通りかかったので、ディスク・ユニオンにふらっと立ち寄った。
真夏の酷暑をつかの間避けるため、とか言い訳しつつ、そういえば、毎日のように音楽を探し求めていた昔々のことを懐かしく思い出しつつ。
昔は、LPだろうがCDだろうが、慣れた手つきでパラパラと手早くブラウズしていたものだが、こういうことにも習慣がもたらす熟練があるらしい。なんか、すごく下手になってる(@_@;)
自慢の速さはすでに失われており(¯―¯٥)
それにもめげずに、パラパラやっていると、「地球へ…」のサントラLPがポンと現れたところで、手が止まった。
探し求めていた頃にはなかなか現れてくれなかった、僕にとっては幻の音源。しかも格安。
これを今まで手に入れられなかった不思議を思う。
盤質も気にせず、そのままレジへと向かう。
帰って、さっそく針を落としてみると、肝心な「地球へ… Coming Home To Terra」はさっそく音飛びする(@_@;)
が、気にしない( ;∀;)g
すぐさま裏に返して、「愛の惑星 All We Need Is Love」を聴く。
そして、1曲を素晴らしい音質で聴き切る。
エンディングを飾るこの1曲があれば、あの不思議で強烈なストーリーを思い出すのに十分。
「サントラ」そのものに、実は興味はなく。僕にとっては「ダ・カーポ」の歌が、そして映画のエンディングを飾るこの歌こそ重要だった。
「ダ・カーポ」の「歌」が、幼かった僕に忘れがたい何かを刻印していたことに気づくに至るまで、だいぶ時間がかかっていて、妙な紆余曲折があった。
なにせ、最初に見たのがいつのことだったのか?そういう記憶が曖昧で。ただ、夏のある日のこと、たまたまTVで放映していたのを目撃した。その1回がひたすらに忘れがたく。
これって、だいぶ厄介(^^ゞ
好きなアニメであることを疑う余地はないのだけど。。。ん?好き、というのはホントなのだろうか(*‘ω‘ *)?
当時は自由に作品を何度も見るなんてことが叶わなかったし。自分がその作品の何を好きなのか?幼い日に1回だけ見た、その印象だけでは、何かをわかった気になれるものでもない。
ただただ、強烈で。
幼い心にトラウマレベルのなにかを刻みつけたのは確か。どれくらいか?というと、幼い頃の僕的には、かの「ザンボット・スリー」を超えるかという凄まじさ(^o^;)
それからずいぶんあとになってから。やっと行きついた!という感じで「地球へ…」の原作を手に入れた。
幼い日に受けた衝撃の正体。
あの日、あの映画のなにが僕の心を掴んだのか。ようやく、これにあたりがつけられるようになったし、具体的にもなった。
マンガは何度も読み返し、作品の不思議な強さにますます引き込まれたのだけど、オリジナルであるはずのマンガには常に足りないものがある。
マンガには、「ダ・カーポ」の「歌」がない。。。
自分の中で、次に自覚的に思い出したのは、それからさらに時間が経ってから。ひかるくんにマンガをプレゼントしようと思いついたとき。「地球へ…」のストーリーがひかるくんには必要だ!と、ふと思ったのだ。
僕がようやく原作を見つけて読みふけってた頃からだって、ずいぶん時間が経っている。だが、その中身については、いよいよリアリティが増しているようにさえ思える(*‘ω‘ *)
それを当時、まだまだ幼かったひかるくんにプレゼントした。
さらにその後、新たにアニメ化されてTVで放映されることに。
再々度、「地球へ…」を深く読み直すきっかけを得た。
新しいアニメは、僕の感覚ではだいぶ「別物」に化けていたけれど(^o^;)
マンガという原作があるSFアニメ。新しいTVシリーズには、違和感とは別の、新しい視点もあったし。いろいろ思うことはあっても、果敢なチャレンジだったと、僕としては受け止めている。
ただ、「ダ・カーポ」の歌がもたらしたもの、映画に特別な雰囲気を与えていた「歌」の不在のゆえに、「歌」の重要性を同時に確信することにもなった。
ウン十年を過ぎて、ここでようやくDVDを手に入れて、幼い僕が見たはずの映画を見直した。
たった1回。
あの、たった1回が解決することなく、何十年も自分の中に息づいていることにあらためて驚きつつ。
映画は映画でだいぶ古いものだし、ストーリーとして行きとどかないところがあったりもして、弱点は多い。
だが、衝撃の強さは本物で、僕の懐かしさによる補正があったとしても、あの衝撃の理由は明快だった。
人の声が、人の歌がもたらすこと。
僕の個人的なアニメ体験の中でも、「地球へ…」で聞いた歌は特別。
この夏というタイミングでサントラLPを手に入れたことで、何かがようやく、キッチリ終わってくれたようにも思えた。
歌のもたらしたリアリティ…というか、歌のリアリティがアニメと自分をここまで深く繋げてしまったということで言えば、僕の中で映画「地球へ…」の「歌」は、特別に過ぎる。
