若い友人の影響で、今年はいろいろとアニメをさらっている。
結構な勢いで観てきたので、今年に限った話だけど、本数だけなら結構な量になる。
つまり、それ相応の時間をかけている。
たいていは夜中に観てるわけだけど、いくら人気作品と言われていても、
関心が保てなかったら見続けるのは難しい。
そもそも数があまりにも多いので、物理的に、時間的に、視聴そのものが
むずかしい作品も多数ある。
取りこぼすのが前提。
それで、なるほど、と。
あまりにも供給過多の状態だと、即答で「いらない」とか「ムリ」とか、
とにかく要不要の判断を迫られるっていうのが、現在の条件なのか?と、
ようやく(でも、少しだけ)得心がいった次第。
どうにも、若い人の見切りの早さには、いいとか悪いとか、そういうのとは違う
別種のフィルターがあるとは思っていたけれど。
その時代、その時代に棲み分けができないくらいみんなが知っていて、
大ヒットしちゃう作品っていうのが、現在では本当に難しいというか、
そもそも大ヒット出来ちゃうこと自体が古いっていうことにはなりそう。。。なのかな?
価値観の多様化とは言うけれど、実感としては、多様化を言う側からは
多様化は歓迎されていないような気がする。
「認めろ」とは言うけれど、認めようとはしない。。。とか?
なんか変な感じなの。
価値観のフィールドをできるだけ細かくして、たくさんの壁を作って、
お互い不可侵の領域をギリギリせめぎあっているっていう感じもするけど。。。
もっとも、普通に観る分には、その手の考察など必要ない。
「面白そう」というだけで観るには十分なきっかけ足り得るし、
「やっぱいいや」となれば、それでおしまい。
それはさておき。
自分の興味とはまったく関係のないところで、自分の生活圏がアニメの舞台となっていると、
好き嫌い、要不要に関わらず、ちょっとはのぞいてみたくなる。
たぶん、相模原を舞台にしたアニメっていうのがいままでなかったと思う。。。
実際のところ、作品の内容からして、実は「相模原である必然性」っていうのは
まったくなくて、「任意の場所としてちょうど良い」くらいな感じもするので、
このごろのアニメであるような「聖地」的な場所が相模原市内にできる気配は
微塵も感じられない。。。
とにかくこの作品の中では、相模原、八王子、町田、多摩が新しい行政区「新域」として、
ある種の政治的な実験場となっているらしい。
「バビロン」って、若い人たちにどれだけ支持されてるのか、
ちょっとわかんないんだけど、なんとなく、タイトルに内容が追いつけない感じがする。。。
原作があるようなので、アニメの話っていう括りではないかもだけど、
「バビロン」って、だいぶ大げさなタイトルだよねぇと。
なんでか?って、やっぱり、相模原っていうところに「バビロン」のリアリティを
支える基盤がないから、って思うのは、ここで普通に生活しているから、なのかな?
もちろん、任意の場所足りえていればそれでいいわけなので、
「バビロン」がタイトル負けしていると思うのは内容の話、なのだけど。
ただ、この頃のアニメ自体が、どこかこの「新域」っていうある種の「場」に
うまいことフィットしそうなところがあるなぁと思って。
そういう意味では「新域」っていう一種の概念は、作品とは別の広がりを持っている気がする。。。
ところで。
任意であるはずの「新域」=相模原だけど、
作品中に見覚えのある地図なんかが出てくると、
「あれ〜?家のすぐ近所あたりに×印がついてるね」とか。
事件が妙に身近な感じになる。
話がどうにも薄気味悪い領域に突入していく感じなので、
地元住民としては気がかりで落ち着かないです。