1月13日(土)に日本映画アーカイブの2FホールOZUで上映された、1948年のインド映画『カルプナー』。「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」というプログラムの中の1本で、メインはイタリア映画で他もほとんどが欧米作品だったため、インド映画は入りがどうかな、と心配していたのですが、結構たくさんの方が見に来て下さってました。この日は上映終了後に、イタリアのベローナにあるチネマ・リトロバートの研究員チェチリア・チェンチャレッリ氏の講演があり、作品に関する解説と共に、今回の上映に使われたレストア版の修復作業に関する解説もあり、修復前のネガやポジの写真も提示されて、とても興味深かったです。チェチリアさんのイタリア語はとても明確で、イタリア語がわかればよかったのに、と、通訳さんの音声が聞き取りにくい耳の持ち主である私はとっても残念でした。会場の音響はピカいちで、映画の上映時「あっ、ここのセリフで”ヌール”っていう友人の名前を言ってる! 訳出すればよかった!」「ネットに唯一上がっていたこの歌の歌詞、”Bharat Jai Jan(インド万歳、人々よ)”は”Bharat Jai Jai(インド万歳、万歳)”の間違いだろうと思っていたけど、ちゃんと”Bharat Jai Jan”と歌ってる!」とか、自宅のパソコンのスピーカーでは聞き取れなかったセリフや歌を明確に耳にできたのですが、マイクを通した肉声になると私の三半規管はとたんに聞き取り精度が落ちるのです。年は取りたくないですねー。その歌のシーンが一部、YouTubeにアップされていましたので付けておきます。
Kalpana - 1948 - Bharat Jai Jan Bharat
そんな『カルプナー』ですが、いくつか疑問がありまして、それをちょっとメモっておこうと思います。
<疑問①>なぜマドラス(現チェンナイ)の映画会社ジェミニが製作したのか?
©National Film Archive of India(NFAI)
上写真は、ジェミニのトレードマークです。Geminiはご存じのように「双子座」の意味ですね。というわけで双子の男児が高らかにラッパを吹き鳴らす、というのが映画会社ジェミニのオープニング・ロゴになりました。上の写真は、日本で1954年に公開された『灼熱の決闘』(1951/原題:Chandralekha/タミル語映画だがヒンディー語吹替版が上映されたと思われる)のオープニング部分ですが、『カルプナー』ではこのロゴは登場せず、2分20秒ぐらいのところにうっすらと、ラッパを吹く双子の男児像を斜めから描いたスケッチが登場して、それに「Produced at Gemini Studios / Madras」という文字が被るだけです。この処理も、ジェミニの他作品とは違うので、なぜわざわざ南インドに行ってマドラスで作ったのだろう? しかも、ジェミニの他作品とは扱いが違うようだ、と疑問に思っていたのでした。これは調べてみると、ヨーロッパから戻ったウダイ・シャンカルが舞踊団を率いてインド各地を回り、その時にマドラスのジェミニ社とも邂逅し、映画製作の話がまとまったようです。この『カルプナー』が『灼熱の決闘』のラスト近くに出てくる壮大なダンスシーンに影響を与えた、と書いている人もおり、ジェミニとの関係はもう少し調べてみたいと思っています。
<疑問②>クレジットに登場するヒンディー語文学者たち
©NFAI
オープニング・クレジットでは、もう一つびっくりすることがありました。1分45秒ぐらいに出てくるクレジットに、次のように書かれていたのです。
Dialogues: Amritlal Nagar
Lyrics: Smitranandan Pant/ Bhil Folk Songs Devilal Samar
