12月9日(金)から本日まで、日本各地で<中央アジア今昔映画祭2022>が開催されていました(公式サイト)。東京ではユーロスペースが会場となり、12月10日(土)~30日(金)の開催だったのですが、ほかに仙台、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島でも開催というこの映画祭、インド映画『裁き』(2014)を公開して下さった配給会社トレノバの主催でもあるので、今年はちょっと覗いてみました。この映画祭の知恵袋(?)的存在が梶山祐治さんという筑波大所属の方のようで、ロシア・中央アジア映画が専門の方だとか。映画祭パンフによると、「中央アジア」の定義は旧ソ連のカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンの5カ国で、それに文化的にも近い中国の新疆ウィグル自治区やアフガニスタン等も含まれる、ということのようです。「~スタン」の付いた名前が多いですが、これはヒンディー語の「スターン(sthan/場所)」と同じ語源と思われ、「~の国」という意味ですね。キルギスも、1991年の独立当初は「キルギスタン」と名乗っていたのですが、1993年に「キルギス」に改称、でも「キルギスタン」も別称として認められています。
今回の上映作品は7本で、そのうち3本を見たのでちょっとメモを書いておこうと思います。ストーリーはネタバレ満載なので、将来これらの作品を見ようと思っている方は読まないで下さいね。
『不屈』
ウズベキスタン/2018年/ウズベク語/カラー/78分/原題:Sabot
監督:ラシド・マリコフ
出演:カリム・ミルハディエフ、セイドゥラ・モルダハノフ、ベクゾド・ハムラエフ、ニゴラ・カリムバエワ
主人公は、サイドゥラという初老の男。草原の小さな一軒家に、犬のランボーと共に暮らしています。勤務先は中学校で、もう少し若い教師と共に体育の授業を受け持っているサイドゥラは、かつてアフガニスタンで戦った強者でした。彼の日常には、時としてアフガン時代の戦友シャラプの亡霊が現れます。また、サイドゥラには息子がいるのですが、母親が亡くなったのは父親のせいだと固く思い込んでいて、同じ村に住んでいるのに、サイドゥラが家の前まで行っても孫と会うことも拒否するかたくなさでした。そんな時、サイドゥラの体調が思わしくないのを見てとった女性校長は彼に検診を勧め、そこの医師の提言で、サイドゥラはタシケントまで行って精密検査を受けることになります。その機会にサイドゥラは、役所の所長となっているアフガン時代の部下に会って、学校への水の支給が滞って校長が苦労していることを話し、「賄賂が効くと聞いているが、その仲立ちを頼む」と依頼します。お陰でその後、学校は水不足から解放されましたが、誰もそれがサイドゥラと彼の出したお金の効力とは知りませんでした。
そんなアフガン時代の絆が強く残っているサイドゥラでしたが、実はずっと心にかかっている事件がありました。それは戦友のシャラプが殺された事件で、元はと言えば上官のサルタナトがアフガン・ゲリラに銃弾の横流しをしており、そのせいで起きたとも言える出来事でした。いつかサルタナトに復讐し、真実をシャラプの妻に伝える、という決意を抱きながらもなかなか実行に移せなかったサイドゥラは、自分が肺ガンで余命宣告を受けたのをきっかけに、シャラプの妻を訪ねて長年の懸案を実行に移そうとします...。
控えめな表現の中に、頑固な男の生き様が徐々に浮かび上がるという秀作でした。主人公を演じたカリム・ミルハディエフの、潤いをそぎ落としたような演技が素晴らしく、相棒の犬ランボーも名演技でとてもチャーミング。アフガニスタンの描写にあまりリアリティがなかったり、女性たちの描き方がいまひとつだったりと不満はあるものの、見応え十分の作品でした。疑問点もいくつかあるのですが、それは多分、私のウズベキスタンに関する知識が貧弱だから、というせいもあるのだと思います。サマルカンドとブハラのあるウズベキスタン、いつか行ってみたい所ではあるのですが、
اگر آن ترک شیرازی به دست آرد دل ما را
به خال هندویش بخشم سمرقند و بخارا را
(もしもあのシーラーズの美女が私の心を受け入れてくれたら、その黒いほくろにサマルカンドもブハラも捧げよう)と詠ったハーフィズも行けなかったので、まあ、いいか、です。『不屈』の短い予告編があるので、付けておきます。
Sabot (treyler) | Сабот (трейлер) #UydaQoling
『ゆすり屋』
カザフスタン/2007年/ロシア語、カザフ語/カラー/80分/原題:Reketir
監督:アカン・サタエフ
出演:サヤト・イセムバエフ、ムラト・ビセムビン、アセリ・サガトワ、サケン・アミノフ
「カザフスタンの新しい大衆映画を代表する監督アカン・サタエフの出世作。ソ連解体から独立の大きな変動期に拳ひとつで道を切り開いていく主人公の姿が若者に熱狂的に歓迎され、大ヒットを記録」とあったので楽しみにしていた作品だったのですが、私があまり好きではない「主人公が語って説明してしまう映画」だったため、大幅に減点。最初から最後まで主人公のモノローグが続き、ラストで襲われた主人公が血まみれのまま駐車場のアスファルトに仰向けになり、空を仰いで自らの人生を振り返るモノローグで幕、というこの最後のシーンを使いたいがために全編モノローグにしたのではないか、と恨んだほどでした。主人公のサヤン(サヤト・イセムバエフ/タイトル下写真右側のサングラス姿)と、その兄貴分であるボスのルスラン(ムラト・ビセムビン/上写真右)はモンゴロイド系のふてぶてしいいい顔で、ガタイもよく魅力的だったんですが、もっとまともな芝居をさせてほしかったです。エンドロールに被さる音楽がラップ調で、そういった新しさも若者に刺さったのかな、と思います。予告編は正規のものが見つからず、パス。
『白い豹の影』
ソ連/1984年/ロシア語、キルギス語/カラー/128分/原題:Potomok Belogo Barsa
監督:トロムーシ・オケーエフ
出演:ドフドゥルベク・クィドィラリエフ、アリマン・ジャンゴロゾワ、ドスハン・ジョルジャクスィノフ、アシル・チョクバエフ
ストーリーがいまいちよくわからず、上写真のようなすごい自然の中で繰り広げられるアクションシーンを唖然として見ていただけ、という感じでした。ラストも因果応報を表すものだとしたら、ロシア正教よりも仏教に考え方が近いのかしら、とか思ったりし、この映画で描かれる「古来より余計な殺生をせず暮らしてきた白豹族」の東洋っぽさを考えた作品でした。これも古い作品のせいか、予告編見つからず。
というわけで、いろんな国のいろんな作品を見せてもらえた<中央アジア今昔映画祭>でした。パンフレットを読み直して、来年はもっと理解度を深められるよう勉強しますね。