姫路で開催されていた「本歌取り」という展示はなかなか壮大な様子で、できることなら行ってみたかったのだけど、まことに残念ながら、姫路までは行けず(´ε`;)
ただ、その展示の「東下り」ということで、別趣の展示を渋谷で開催しているとのこと。
天気のよい秋のある日に、行ってまいりました(≧∇≦)b
展示「本歌取り」そのものとはだいぶ様子は違うようなのだけど、「本歌取り」の「本歌取り」みたいな、セルフ・リプロデュースな雰囲気なのかな?「東下り」というのも、なかなかシャレが利いてる(*‘ω‘ *)
見ることの叶わなかった現地ならではの展示に思いを馳せつつも、松濤美術館の雰囲気とともに、なかなかスリリングな時間を過ごした。
一点、一点について、なにか簡単に語るという風にはならないのだけど、杉本博司氏の独特な作品世界は、渾然一体となっているようで、実はいくつかのフェーズに分けて見ることができる。
というか、別々の「きっかけ」から生まれている作品群があって、その発生グループ別に見てきたことを意識すると、様々な「きっかけ」から生れた作品たちが一堂に会することから生まれるダイナミズムというのが確かにあって、見る前にぼんやりイメージしていたような予定調和を軽く乗り越えたところから作品を見直すことになる。
ひと通り見終えたあとには、ひとつひとつの作品の静けさというか、静謐さとはまったく正反対と言えるような、不思議なエネルギーに満たされた感覚になる。
時に、シャレが利きすぎているなぁと苦笑してしまうこともあるのだけど、そのシャレを飛ばしている「場」がシャレにならん「場」なので、ちょっとした目まいさえを覚える。
後期展示替えもあった様子。
11/12までの会期中に、あと1回は見ておきたいなぁと(*´ω`*)
ここはちゃんと機会を捉えておきたいですな(*^ω^)b
ただ、その展示の「東下り」ということで、別趣の展示を渋谷で開催しているとのこと。
天気のよい秋のある日に、行ってまいりました(≧∇≦)b
展示「本歌取り」そのものとはだいぶ様子は違うようなのだけど、「本歌取り」の「本歌取り」みたいな、セルフ・リプロデュースな雰囲気なのかな?「東下り」というのも、なかなかシャレが利いてる(*‘ω‘ *)
見ることの叶わなかった現地ならではの展示に思いを馳せつつも、松濤美術館の雰囲気とともに、なかなかスリリングな時間を過ごした。
一点、一点について、なにか簡単に語るという風にはならないのだけど、杉本博司氏の独特な作品世界は、渾然一体となっているようで、実はいくつかのフェーズに分けて見ることができる。
というか、別々の「きっかけ」から生まれている作品群があって、その発生グループ別に見てきたことを意識すると、様々な「きっかけ」から生れた作品たちが一堂に会することから生まれるダイナミズムというのが確かにあって、見る前にぼんやりイメージしていたような予定調和を軽く乗り越えたところから作品を見直すことになる。
ひと通り見終えたあとには、ひとつひとつの作品の静けさというか、静謐さとはまったく正反対と言えるような、不思議なエネルギーに満たされた感覚になる。
時に、シャレが利きすぎているなぁと苦笑してしまうこともあるのだけど、そのシャレを飛ばしている「場」がシャレにならん「場」なので、ちょっとした目まいさえを覚える。
後期展示替えもあった様子。
11/12までの会期中に、あと1回は見ておきたいなぁと(*´ω`*)
ここはちゃんと機会を捉えておきたいですな(*^ω^)b