アムリトラール・ナーガル(1916-1990/下の写真)は多くの文学作品を世に出した高名な文学者で、ラクナウのチョウクと呼ばれる地区に長く住み、「チョウク、ナーガル・ジー(チョウクのナーガルさんのとこ)」と言うだけでリキシャは家まで行ってくれた、とヒンディー文学の先生に教えていただいたことがあります。Wikiによると、「1940年から1949年にかけて、彼はボンベイ(現ムンバイ)やコールハープル、そしてマドラス(現チェンナイ)の映画界で、脚本やセリフの執筆に従事した。彼は、ある言語の映画を別の言語に翻訳するスキル等、映画の吹き替えに関わった先駆者の 1 人だった」とのことで、その中の1本が『カルプナー』だったようです。ナーガル・ジー、そうと知っていれば1970年代末にラクナウに行った時、先生に紹介していただいてお目にかかっておいたのに...。と、私の人生に「後の祭り」がまた一つ増えました。
スミトラーナンダン・パント(1900-1977/下の写真)もまた、「チャーヤーワード(陰影主義)」と呼ばれた神秘的でかつ浪漫的、象徴的な傾向の詩を書いて当時の詩人たちをリードした文学者で、長髪の知的な容貌がひときわ目を引く人でした。映画の歌の作詞までしていたとは、と驚いたのですが、『カルプナー』のWikiでは、「Bhil folk song」の所にだけパントの名前が作詞欄に書いてあるので、パントの詩を借りたのでは、と思われますがちょっと不明です。ビールというのは西インドのグジャラート州、ラージャスターン州、マハーラーシュトラ州、マディヤ・プラデーシュ州、チャッティースガリー州にまたがって居住する民族集団で、現在は指定部族にされています。独自の豊かな芸能を持っているようで、映画の中ではどの歌が該当するのかはわからないのですが、こんなところでパントの名前に出会うとは、とこちらもびっくりでした。
<疑問③>映画の題名が『Kalpana』なのになぜ『カルプナー』という邦題になったのか。『カルパナー』ではないのか?
これは皆さんが疑問に思ってらっしゃる点だと思いますが、「कल्पना」は「カルパナー」ではなく「カルプナー」と発音するのが正しいのです。その理由は、単語の最後が長母音になる場合、その1つ前に短い母音[a]の字があれば、その字は子音のみの発音となる、という規則があるからです。例えば、よく使われる一般的な単語で見てみると;
・कमरा(部屋)そのままローマナイズ kamara ⇒ 発音「カムラー(kamraa)」
・लड़की (女の子)そのままローマナイズ ladaki ⇒ 発音「ラルキー(larkii)」
最近、インド映画好きの人たちがこの法則を無視して、というか知らないまま人名などを表記するため(例:Kangana Ranaut「カンガナー・ラーナーウト」/正しくは「カングナー・ラーナーウト」)、困ったなあ、と思っていたのですが、ローマナイズをそのままカタカナにするとこういう間違いが起こってしまうのです。今回は『カルプナー』と正しく表記していただくことができたのですが、ヒンディー語のローマナイズはデーヴァナーガリー文字をそのまま置き換えただけなので、発音には則していない、実際の音とは違う部分がある、ということをわかっていただけたらと思います。ヒンディー語が専門の人でも先日会った時に『カルパナー』と発音していたので、どうしてもローマナイズに引きずられるのね、と思ってちょっとがっかりしたものの、日本語の「ら抜き言葉」のようにインドでは現代っ子がそう発音するのかも、と思い、町田和彦先生に確かめたところ、「いえいえ、正しい発音はやはり”a”音が落ちる形のものですよ」と教えていただき、安心しました。インド人がローマナイズする時に発音に則してやってくれると一番いいのですが、やはりそうはいかないみたいです、てか、そんな細かいこと誰も気にしていないようです(笑)。でも、日本でも「神保町」のフリガナは「じんぼうちょう」で「じむぼうちょう」ではないので(ローマ字はMになっている)、発音と文字が乖離することがあるのは仕方ないですね。
©NFAI
ちょっと堅苦しいことを書いてしまいましたが、『カルプナー』の上映はあと1回、1月30日(火)15:00にもありますので、ぜひご覧下さい。チケットは3日前の正午から、こちらのサイトの「オンラインサービス」でご購入になれます。インド舞踊と空想の世界に飛び込んでみて下さいね。