開けて広告塔を見ると鳩が17羽とまっていた。
餌をとっていて戻って来たのだろうか。
また---。このへんで。
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