『ジャッリカットゥ 牛の怒り』は、映画そのものと同じくらい、ご覧になった皆さんのツイートが面白いです。公式ツイッターに出るは出るは、感想でも洞察でも評論でも、「こりゃ凄い!」と思う文言がずらりと並んでいます。これみんな、英訳して監督&スタッフのところに送ってあげたい、でも、こんな過激なツイート、どういう英語に訳せばいいんだか...とか思っているうちに、ツイートはどんどんと日々増えていて、何だか映画のラストの人間タワーが築かれていく様を見るような思いです。
中には、前・東京国際映画祭プログラミング・ディレクター矢田部吉彦さんのツイートもあって、「『ジャッリカットゥ 牛の怒り』、まばたきやめたほど面白い。映画祭勤務時に見られなかったことは痛恨事だけど配給してくれたイメフォに心から感謝だ。動物パニックジャンルへのアート的回答、土着の迫力を剥き出しにする洗練された総合演出、神話への暗喩、何より未曾有の怒涛の映像に呼吸も止めた!」という、映画が乗り移ったようなド迫力ツイートで大感激。最後のくだりには思わず、「呼吸止めて死んじゃダメッ!!」と叫んだぐらいで、TIFF名物矢田部節のナマ音声で聞いてみたかったツイートでした。
©2019Jallikattu
ところで皆さんが度肝を抜かれている『ジャッリカットゥ 牛の怒り』はマラヤーラム語映画ですが、マラヤーラム語映画は1980年代にも、日本のアジア映画ファンを驚かせ、人気になったことがあります。それは、1982年の<国際交流基金映画祭:南アジアの名作を求めて>で上映された、『魔法使いのおじいさん』(1978/原題:Kummatty)という作品がきっかけ。今回タイトルにも使ったこの作品には、映画評論家の佐藤忠男氏がベタ惚れなさり、日本での上映時にも「いいでしょう、この映画!」と周り中の人に言っておられました。監督は今は亡きアラヴィンダン(G.アラヴィンダンとも。「G」はお父さんの名前「ゴーヴィンダン」の略だそうです。1991年に別世界に行ってしまいました...)。とっても無口な、仙人みたいな風貌の人で、漫画家としても知られており、欧米映画とも、それから当時トレンドになり始めていたインドのニューシネマとも違うテイストの作品を作る人でした。
アラヴィンダン監督(1988年)と『Kummatty』のポスター
翌1983年には、我々が開催した<インド映画祭>でアラヴィンダン監督の『サーカス』(1978/原題:Thampu)を上映し、その後1985年の<インド映画スーパーバザール>では『北回帰線』(1974/原題:Uttarayanam)、『黄金のシーター』(197原題原題:Kanchana Sita)、そして『エスタッパン』(1979/原題:Esthappan)を上映。これは後年、アジアフォーカス・福岡国際映画祭でほぼ全作品が上映されたり、川崎市民ミュージアムが作品を収蔵して<G.アラヴィンダン映画祭>を開いたりする活動に繋がったのでした。川崎市民ミュージアムは昨年の水害で大きな被害を受けたので、アラヴィンダン監督作品のプリントにもダメージがあったのでは、と心配しています。
『サーカス』(メイクを落としたピエロの老人と子供たち)
アラヴィンダン監督のほか、『ねずみとり』(1981/原題:Elippathayam)のアドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督の作品も、1980年代から90年代にかけて、日本のいろいろな映画祭でよく上映されました。映画祭上映の他、当時はNHKが「アジア映画特集」といったプログラムを組んでいて、結構な本数がテレビ放映されました。また、1990年から始まったアジアフォーカス・福岡国際映画祭では、佐藤忠男氏がディレクターであったこともあって、インド映画が相当な本数紹介され、中でもマラヤーラム語映画はアドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督の『従属する者』(1993/原題:Vidheyan)、ジャヤラージ監督の『神の戯れ』(1997/原題:Kaliyattam)、撮影監督としても知られたシャージ・N・カルン監督の『最後の舞』(1999/原題:Vanaprastham)等々、数多く紹介されたのです。それらの作品のうちのいくつかは、福岡市総合図書館や国立映画アーカイブに収蔵されているので、今後もしかしたら上映の機会があるかも知れません。
