アジア映画巡礼

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インド映画『祈りの雨』ラヴィ・クマール監督(上)

2013-10-29 | 映画祭

今年のTIFF、皆さんはいかがでしたか? 期間中にまとめられなかった『祈りの雨』のラヴィ・クマール監督のご紹介、2回に分けてアップします。今回はまず、作品紹介と、10月22日(日)の上映終了後のQ&Aをどうぞ。

『祈りの雨』 (Bhopal -A Prayer for Rain)は、インド中部にある町ボーパール(またはボパール)で、1984年12月3日深夜にユニオン・カーバイド工場が起こした有毒ガス洩れ事故により、約1万人の死者が出た事件を描いています。詳しくはWiki「ボパール化学工場事故」の項目をご覧頂ければと思いますが、農業用殺虫剤を作るためのイソシアン酸メチル(MIC)の3基のタンクに水が流入するミスが発生、それによって生じた有毒ガスが煙突から排出されて町に拡散し、多くの人が亡くなったものです。工場は居住区に隣接しており、多数の住民が住む方へ煙が流れたため、その夜だけでも数千人が亡くなったと言われています。事故当時、写真家ラグ・ラーイが撮った埋葬される赤ちゃんの写真(右へクリックしていくと出てきます)が世界に衝撃を与え、人々の涙を誘いました。

ボーパール事件に関してはこれまで様々なドキュメンタリー映画、あるいはドキュドラマが作られてきました(例えばBBCの番組など)が、本格的な劇映画は多分この作品が初めてだと思います。今回ラヴィ・クマール監督は、インドとイギリスの会社から資金を得て、ユニオン・カーバイド社社長ウォーレン・アンダーソン(マーティン・シーン)、フランス誌のジャーナリストであるエヴァ・コールフィールド(ミーシャ・バートン)、ボーパールの地元紙のジャーナリスト、モトワーニ(カル・ペン)、リキシャーワーラー(人力車曳き)からユニオン・カーバイド工場の労働者になるディリープ(ラージパール・ヤーダウ)らが登場する壮大なドラマに仕立てました。もちろん社会派の作品ではあるのですが、サスペンスを盛り込んだ手に汗握るドラマともなっています。特に、ディリープが妻リーラー(タニシュター・チャタルジー)と共に妹の結婚式を執り行っている最中にガス洩れ事故が起きるシーンは、緊迫感に溢れていて息を呑みます。予告編はこちらです。

上映終了時には大きな拍手が起きた『祈りの雨』、続いてラヴィ・クマール監督を迎えてのQ&Aが始まりました。司会兼通訳は、TIFFのアジア映画ではお馴染みの松下由美さんです。

松下由美(以下、松下):拍手は、映画を気に入っていただけた、ということでしょうか、と監督はおっしゃってます(さらに大きな拍手)。ラヴィ・クマール監督はボーパール近郊で生まれ、医学を勉強したあとイギリスに移り、現在ロンドンで小児科医をしていらっしゃいます。まず、監督からのご挨拶を。

ラヴィ・クマール監督(以下、監督):今日は映画を見て下さってありがとうございます。主演のマーティン・シーン、ミーシャ・バートン、カル・ペンが来られなかったことを申し訳なく思っています。キャストやスタッフを代表して、私からお礼を申し上げたいと思います。今回の上映は、とても意味のあることです。というのも、インドも日本も、こういった化学工場の事故というものを経験しており、それを共有できるからです。我々にとって、日本での上映は大変重要な意味を持ちます。

松下:この作品は、これまで日曜監督だった、小児科医が本職であるラヴィ・クマール監督の第1作としてはビック・プロジェクトだったのではと思います。マーティン・シーンはアメリカ映画でよく大統領役などをやっている人ですし、カル・ペンはインド系アメリカ人の俳優で、実はオバマ政権のPRの仕事をしたりしています。まず、この配役についてうかがってみたいと思います。

