仕方がない。今日は神戸の三宮に行かないといけない。
朝、7時半に起きた。
洗濯を干したりして家事をした。
そしたら夫が起きてきた。
この間、福山市のホテルで買ったラーメンを自分で作っている。
先日、2食作って私も少し食べたがそう美味しいとは思わない。
インスタントラーメンは食べられても私は中華料理屋さんやラーメン専門店のラーメンが食べられない。何も理由がないのに受け付けない。
そんなことで今朝は夫が台所に入って作り出した。
その間、私はパソコンを開いている。
夫の台所が終わるとパソコンを閉めて私の朝食をしないといけない。
若いときはまだラーメンが食べられたが-----。
あるラーメン店で見たニンニクのすった物がギトギトにラーメンの上にのっていてもうラーメンの汁は油ギトギト、それからラーメンを受け付けなくなった。
たしか30代の半ばだったと思う。
京都に行ったときに行く時か帰るときか、国道24号線沿いにあったラーメン屋さんだった。油ギトギト、ニンニクギトギトに入っているのが好きな人も多くおられる。夫もその1人だ。
それぞれ好みがあるので仕方がない。
夫は自分で作ったラーメンを朝食にして食べている。
さてこれから私も朝食の支度です。
空は雪雲のように思うが----。
けれど雪は降っていないので身支度をして神戸の現場に行かないといけない。
それにしても寒い。
真夏に照りつけた灼熱の太陽が嘘みたいである。
長かった昨夏も嘘みたいである。
昨日も韓国ドラマを見た。
これはスカイパークのチャンネルでしか見られない。
「ジャインヤント」という題名のドラマ、1970年前後を舞台にしたドラマである。韓国政府と企業家と絡んだ地下鉄工事の入札など取りいれたドラマ、そしてそこに生き別れになった親、兄弟をからませて事件が置きドラマが生まれていく。現在の国家情報院、以前は安全企画部、以前、創設した時は中央情報院、なく子も黙るという恐ろしき中央情報院、当時、韓国に留学していた在日韓国人も理由もなく中央情報院に連行されていく。
水、電気拷問を受けた話を本人から聞いていたがドラマでもそんな場面がある。
私はとてもその場面はみられない。理由もなく連れて行かれることも本当だったのか。日本の韓国系民族学校、大阪にある建国高校から韓国の大学に留学した在日韓国人、当時は思想関係なく生徒が入学していた。
ある学生がスパイ活動していて建国学校卒業生は理由もなにもなく芋づる式に連行されてその拷問は気を失うほどだったと本人から私は聞いた。
そんな事情を知らない在日韓国人の新聞社の記者になりたての頃、何も知らない私は御伽噺に聞こえたが現実はそうではなかった。
釈放された彼らたち、日本に戻ってきた。
1人は伊丹空港で降りてそのままパスポートを破って捨てた。そして日本国籍に切り替えた。ほとんどの人は2度と韓国に足を踏み入れることはしなかった。
京都に住んでいたある男性はしばらく韓国系民族団体で勤務していたが将来が見えないことから韓国で生まれた奥さんの故郷に子ども連れて韓国に行った。
そして日本語教師をしていたが今も元気にしているだろうか。
ほとんど大学生の時に捕まって卒業証書をもらえないまま(卒業まで後、何カ月の人もいた)日本に戻ってきた。大学中退のままになった。
京都に住んでいた在日韓国人はある人の計らいで卒業証書を出してもらうことができた。そして韓国に再び渡った。
こんな現実を見てきた私は1970年前後の韓国に住む人の厳しさをまたドラマで認識していた。
韓国に忠誠を誓う。
しかし日本に住んでいる在日コリアンは隣に総連関係者が入れば隣に民団関係者がいる。南北分断は頭で分かっていても地域や気持的に分断されない環境で暮らしている。
現在も同じである。
1970年前後、韓国まだまだGNPも低く国民の暮らしは貧しかった。
一方、北朝鮮はソ連の支援でまだ今より良かった。
そして韓国は日韓国交正常化で朴正煕大統領は日本から有償・無償の支援金を受けて韓国国家の建設資金にした。
最初の資金が京釜高速道路建設工事だった。
建設会社の競争と国家がらみ、至難の技というべき入札が繰り返されたのだろう。地下鉄工事も同じである。
そうしないと企業と国家の統制がとれなかったのだろう。
当時は韓国国内にも総連関係者が韓国籍に切り替えてスパイ活動している人が多く潜伏していた。学生たちのデモも影で支援していたとも聞いている。
その当時の韓国社会はそうしないと統制と締め付けができなかったのだろう。
そのとき中央情報院が動いたのか今も恐い存在です。今も日本人左翼が憎む中央情報員の存在だったかもしれない。今も韓国人の中でも恐れ多い存在となっているが----。
今は何もなければ恐ろしくも何もない。
しかし南北分断国家であるかぎり必要なところである。
そう理解すると何も恐ろしいことはない。
私は日本でありのままに生きている。小心者の私は何もできない。
またそんな裏社会を知ることもないと思っている。
それが「ジャイヤント」のドラマでは当時の韓国社会を反映している。
当時の韓国はこんなのだったのか。
私は韓流ドラマももう卒業して見ることもなかったがこのドラマは1970年前後の韓国社会を知る資料としていい機会と思って土・日、続けて9時から1時間のドラマを楽しみにしてみている。
途中から見たのです。1度見るともう喧嘩ばかりの場面で見る気をなくしたのですが政治と絡んだ脚本に辛抱してみていると1970年前後の韓国社会がわかってきたのです。興味を持って見ています。
もう時計は8時42分です。
朝食をして外出の用意をします。
韓国ドラマ「ジャイヤント」の資料のホームページ
http://tv3.kandoracinemanews.biz/2010sbs/1000000012.html
朝、7時半に起きた。