ベンガル語映画の巨匠ムリナール・セーン監督(左)とアドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督(1988年)
この1970~90年代のアート・フィルム系監督たちの活躍が、現在のリジョー監督らを生み出す土壌を作ったことは明らかでしょう。1996年から始まったケーララ国際映画祭とその母体となるケーララ州映画アカデミーの存在なども、商業映画以外の作品を撮る監督や映画人にとって、様々な支えになっていると思います。現在は、魔法使いのおじいさんの弟子ならぬ次々世代ぐらいの若手監督たちが、マラヤーラム語映画の可能性というか映画の可能性を広げようといろいろと試しているところで、お互いに助け合い、刺激し合って面白い映画を日々生み出しているようです。私の大好きな『Kumbalangi Nights(クンバランギの夜)』(2019)のマドゥ・C・ナーラーヤナン監督、『ナイジェリアのスーダンさん』(2018)のザカリヤ・ムハンマド監督、子供たちが主人公の『Kalla Nottam(偽りの目)』(2020)のラーフル・リジ・ナーイル監督らはコチ(コーチン)がベースで、結構仲がいいのだとか。『ジャッリカットゥ 牛の怒り』が日本で興行的に成功すれば、イメージフォーラムさんは続けて、活きのいいマラヤーラム語映画若手監督たちの作品を紹介して下さるかも知れませんので、期待しておきましょう。
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リジョー監督は1978年9月18日生まれの42才で、この世代も『ウィルス』(2019)のアーシク・アブ監督や、『Drishyam(光景)』(2015)のジートゥ・ジョセフ監督ら、商業的にも作品を成功させている達者な監督がいろいろいます。『ジャッリカットゥ 牛の怒り』で私が好きな点は笑えるシーンがいくつもあることで、特に赤シャツのシャングーが商店の店先からスナックの小袋をくすねてつまみ食いするシーンは、今思い出しても笑いがこみ上げてくるのですが、こういう遊びの部分が入っているのもリジョー監督の達者なところです。その他、娘の婚約式のメニュー検討をするクリアッチャンの、パントマイムも入れた妻との絶妙な呼吸のやり取り等々、下手なコント芸人に見倣わせたいシーンもあちこちにあって、牛追いの合間の彩りになっています。しかしながら、何度見てもわからない「?」なシーンもあり、寝たきり老人のところに現れる水牛は、あの世に近い者同士が見たまぼろしか、とか、いまだに謎です。いずれにしても、大迫力の作品ながら、とても繊細に作ってあり、細部まで観客を楽しませてくれる要素が潜む作品と言えそうです。
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『ジャッリカットゥ 牛の怒り』へのツイッターによるコメントでは、音楽やサウンドへの高評価も多く寄せられていますが、そのあたりの工夫を語った作曲担当のプラシャーント・ピッライのYouTube動画がとても面白いです。ちょっと長いのですが、わかりやすい英語ですし、ご興味のある方はぜひアクセスしてみて下さい。このプラシャーント・ピッライ、いろいろおしゃべりしたい人のようで、下のような短い動画もアップしています。「♫ジージージージー....」のあの歌が話題ですので、スタジオの録音風景など、ぜひ覗いてみて下さいね。
Ge Ge Ge Ge Gee Jallikattu BGM - What is it? How was it made?
いろいろに楽しめてしまう『ジャッリカットゥ 牛の怒り』、公式サイトはこちらです。この公式サイトの黒いバックに赤字の「牛」というヴィジュアルが、黒澤明監督の『乱』のオープニングタイトルへのオマージュだ、と見抜くなど、日本の観客の皆さん、もう凄すぎます!!