監督:私はこの事故に関して書かれた本を何冊か読んだのですが、そのうちの1冊などは、まるでスリラー小説のようでした。これは映画化に向いていると感じたのです。ちなみに私は映画学校には行ったことはなくて、週末に短編映画を撮ったりしていました。
映画を作るにあたって、最初はジャーナリストを主人公にして脚本を書こうと思ったのですが、そのモデルになった人は今も元気でいて、被害にあった人ではない、ということと、彼は事故後工場には入れていないため、これでは心理的に距離感があるのでちょっとダメだな、と思いました。
主役にしたディリープは、彼に該当する人がいて、話が聞けました。映画の中ではディリープは死亡しますが、モデルになった人は生存していて、まるで自分が事故を起こしたかのようにわが身を責めていました。事故を起こしたユニオン・カーバイド社は謝罪をしていないのに、ユニオン・カーバイド社に代わって彼が傷ついている、という感じでした。それを見て、この人が主人公であれば映画ができると確信しました。
俳優を見つけるのは楽でした。というのも、一度話を聞いてもらえたら、ぜひ出演したいと皆さん言ってくれたからです。
この映画は、1980年代以降に生まれた若い人に特に見てもらいたいです。ユニオン・カーバイド社の事故のことを知らない人たちにね。忘れてしまうと、事故、過ちはまた繰り返す、と言われていますので、その教訓を学んでほしいのです。
産業界における化学的事故というのは、共通点を持っています。エクソンバルディーズ号の原油流出事故もそうですが、まず人為的なミスがあったこと、そして企業内の管理に問題があったこと、こういったことはすべてボーパール事件にも共通するものです。そういうパターンから学べるものがあるのでは、と思います。

Q:すばらしい映画をありがとうございます。質問が2つあります。
まず、マーティン・シーンが演じた社長ですが、決して単純な悪役とはなっていません。工場の視察シーンなどでも、彼自身が真摯なものを持っている、という風な描き方がしてあるのはなぜでしょうか?
もう一つは、主人公の妹の結婚式と事故とを重ねていますね。これはどうしてですか?

監督とても大事な質問ですね。ユニオン・カーバイド社のアンダーソン会長を007の悪役のようにはしなかったのは、そうすると信憑性のない、現実味のないキャラクターになってしまうからと、プロパガンダ映画になりかねないという危険からです。アンダーソンに限らず、我々は若い時には理想に燃えていますよね。最初は社会主義的な思想を持っていたのが、だんだん共和党的になると言うか、保守的になっていくわけです。
アンダーソンと我々には違いはないと思いますが、違いがあるとすれば、彼は謝らなかった、という点でしょうか。ユニオン・カーバイド社は一切謝罪をしていません。
私がこの映画を作った大きな理由は、まだ終止符が打たれていない問題なので、それを映画によってけじめをつけたいと思ったのです。この映画は、誰が悪かったのか、と責めるために作ったのではなく、何が間違いを引き起こしたのか、という点を検証したいがために作ったのです。

2つ目の質問ですが、実はこの事故が起きた夜に、人々が住んでいるエリアで実際に結婚式があったのです。それで人が集まっていて、さらに死傷者が増える結果となりました。映画の中では描きませんでしたが、駅や、それから病院でもいろんなことが起きていました。全部盛り込むことはできなかったので、結婚式を中心にしたのです。

Q(英語による質問):とても感動しました。ご自身が小児科医ということで、医学的な正確さを期すために、医学コンサルタントの監修などはしてもらったのでしょうか?

監督:監督として、医師として、正確を期すことは医学的にも化学的にも重要だと思ったので、ボーパール在住の医師に監修をお願いしました。病院のシーンでは、私の手が何度か出演しています。注射を打つシーンとかは医師免許がある人しかできないので、私の手が出演しているわけです(笑)。

Q:昨年観光旅行で近くの町サーンチーに行ったのですが、その時ボーパールに泊まりました。今でも、1980年代に科学事故が起きた町というイメージが強いですね。監督は事故が起きた時にボーパールにいらしたのですか? それともイギリスに? その日1万人が亡くなったそうですが、その後後遺症で亡くなった人は何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか?