真夏の酷暑をつかの間避けるため、とか言い訳しつつ、そういえば、毎日のように音楽を探し求めていた昔々のことを懐かしく思い出しつつ。
昔は、LPだろうがCDだろうが、慣れた手つきでパラパラと手早くブラウズしていたものだが、こういうことにも習慣がもたらす熟練があるらしい。なんか、すごく下手になってる(@_@;)
自慢の速さはすでに失われており(¯―¯٥)
それにもめげずに、パラパラやっていると、「地球へ…」のサントラLPがポンと現れたところで、手が止まった。
探し求めていた頃にはなかなか現れてくれなかった、僕にとっては幻の音源。しかも格安。
これを今まで手に入れられなかった不思議を思う。
盤質も気にせず、そのままレジへと向かう。
帰って、さっそく針を落としてみると、肝心な「地球へ… Coming Home To Terra」はさっそく音飛びする(@_@;)
が、気にしない( ;∀;)g
すぐさま裏に返して、「愛の惑星 All We Need Is Love」を聴く。
そして、1曲を素晴らしい音質で聴き切る。
エンディングを飾るこの1曲があれば、あの不思議で強烈なストーリーを思い出すのに十分。
「サントラ」そのものに、実は興味はなく。僕にとっては「ダ・カーポ」の歌が、そして映画のエンディングを飾るこの歌こそ重要だった。
「ダ・カーポ」の「歌」が、幼かった僕に忘れがたい何かを刻印していたことに気づくに至るまで、だいぶ時間がかかっていて、妙な紆余曲折があった。
なにせ、最初に見たのがいつのことだったのか?そういう記憶が曖昧で。ただ、夏のある日のこと、たまたまTVで放映していたのを目撃した。その1回がひたすらに忘れがたく。
これって、だいぶ厄介(^^ゞ
好きなアニメであることを疑う余地はないのだけど。。。ん?好き、というのはホントなのだろうか(*‘ω‘ *)?
当時は自由に作品を何度も見るなんてことが叶わなかったし。自分がその作品の何を好きなのか?幼い日に1回だけ見た、その印象だけでは、何かをわかった気になれるものでもない。
ただただ、強烈で。
幼い心にトラウマレベルのなにかを刻みつけたのは確か。どれくらいか?というと、幼い頃の僕的には、かの「ザンボット・スリー」を超えるかという凄まじさ(^o^;)
それからずいぶんあとになってから。やっと行きついた!という感じで「地球へ…」の原作を手に入れた。
幼い日に受けた衝撃の正体。
あの日、あの映画のなにが僕の心を掴んだのか。ようやく、これにあたりがつけられるようになったし、具体的にもなった。
マンガは何度も読み返し、作品の不思議な強さにますます引き込まれたのだけど、オリジナルであるはずのマンガには常に足りないものがある。
マンガには、「ダ・カーポ」の「歌」がない。。。
自分の中で、次に自覚的に思い出したのは、それからさらに時間が経ってから。ひかるくんにマンガをプレゼントしようと思いついたとき。「地球へ…」のストーリーがひかるくんには必要だ!と、ふと思ったのだ。
僕がようやく原作を見つけて読みふけってた頃からだって、ずいぶん時間が経っている。だが、その中身については、いよいよリアリティが増しているようにさえ思える(*‘ω‘ *)
それを当時、まだまだ幼かったひかるくんにプレゼントした。
さらにその後、新たにアニメ化されてTVで放映されることに。
再々度、「地球へ…」を深く読み直すきっかけを得た。
新しいアニメは、僕の感覚ではだいぶ「別物」に化けていたけれど(^o^;)
マンガという原作があるSFアニメ。新しいTVシリーズには、違和感とは別の、新しい視点もあったし。いろいろ思うことはあっても、果敢なチャレンジだったと、僕としては受け止めている。
ただ、「ダ・カーポ」の歌がもたらしたもの、映画に特別な雰囲気を与えていた「歌」の不在のゆえに、「歌」の重要性を同時に確信することにもなった。
ウン十年を過ぎて、ここでようやくDVDを手に入れて、幼い僕が見たはずの映画を見直した。
たった1回。
あの、たった1回が解決することなく、何十年も自分の中に息づいていることにあらためて驚きつつ。
映画は映画でだいぶ古いものだし、ストーリーとして行きとどかないところがあったりもして、弱点は多い。
だが、衝撃の強さは本物で、僕の懐かしさによる補正があったとしても、あの衝撃の理由は明快だった。
人の声が、人の歌がもたらすこと。
僕の個人的なアニメ体験の中でも、「地球へ…」で聞いた歌は特別。
この夏というタイミングでサントラLPを手に入れたことで、何かがようやく、キッチリ終わってくれたようにも思えた。
歌のもたらしたリアリティ…というか、歌のリアリティがアニメと自分をここまで深く繋げてしまったということで言えば、僕の中で映画「地球へ…」の「歌」は、特別に過ぎる。