朝から銀行に立ち寄って郵便局に行くと9時15分前、まだ開いていない。
また近鉄奈良駅に戻って京都行きの特急券を購入に行った。10時発である。これから郵便局で所用を済ませて行きつけの喫茶店銀杏やさんに行って9時15分、案の定、10時の京都行き特急までそんなに座っている時間はないが主婦との切り替えに立ち寄っている。
喫茶店に行くと常連ばかり、皆70代の人ばかり、朝8時半に入ってここでモーニングを食べて奈良公園の有名な茶粥の店に仕事に行かれる人もいればまた病院に行った帰りの人そして10時過ぎには近所のレストランの長老婦人も趣味が多くて行く前にここでモーニング、また他に定年退職して何年も立つ人は時間をもてあましている。ここでモーニングを食べて常連と話しをして本を読んだりしている。
9時までは若いサラリーマンの男女がいっぱいそして観光でこられた人がここでモーニングを食べてコーヒーを飲んでおられる。
それが9時過ぎて9時半からはまた私より年輩の男女が多く店にこられている。
そんな中であわててネットの関係者にメールを打つ。とりあえず所用を済ませたので安心して欲しいと思ってメールを打つ。
「安心してください」というようなメールを打った。
そしたら返信が帰ってきた。
「今夜はそれで------」と言う。冗談と分かっていてもこちらはくそ真面目である。思わず「アホ」とメールを打っている。
隣にはおせっかいな年輩のおばちゃん。「何のメールしているの」と聞く。
私は「今夜----」という。そして私は「もう、男はお酒がすきやな」というと「そんなメールは冗談やん。そんなときはいこ、いこ。そのかわりあんたもちやでと打っとき」という。私は「夜出るのがもう嫌ややからそんなメールはうたへん」と言ったら「夜は私も嫌やわ」と言ってこの話を終わった。
横から話してくるので新聞がゆっくり読めない。
仕方がない。新聞を途中にして鞄の中にしまった。
まだおばちゃんたちの話は続く。
「写真」を撮るわと言って立ちあがってアートコーナーの花が変わっていたので写真を撮った。花の少ない季節をあらわしているのだろうか。
今日のはまたこじんまりしていた。
そしておばちゃんたちの話はあれこれと続く。
そして今回の拉致問題に関して話しが及んだ。
1人の70歳を越えた婦人は言う。
「拉致されてもそんな個人的なことやんか。何も国にしてくれ、してくれと言うほうがおかしい。個人で交渉をしたらいいんやか」と言った。
日本婦人の高齢者には北朝鮮と言う国に差別意識でみているのだろうか。普段は何もここではそんな論議をしないのにこのときは私は黙っておられなかった。反論した。
「そんな拉致された親御さんの気持になったらたまらんわ。それも13歳という年やで。親というのはいつまでも子どものことを思っている。それに北朝鮮が個人的に交渉できる相手ではありません。個人ではできません。あれは国の問題です。国家の問題です。私の個人の考えとしては日本の国はまだまだ甘い誤算をしているように思えてならないです。そんなに北朝鮮の国は甘くありません。拉致された親御さんの身になって考えるとひとごとの問題ではありません」と言ったらその70歳の女性は黙っていた。
しかしこの人は私が喫茶店を出て行った後に他の人にまた自分の意見を言って私の悪口を行っているでしょう。そんな光景を何度も見てきているので茶粥の店に勤める人が立たれたのでその後に座られた。内心はしまったと思ったが今日はすぐでるからいいと思った。そうでないときは新聞を読んで誰とも話さないようにして新聞を読んでいる。今日は座っている時間が少ないのでつい新聞を読まないで話していると拉致被害者の心情を逆なでする発言に驚いた。
そして私はまたその人に言った。
私は在日韓国人です。日本も韓国も北朝鮮も客観的に見ています。また客観的な物差しで見えるのです」と言ったら黙っておられた。
こうした発言をする高齢者の婦人たち、まだまだ在日コリアンに対する認識は希薄である。在日同胞史100年になるというのにまだ侮蔑的に見ている心の中を見て心の中でため息をついていた。
9時43分に喫茶店をでて近鉄奈良駅に向かった。10時発の特急電車がホームに停まっていた。すでに乗っている60代の女性2人、座席を向かい合わせにしてある。もうすでにやかましい。そしたら西大寺で身内が乗ってきた。また騒々しい電車になった。
10時35分に京都着、ここからタクシーに乗って京都国際学校に向かった。
現場取材は2時前に終わった。このまま大阪に出向いて届け物をしょうと思って電話すると韓国語で「ヨギアカシ」という変な韓国語、翻訳すると「ここはおばさん」になる。そしたら日本語で明石といったので明石だった。
やはり最初の予定通り明日になった。
それが京都から奈良に戻って正解。夫は目にものもらいができたとかで眼科に行って早く戻ってきた。
これでよかったのだと----思わず天の神様に感謝した。
早くに戻った夫はもう早々と休んでしまった。
もちろん夕食は手際よくできるものになった。
豆もやしのおひたしとスープ、生若芽のドレシッグ和え、そして卵焼いてウインナーを焼いてこれで簡単に片付けた。
今日は夜遅くにテレビで「焼肉ドラゴン」の舞台劇があるとラジオで銀瓶さんいっていたと夫は言っていた。それを見たいといいながらもう寝てしまっている。
