りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

映画「天心」

2019-10-16 19:02:58 |  映 画 

2013に公開されたらしい映画「天心」。

岡倉天心を中心に据えて日本美術院のことを描く映画

となれば、どうしたって興味をそそる話になる、はず。。。なのだが。

自分がまったく気付いていなかったという迂闊さにおののきつつ、

それでも取り急ぎ、観てしまった。。。

 

岡倉天心なり、横山大観、菱田春草のことをある程度、ほんの少しでも知っている

という背景なしでこの映画を観ることはむずかしいのではないか?とも思うし、

映画の中で必然性を描けなければ、映画として成立しないのと同義だとは思う。

思うのだけど、映画の不毛について書くのはここでの目的ではないのです。

岡倉天心に象徴される諸々のエピソードが、いままで映画になっていなかったのはなぜなのか?

このことの不思議が頭の中でぐるぐるしてしまっているので。

 

岡倉天心は、あるフィールドでは不可侵の存在と化していて、

迂闊に論じることもできない。アンタッチャブルな扱い。

一方で、一般には努めて無視されているかのようで。

まるで忘却を望んでいる多数派がいるかのような。。。

そんな感じがずっとしていて。

つまるところ、どんな立場からでも「触れることができない存在」に

奉られ、或いは忌避されているのではないか?そう思えるところがあった。

だから「映画になっていた」という事実に遅ればせながら興奮を禁じ得なかったのです。

一本の映画に予定通りにがっかりしてしまったとしても。

描き切ることなんて最初から難しいわけだけど、

そこまでに達していない映画ならば、奉られることも、逆に貶められることも、

これが一切ないわけで。

なんらの事件にさえ成り得なかった「映画」はただただ残念なはずなのですが、

なにがこの映画の実現を困難にしているのか?については、

考えるべきことがたくさんあるような気がしているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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