観た時にはため息をつくほど、切なかったり、何かを得たような気分にさせられたのに、久しぶりにタイトルを見つけても、そこに「懐かしさ」を見ることがない。
それどころか、確かにこの映画は観ているし、結末も知っているはずなのに。「あれ?どういう映画だったっけ?」と。
あのとき自分が何を観たのか?すっかり忘れてしまっている。。。っていうか、実は何も手元に残っていなかったとか( ゚д゚)ハッ?
と、そのことにうろたえてしまう((;゚Д゚))???
さすがに「何も残っていない」というのは言い過ぎな気もするが、見るたびに、不思議な気分にさせられるのは本当。その状態というのが、だいたいいつも同じ感じで。だいたいいつも同じところに気分を持っていかれる。
そして、いまさらながらに思う。監督って、いったいどういう人なんだろうか?と気になった。
ずいぶん昔に観たのだけど、それがいつのことだったか?となると、例によって、自分の記憶がだいぶあやしい(^o^;)
だいたい、作品そのものが時間の中を漂流しているような、そんな気さえするのだが、もちろん、ちゃんと初出の記録はあって。2001年という。
それで「千年女優」なのか?
思っていたほど古いわけではないので、そこでも時間の感覚が狂うのだが、それよりも、監督、今敏氏がすでにこの世の人ではないことを知って、僕の頭はフリーズする。
「千年女優」を観てしまったからには、他の作品も観ていこうと思っているのだが、監督の不在と、「千年女優」という映画があまりに映画と一致しているような気がして仕方ない。
「パプリカ」を観た時もそう。
独特な浮遊感に、一瞬、クリストファー・ノーランを思い出したが、どう見ても、今敏の方が格上に思える。というか、こっちの方がずいぶん先行しているし、よっぽど本物に見える。アニメなのに。
浮遊感の正体について少し考えてみたけど、どうにも正体が掴みづらい。
観ることに難儀することはないのだが、誰かに伝えようとすると、これが極端に難しく感じる。
そこにMovementはあってもPersonalityがないというか。仮初めのPersonaだけがあって、人でない何かが「人のフリ」をしているだけのような。そんな感じもする。
別の言い方をするなら、ストーリーを見せたいのではなくて、運動を見せたい、とか?
なるほど、確かにそれこそ「映画」にふさわしい態度に違いない。
藤原千代子の最後のセリフに、実はあけすけに、語るべきすべてが込められているのかもしれない。
「だって。わたし。あの人を追いかけている『わたし』が好きなんだもの。」
それはこの映画そのもののことでもある。
「あの人を追いかけている『わたし』」をひたすらに追いかける「映画」。
それどころか、確かにこの映画は観ているし、結末も知っているはずなのに。「あれ?どういう映画だったっけ?」と。
あのとき自分が何を観たのか?すっかり忘れてしまっている。。。っていうか、実は何も手元に残っていなかったとか( ゚д゚)ハッ?
と、そのことにうろたえてしまう((;゚Д゚))???
さすがに「何も残っていない」というのは言い過ぎな気もするが、見るたびに、不思議な気分にさせられるのは本当。その状態というのが、だいたいいつも同じ感じで。だいたいいつも同じところに気分を持っていかれる。
そして、いまさらながらに思う。監督って、いったいどういう人なんだろうか?と気になった。
ずいぶん昔に観たのだけど、それがいつのことだったか?となると、例によって、自分の記憶がだいぶあやしい(^o^;)
だいたい、作品そのものが時間の中を漂流しているような、そんな気さえするのだが、もちろん、ちゃんと初出の記録はあって。2001年という。
それで「千年女優」なのか?
思っていたほど古いわけではないので、そこでも時間の感覚が狂うのだが、それよりも、監督、今敏氏がすでにこの世の人ではないことを知って、僕の頭はフリーズする。
「千年女優」を観てしまったからには、他の作品も観ていこうと思っているのだが、監督の不在と、「千年女優」という映画があまりに映画と一致しているような気がして仕方ない。
「パプリカ」を観た時もそう。
独特な浮遊感に、一瞬、クリストファー・ノーランを思い出したが、どう見ても、今敏の方が格上に思える。というか、こっちの方がずいぶん先行しているし、よっぽど本物に見える。アニメなのに。
浮遊感の正体について少し考えてみたけど、どうにも正体が掴みづらい。
観ることに難儀することはないのだが、誰かに伝えようとすると、これが極端に難しく感じる。
そこにMovementはあってもPersonalityがないというか。仮初めのPersonaだけがあって、人でない何かが「人のフリ」をしているだけのような。そんな感じもする。
別の言い方をするなら、ストーリーを見せたいのではなくて、運動を見せたい、とか?
なるほど、確かにそれこそ「映画」にふさわしい態度に違いない。
藤原千代子の最後のセリフに、実はあけすけに、語るべきすべてが込められているのかもしれない。
「だって。わたし。あの人を追いかけている『わたし』が好きなんだもの。」
それはこの映画そのもののことでもある。
「あの人を追いかけている『わたし』」をひたすらに追いかける「映画」。