実話を元にした作品で、実話の主人公であるパキスタン系青年が脚本を書き、主演もしてしまった、という面白い映画があります。今年のアカデミー賞脚本賞にもノミネートされている、『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』です。インド映画ではないのですが、インド映画ネタも登場する興味深い作品なので、ちょっとご紹介をば。まずは作品のデータをどうぞ。
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『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』 公式サイト
監督:マイケル・ショウォルター
主演:クメイル・ナンジアニ、ゾーイ・カザン、ホリー・ハンター、レイ・ロマノ、アヌパム・カー(正しくは”ケール”)
配給:ギャガ GAGA
※2月23日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国公開
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上写真の真ん中が、アヌパム・カーと書かれてしまっているアヌパム・ケールです。ボリウッド(インドのヒンディー語映画界)の名脇役ですね。Anupam Kherと綴るのですが、Kherを「カー」とはかなり苦しい読み方で、アメリカ人ならむしろ「ケー」と読むのではないでしょうか。でも、ずっと前、どの映画かの配給会社が(ひょっとして、『ベッカムに恋して』が2003年に公開された時?)「カー」と表記してしまったので、以後訂正してしまうと検索などで引っかからないため、仕方なく皆さん「カー」と表記しているようです。正しく「ケール」と表記して下さる勇気ある配給会社さんが今後出てきてくれることを祈りますが、彼は主人公の父親役です。主人公は右側にいるクメイル(クメイル・ナンジアニ)で、左側に座っているのは兄です。
クメイルはパキスタン生まれで、小さい頃に家族でアメリカにやって来ました。大学を出た彼は、両親からは弁護士になれと言われているのですが、彼の夢は一流のスタンダップ・コメディアンになること。そのため一人暮らしをしながら、小さなライブパブのステージに立っています。ほかに収入を得る手段としてウーバー(余談ながら、UberのCEOはイラン系アメリカ人のダーラー・コスローシャーヒー氏)の運転手もやっているのですが、そんな彼が出会ったのはアジア系ではない、若い白人女性エミリー(ゾーイ・カザン)でした。エミリーと親密な関係になったものの、毎週家に帰るたびに偶然を装ってパキスタン系の若い女性を次々と紹介する母や、イスラーム教徒の相手しか認めない父に言ったら絶対に大反対される、と秘密にするクメイル。ところが、母に押しつけられて会った女性たちの写真がエミリーに見つかってしまい、2人の仲は決裂しました。
しかしながら、エミリーが突然倒れ、彼女の友人から面倒を見てほしいと頼まれたクメイルは、病院に駆けつけます。エミリーの家族は離れた場所に住んでいるため、クメイルが治療承諾書にサインすると、治療法の一環としてエミリーは昏睡状態にさせられてしまいます。実家からかけつけたエミリーの両親(ホリー・ハンター、レイ・ロマノ)も動転してしまい、クメイルは彼らと一緒にエミリーを見守ることになるのですが、彼女はなかなか昏睡から覚めません...。
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映画の核となっているのは、クメイルとエミリーの恋、そしてエミリーの両親(上写真の左の2人)とクメイルとの心の交流です。この両親、こう言っては何ですが、どちらもちょっと変わり者。特にお母さんはエキセントリックな人なのですが、クメイルに対しての偏見とかはまったくなく、それはお父さんも同じ。そんな両親、特にお母さんが、クメイルと接することで彼女自身も変わっていくという柔軟な人に描かれていて、とてもチャーミングです。一方のクメイルの両親はというと、前述のように同じパキスタン出身のイスラーム教徒の娘しか眼中にない、という、頑固な人物として描かれます。多分にカリカチュアライズされていて笑えるものの、エミリーの両親に比べると「遅れてる」感がありあり。クメイルを演じたクメイル・ナンジアニの両親がモデルになっているんでしょうね。このあたりにマサラ風味が漂う作品なのでした。
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最初にも書いたように、これはクメイル・ナンジアニ、ウルドゥ語での発音は「クメイル・ナンジヤーニー」が実際に体験したことを描いています。『ビッグ・シック』のプロデューサー、ジャド・アパトーがある作品に端役で出演していたクメイルに光る才能を見出し、話しているうちにこの体験談を聞いて、「映画にしないなんてありえない!」と説得したのだとか。クメイルは妻のエミリー・V・ゴードンと共同で脚本を書き、それがアカデミー賞候補になっているのですから、人生どう転ぶかわからないものですね。『ビッグ・シック』をご覧になれば、この2人の体験の特異さがよくわかり、「人生どう転ぶかわからない」感がアップすると思います。
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この作品はアメリカでもヒットしたそうなのですが、マスコミ試写のプレスに載っていた町山智浩さんの解説文によると、ここ最近の、インド&パキスタン系コメディアン・ブームがその背景にあるのだとか。長いので印パ系コメディアンと言ってしまいますが、そういえば数年前、カナダで活躍する印パ系コメディアンの動画をよくYouTubeで見ていて、次々繰り出される自虐ネタに笑った覚えがあります。上の写真は、クメイルが芸を披露するパブで共に舞台に立つ仲間たちですが、こういう中に印パ系の人がいても違和感がないのが今日のアメリカなのでしょう。町山さんが引用している彼らのジョークに、「うちの親父は成績オールA以外許さないんだ。俺の血液型がBだと知って勘当しようとしたよ」というのが書いてありますが、実際印パ系の人々にはB型が多く、それが「口が達者」という性格を形作っているのだ、というのは友人の血液型研究家の話。コメディアンには向いていると言えます。IT技術者の次は、印パ系の人はコメディアンとしてアメリカで地歩を築いていくかもしれません。
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ところで、『ビッグ・シック』の中のインド映画ファクターは? インド映画ファンの方がご覧になる時の楽しみがなくなるのでそれには言及しませんが、1つだけ疑問に思ったことがあるので書いておきます。クメイルの両親は結婚前に一緒にボリウッド映画を見に行って、それで結婚を決めたそうなのですが、その映画題名が本作の最後の方で明かされます。期待してそのセリフを待っていた私の耳に飛び込んできたのは、『サッテー・ペー・サッター』という題名。へ?
『サッテー・ペー・サッター(Satte Pe Satta)』(1982)の意味は「7の上に7」で、MGMの有名なミュージカル映画の焼き直しです、といえば、古き良き時代のミュージカル映画がお好きな方はすぐおわかりでしょう。そう、『略奪された7人の花嫁(Seven Brides for Seven Brothers)』(1954)ですね。元の映画は私の好きなラス・タンブリンも出ていて、ダンスシーンが見応えのある開拓時代ものミュージカルだったのですが、その設定をパクった『サッテー・ペー・サッター』は、アミターブ・バッチャン&ヘーマー・マーリニー主演作ではあったものの、それほどヒットした作品ではありませんでした。どうせ見に行くなら、もう少しましなアミターブの映画があったでしょうに、と思ってしまいましたが、これも実際のクメイルの両親がその時に見た映画なのかもしれません。
というわけで、映画としてもしっかり楽しめ、アメリカの現実もとっくりわかり、マサラ風味もちょっぴり味わえる『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』、春休みにぜひどうぞ。