豆まきに、どれほどの思い入れがあるか?
というと、結婚するまではまったくピンとこなかった、というのが正直なところ。
なかなかに不思議な行事だとは思っていたけれど。
毎年毎年、わが奥さまが「豆まき」を楽しみにしていて、
実際、うれしそうに豆をまく姿を見て、
それでようやく「ふうむ。これって、ひょっとして、たいせつなことなのかも?」くらいには思うようになって。
「豆まき」そのものを楽しみにしている人たちがいて、
それが一大行事であるということは、もちろん知ってはいる。
だけど「豆まき、かくあるべし!」というような、明快なカタチが
自分のなかにはない。
なんか、こう、ちょっとぼんやりしている。
一方で、全然馴染みのない「恵方巻」なんかを押し付けてくる
ある種の流れが長らく続いていることに、近頃は嫌悪感さえ抱いたりもして。
なにを言いたいのか?というと、
「豆まき」にだって、どこかに「本当の本当」があるのではないか?
と思っているのである。
風邪をひいた。
1月の終わりに。
すでに快癒し、落ち着いているが、
昨年秋に派手に気管支をやられているので、
このところ自重していたつもり。
それで風邪をひいてしまったのだから、
なんとも迂闊だったとしか言えない。
だいぶ反省してます(^_^ゞ
せっかくの週末を、まるっきりだいなしにした。。。
とまでは言わなくても、やりたいことの半分もできないで、
無為に過ごした気分でもあり、
どうにもスッキリしない。
その気分は自分の「風邪」のせいというだけではない。
巷を騒がせている「コロナウィルス」のせいもあるんじゃないか?って思っている。
ただの風邪なので、コロナウィルスや
毎年のインフルエンザとはだいぶ違うのだけど、
問題は用心していたのに。。。というところにある。
「コロナウイルス」に関連する報道には、なにかしら思うところがある。
でも、なにをどう考えたって、僕から出せる新しい情報があるわけじゃない。
被害がなお拡大中の未知の細菌がもたらしていることが、
どうにも気持ち悪い。
その「気持ち悪さ」がマスゴミのせいだけでないってところが。。。
よくある「妄想」「虚言」の類いに自動的に振り分けられそうなのだが、
自分の発想が「妄想」「虚言」であるなら、本当にそうであってほしいとも思う。
とても健全とは言いがたいから。
いやいや。
自分の中でごちゃごちゃしている、形にならない不安を
むやみに増幅するような、そういう発想はよろしくない。
節分。
どういうわけか、このタイミングで、
豆をまくことは祈りなんだってことを僕は初めて知ったような気分でもある。
そんなこともあってか。
今年は、盛大に豆をまきました。
玄関に、台所に、寝室に。。。etc,.
そして、さっちゃんはやっぱりうれしそうに豆をまく。