監督:私が住んでいたのはボーパールから約200キロ離れた町なので、近くにいたというわけではありませんが、事件当時はインドにいました。あの事故による死亡者は、数をあげてもあまり意味はないと思います。1人だとしても、それは貴重な命に変わりはないですからね。
工場の近くに住んでいた人は、住民登録などしていない人も多かったので、はっきりした数は把握し切れていません。3,000人から10,000人の間と言えるでしょうか。
死亡者の数との関連で言いますと、ブリティッシュ・ペトロリアムのメキシコ湾原油流出事故での死亡者は11名で、海の掃除等を含む全体の補償金は420億ドルだったと言われています。1989年のエクソンバルディーズ号の時は、補償金は42億ドルが支払われました。この時は、死亡者はゼロです。ところがユニオン・カーバイド社の事件では、死亡者1人に対し、300ドルの見舞金が支払われたのみでした。

Q(英語による質問):個人的なことをお聞きしたいのですが、週末に短編を作っていたフルタイムの小児科医が、いかにしてこのような長編映画を撮って、TIFFでプレミア上映をするまでになったのでしょうか?

監督:今はもう、私には余暇の時間は全然ありません。老ける一方です(笑)。これまで5年間、パートの小児科医として週42時間勤務してきました。それで時間を作れて、短編を撮っていたわけです。
私は今、監督と名乗っていますが、私の脚本を信じて投資してくれた人々を始め、才能のある人が集まってくれて、この映画が可能になったのです。インドではサハラ・エンターテインメントという大きな映画製作会社が関わってくれましたし、プロデューサーとしてワーナーのスティーブ・クラーク・ホールなども参加してくれました。また、編集や効果などの担当者も、大変腕のいいスタッフが集まってくれました。
私の短編映画がベルリン国際映画祭やヴェネチア国際映画祭で上映されていたので、それによって信頼を得ていた、ということもあります。それらの作品も、涙を誘う作品だったんですよ(笑)。

  

 Q(英語による質問):この映画は本当に大事なテーマを伝えてくれていますね。俳優たちはこの映画の意義というか重要性を知った上で参加したのでしょうか? どのようにキャストが決まったのか、教えて下さい。

監督:まずマーティン・シーン氏ですが、彼は政治的、社会的活動を盛んにやっている人です。思想的には左寄りの人ですが、彼が最初にOKしてくれて、それで彼が核となって他の人が集まってくれました。映画を勉強している人や、映画を作る人に伝えたいのは、まずは脚本、脚本がしっかりしていれば人は集められます。
実は、ピーター・フォンダとかマイケル・ダグラスとかにもオファーを出したのですが、インドに一定期間行って撮影するというのはいろいろな調整が必要となるので、すぐに返事がもらえませんでした。それに対してマーティン・シーン氏は、オファーしてから24時間でOKしてくれたので、即彼にお願いしたわけです。編集の段階でも見て下さって、脚本についても有用なアドバイスをして下さいました。

 松下:音楽について、ちょっと変更があるんですよね。

監督:歌手のスティングが気に入ってくれて、このあとの劇場公開の時は、彼がラヴィ・シャンカルの娘のアヌシュカ・シャンカルと共演した音楽が使われる予定です。YouTubeにもアップロードする予定ですが、素晴らしい曲ですよ。
あと、配給の側からの依頼で、他にも変更があります。最後のシーン、女性ジャーナリストが何年後かにアンダーソン会長を問いつめるシーンは、カットされる予定です。このシーンに関しては、アングロサクソン系の人々にとってはあまりにもドラマチックすぎるというので、ちょっとトーンを抑えようということになりました。

ここで松下さんが、「あのシーンがあった方がいいと思う人?」と会場の観客に尋ね、監督が「ない方がいいと思う人?」と手を挙げさせたところ、会場はほぼ半々の結果に。というわけで、最後は「アメリカは民主主義の国で、大事な市場だしね」と監督がつぶやき、続いて「皆さんもこの作品をぜひ口コミで広めて下さい。今日は見て下さってありがとう」としめくくってQ&Aは終了となりました。

  

 


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