洗濯を干したりして家事をした。
そしたら夫が起きてきた。
この間、福山市のホテルで買ったラーメンを自分で作っている。
先日、2食作って私も少し食べたがそう美味しいとは思わない。
インスタントラーメンは食べられても私は中華料理屋さんやラーメン専門店のラーメンが食べられない。何も理由がないのに受け付けない。
そんなことで今朝は夫が台所に入って作り出した。
その間、私はパソコンを開いている。
夫の台所が終わるとパソコンを閉めて私の朝食をしないといけない。
若いときはまだラーメンが食べられたが-----。
あるラーメン店で見たニンニクのすった物がギトギトにラーメンの上にのっていてもうラーメンの汁は油ギトギト、それからラーメンを受け付けなくなった。
たしか30代の半ばだったと思う。
京都に行ったときに行く時か帰るときか、国道24号線沿いにあったラーメン屋さんだった。油ギトギト、ニンニクギトギトに入っているのが好きな人も多くおられる。夫もその1人だ。
それぞれ好みがあるので仕方がない。
夫は自分で作ったラーメンを朝食にして食べている。
さてこれから私も朝食の支度です。
空は雪雲のように思うが----。
けれど雪は降っていないので身支度をして神戸の現場に行かないといけない。
それにしても寒い。
真夏に照りつけた灼熱の太陽が嘘みたいである。
長かった昨夏も嘘みたいである。
昨日も韓国ドラマを見た。
これはスカイパークのチャンネルでしか見られない。
「ジャインヤント」という題名のドラマ、1970年前後を舞台にしたドラマである。韓国政府と企業家と絡んだ地下鉄工事の入札など取りいれたドラマ、そしてそこに生き別れになった親、兄弟をからませて事件が置きドラマが生まれていく。現在の国家情報院、以前は安全企画部、以前、創設した時は中央情報院、なく子も黙るという恐ろしき中央情報院、当時、韓国に留学していた在日韓国人も理由もなく中央情報院に連行されていく。
水、電気拷問を受けた話を本人から聞いていたがドラマでもそんな場面がある。
私はとてもその場面はみられない。理由もなく連れて行かれることも本当だったのか。日本の韓国系民族学校、大阪にある建国高校から韓国の大学に留学した在日韓国人、当時は思想関係なく生徒が入学していた。
ある学生がスパイ活動していて建国学校卒業生は理由もなにもなく芋づる式に連行されてその拷問は気を失うほどだったと本人から私は聞いた。
そんな事情を知らない在日韓国人の新聞社の記者になりたての頃、何も知らない私は御伽噺に聞こえたが現実はそうではなかった。
釈放された彼らたち、日本に戻ってきた。
1人は伊丹空港で降りてそのままパスポートを破って捨てた。そして日本国籍に切り替えた。ほとんどの人は2度と韓国に足を踏み入れることはしなかった。
京都に住んでいたある男性はしばらく韓国系民族団体で勤務していたが将来が見えないことから韓国で生まれた奥さんの故郷に子ども連れて韓国に行った。
そして日本語教師をしていたが今も元気にしているだろうか。
ほとんど大学生の時に捕まって卒業証書をもらえないまま(卒業まで後、何カ月の人もいた)日本に戻ってきた。大学中退のままになった。
京都に住んでいた在日韓国人はある人の計らいで卒業証書を出してもらうことができた。そして韓国に再び渡った。
こんな現実を見てきた私は1970年前後の韓国に住む人の厳しさをまたドラマで認識していた。
韓国に忠誠を誓う。
しかし日本に住んでいる在日コリアンは隣に総連関係者が入れば隣に民団関係者がいる。南北分断は頭で分かっていても地域や気持的に分断されない環境で暮らしている。
現在も同じである。
1970年前後、韓国まだまだGNPも低く国民の暮らしは貧しかった。
一方、北朝鮮はソ連の支援でまだ今より良かった。
そして韓国は日韓国交正常化で朴正煕大統領は日本から有償・無償の支援金を受けて韓国国家の建設資金にした。
最初の資金が京釜高速道路建設工事だった。
建設会社の競争と国家がらみ、至難の技というべき入札が繰り返されたのだろう。地下鉄工事も同じである。
そうしないと企業と国家の統制がとれなかったのだろう。
当時は韓国国内にも総連関係者が韓国籍に切り替えてスパイ活動している人が多く潜伏していた。学生たちのデモも影で支援していたとも聞いている。
その当時の韓国社会はそうしないと統制と締め付けができなかったのだろう。
そのとき中央情報院が動いたのか今も恐い存在です。今も日本人左翼が憎む中央情報員の存在だったかもしれない。今も韓国人の中でも恐れ多い存在となっているが----。
今は何もなければ恐ろしくも何もない。
しかし南北分断国家であるかぎり必要なところである。
そう理解すると何も恐ろしいことはない。
私は日本でありのままに生きている。小心者の私は何もできない。
またそんな裏社会を知ることもないと思っている。
それが「ジャイヤント」のドラマでは当時の韓国社会を反映している。
当時の韓国はこんなのだったのか。
私は韓流ドラマももう卒業して見ることもなかったがこのドラマは1970年前後の韓国社会を知る資料としていい機会と思って土・日、続けて9時から1時間のドラマを楽しみにしてみている。
途中から見たのです。1度見るともう喧嘩ばかりの場面で見る気をなくしたのですが政治と絡んだ脚本に辛抱してみていると1970年前後の韓国社会がわかってきたのです。興味を持って見ています。
もう時計は8時42分です。
朝食をして外出の用意をします。
韓国ドラマ「ジャイヤント」の資料のホームページ
http://tv3.kandoracinemanews.biz/2010sbs/1000000012.html
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