りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

慣らされてはいけない

2024-12-13 01:04:16 |  日 記 
コロナ禍が大きなきっかけになっていると思うのだけど、いわゆる有名人、芸能人の「訃報」がやけに増えたというにとどまらず、なんかいいように利用されているなぁと思えることが多々ありまして。
「訃報」自体の件数があまりに多すぎるということもあって、誰かの訃報に驚くことがなくなってきたというか、驚けなくなっているというか。。。この種の知らせに慣らされてしまっている感覚が自分にはありまして。
こういうことに「慣れてしまう」という感覚。。。これを放置していては、なんだかすごくイカンのではないかと(# ゚Д゚)g
不意にもたらされるショッキングな情報に、知らず知らずのうちに振り回されてはいないか?無自覚なところで、実は自分の感情も左右されてはいないか?
誰かの「訃報」に驚くことができたとしても。「訃報」があまりに多すぎるせいで、悼む気持ちが置いてけぼりになっていたり。。。
これって、結局、メディアというか、情報に振り回されているのと変わらないんじゃないか?って。
そんなことを考えたりします。

素直に、自然に、悼む気持ちが表れてくれれば、自分としてはそれで十分なのだけど。
この「素直に」とか、「自然に」ということが、どこか難しいことになってしまっていることに、空恐ろしいものを感じているこのごろなのです(´ε`;)



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