また近鉄奈良駅に戻って京都行きの特急券を購入に行った。10時発である。これから郵便局で所用を済ませて行きつけの喫茶店銀杏やさんに行って9時15分、案の定、10時の京都行き特急までそんなに座っている時間はないが主婦との切り替えに立ち寄っている。
喫茶店に行くと常連ばかり、皆70代の人ばかり、朝8時半に入ってここでモーニングを食べて奈良公園の有名な茶粥の店に仕事に行かれる人もいればまた病院に行った帰りの人そして10時過ぎには近所のレストランの長老婦人も趣味が多くて行く前にここでモーニング、また他に定年退職して何年も立つ人は時間をもてあましている。ここでモーニングを食べて常連と話しをして本を読んだりしている。
9時までは若いサラリーマンの男女がいっぱいそして観光でこられた人がここでモーニングを食べてコーヒーを飲んでおられる。
それが9時過ぎて9時半からはまた私より年輩の男女が多く店にこられている。
そんな中であわててネットの関係者にメールを打つ。とりあえず所用を済ませたので安心して欲しいと思ってメールを打つ。
「安心してください」というようなメールを打った。
そしたら返信が帰ってきた。
「今夜はそれで------」と言う。冗談と分かっていてもこちらはくそ真面目である。思わず「アホ」とメールを打っている。
隣にはおせっかいな年輩のおばちゃん。「何のメールしているの」と聞く。
私は「今夜----」という。そして私は「もう、男はお酒がすきやな」というと「そんなメールは冗談やん。そんなときはいこ、いこ。そのかわりあんたもちやでと打っとき」という。私は「夜出るのがもう嫌ややからそんなメールはうたへん」と言ったら「夜は私も嫌やわ」と言ってこの話を終わった。
横から話してくるので新聞がゆっくり読めない。
仕方がない。新聞を途中にして鞄の中にしまった。
まだおばちゃんたちの話は続く。
「写真」を撮るわと言って立ちあがってアートコーナーの花が変わっていたので写真を撮った。花の少ない季節をあらわしているのだろうか。
今日のはまたこじんまりしていた。
そしておばちゃんたちの話はあれこれと続く。
そして今回の拉致問題に関して話しが及んだ。
1人の70歳を越えた婦人は言う。
「拉致されてもそんな個人的なことやんか。何も国にしてくれ、してくれと言うほうがおかしい。個人で交渉をしたらいいんやか」と言った。
日本婦人の高齢者には北朝鮮と言う国に差別意識でみているのだろうか。普段は何もここではそんな論議をしないのにこのときは私は黙っておられなかった。反論した。
「そんな拉致された親御さんの気持になったらたまらんわ。それも13歳という年やで。親というのはいつまでも子どものことを思っている。それに北朝鮮が個人的に交渉できる相手ではありません。個人ではできません。あれは国の問題です。国家の問題です。私の個人の考えとしては日本の国はまだまだ甘い誤算をしているように思えてならないです。そんなに北朝鮮の国は甘くありません。拉致された親御さんの身になって考えるとひとごとの問題ではありません」と言ったらその70歳の女性は黙っていた。
しかしこの人は私が喫茶店を出て行った後に他の人にまた自分の意見を言って私の悪口を行っているでしょう。そんな光景を何度も見てきているので茶粥の店に勤める人が立たれたのでその後に座られた。内心はしまったと思ったが今日はすぐでるからいいと思った。そうでないときは新聞を読んで誰とも話さないようにして新聞を読んでいる。今日は座っている時間が少ないのでつい新聞を読まないで話していると拉致被害者の心情を逆なでする発言に驚いた。
そして私はまたその人に言った。
私は在日韓国人です。日本も韓国も北朝鮮も客観的に見ています。また客観的な物差しで見えるのです」と言ったら黙っておられた。
こうした発言をする高齢者の婦人たち、まだまだ在日コリアンに対する認識は希薄である。在日同胞史100年になるというのにまだ侮蔑的に見ている心の中を見て心の中でため息をついていた。
9時43分に喫茶店をでて近鉄奈良駅に向かった。10時発の特急電車がホームに停まっていた。すでに乗っている60代の女性2人、座席を向かい合わせにしてある。もうすでにやかましい。そしたら西大寺で身内が乗ってきた。また騒々しい電車になった。
10時35分に京都着、ここからタクシーに乗って京都国際学校に向かった。
現場取材は2時前に終わった。このまま大阪に出向いて届け物をしょうと思って電話すると韓国語で「ヨギアカシ」という変な韓国語、翻訳すると「ここはおばさん」になる。そしたら日本語で明石といったので明石だった。
やはり最初の予定通り明日になった。
それが京都から奈良に戻って正解。夫は目にものもらいができたとかで眼科に行って早く戻ってきた。
これでよかったのだと----思わず天の神様に感謝した。
早くに戻った夫はもう早々と休んでしまった。
もちろん夕食は手際よくできるものになった。
豆もやしのおひたしとスープ、生若芽のドレシッグ和え、そして卵焼いてウインナーを焼いてこれで簡単に片付けた。
今日は夜遅くにテレビで「焼肉ドラゴン」の舞台劇があるとラジオで銀瓶さんいっていたと夫は言っていた。それを見たいといいながらもう寝てしまっている。
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