2017年11月から、5年10ヶ月の間、ずっと私たちと一緒にいてくれた「モル」が、2023年9月16日(土曜日)の18時40分ころに旅立ちました。
今年の7月1日にゼリーが旅立ってから、老齢に達しているモルは落ち込みなどが激しく(ただ、モルは私と気持ちがシンクロする傾向にあったので、これは私の落ち込みがひどかったという事になるのだと思います)引きこもりのような状態になり、そして足が腫れてしまいました。確か7月31日の時点で、足が腫れあがり、足の付け根には腫瘍が、卵巣には嚢腫があったモルについて「予後は良くない、○ヶ月ではなくて余命は数週間だろう」と獣医師から言われたけれど、驚異的に足が回復し、1ヵ月半の間一緒にいてくれました。
今思えば、この時間はモルからのプレゼントだったのだからもっと大切にすればよかった。
でも、後悔はやめようと思います。
私は、仕事など他のこともある中、私にできるだけのことはしたのだから。至らない点はもちろんあったし、単に時間がないというだけでなく、私の精神面も至らないというところがありました。でも、そんな私をモルはいつも大切にしてくれていました。
だから、私も、至らない点はあれどもいろいろ頑張れたのです。
モルは、食欲がなくなってきて、苦しむこともなくすうっと眠るように旅立ちました。
私の腕に抱かれて、新品の綺麗な毛布に包まれて、旅立ちました。
旅立つ前には、新しく来たお友達のDinahとThemis(通称・テミこ または Thermomix)と、最後のお別れができました(最後とは思っていなかったけれど、なんとなく私が、この2人と合おうか!と言って、会わせたのです)。
そして、それが最後になるとは思っていなかったけれど、私と娘は、モルに「モルが大好きだよ!」と口に出してしっかり伝えられました。私が「モル、大好きだよ!」と言ったら、それを見ていた娘が「モル、すごく嬉しそう!耳が立って、目が輝いたよ」というので、それから娘もたくさん好き!と伝え、私ももう一度モルに言いました。知らなかったのが幸いして、これが最後だとかいう気持ちからの、悲壮感などは全くなく、心から、大好きだと思って伝えました。
その後、「モル、あれなら食べるかな?」と思い立ったものがあったので、ガレージ、物置、その後キッチン、玄関と4~5分、モルを抱っこしたまま、モルに声がけしながら探しました。そして、元居た場所(居間に設置したモルスペースの所)に戻ってきたら、娘が「モル、生きていないと思う!」とパニックした顔で言いました。
すぐにモルの顔を見たら、生気がなくなっていました。
そして、毛布をめくり、体を見ると、今までは呼吸に合わせて膨らんだりしぼんだりしていた体も、そういう動きが全くなくなっていました。
痛かったら悲鳴を上げたり、動きがあったと思うので、さすがにわかると思います。
そういう異変は全くないまま、本当にすうっと眠るように旅立ちました。
モルのお顔も、目はちょっと開いていましたが、苦痛で開いたとかいう形ではなく、ごく普通でした。口も閉じていました。
モルは、旅立つ時には私に抱っこされていたいと思っていた、という確信があります。
そのうえで、皆に見送られたかったと思います。
モルは、それが全部かなえられました。
よかった。よかったね、モル。
2020年に、卵巣の嚢腫ができてから、モルは背中の毛が薄くなってしまったり、痛そうにしていることが多かったです。
嚢腫の診断が下った時に、獣医のRicard先生から「痛みで亡くなってしまう子も多い」と聞かされていたと、日記に書いてありました。場所が場所なだけに手術も難しく、手術した場合は予後が悪い傾向が高いとも言われました。手術自体は成功しても、その後の予後が悪いとのことで、切らずに経過観察となったのです。
痛みに耐えながら、3年間頑張ってくれました。
モルが旅立ったとわかったとき、たくさん泣きました。でも、泣きながら、私の第一声はモルは頑張った、たくさん頑張ってくれたと
いう言葉でした。
これから、また何か探し出して「ああ、私が至らなかった」と自分いじめをするのかもしれません。
が、不思議と、今までのような自分いじめはしないような気もするのです。
とても悲しくて、これも泣きながら書いていますが、モルは、私に、至らなかった点についてはモルに直接ごめんね、と伝える時間(伝えたら、ちゃんと目を開けて、大丈夫だよと言うように応えてくれました)、そしてそれ以上にたくさんのことを、ありがとうと伝える時間、思い出を振り返って、こんなことがあって楽しかったね、と共有する時間(その時は耳を私の方に向けて、しっかり聴いてくれて、すごく嬉しそうでした)もくれました。
私のあそこがダメだった、ここがダメだったという以上に、モルは私がそうならないように全部頑張ってくれた、足の腫れも、あのままでは私が「モルのお世話を十分しなかったから」となったから、私がちゃんとお世話をして、奇跡的に治癒してくれました。
「至らなかった」を、取り戻す時間をくれたのです。その時間、モルは痛みがあったけれど、頑張ってくれていたんだと思います。そう思うと、そんなモルの気持ちも台無しにするようなことを私はしていたのではないか?という疑念が湧きますが・・・
自分いじめをしたら、モルが頑張っていた時間が台無しになってしまいます。
それに、私は本当にやれるだけのことはやってきたという気持ちも、やはりあります。
だから、モルがくれた楽しかった時間、たくさん笑った時間、病院通いも多く大変だったけれど、一緒にいられる時間もその分多くなったことに、そして、一緒にいてくれたことに感謝したいと思います。
モルが、最後までずっと私を好きでいてくれたことは、至らなかった点もあれど、それよりもたぶん私が「したこと」を嬉しく思ってくれていたのだと思います。
モルのお遺体は、ゼリーと同じような形で安置していますが、まるで眠っているようで、そのうち動いて向きを変えそうな感じです。
ありがとう、モル。
最後の瞬間まで一緒にいられて、嬉しかった。ありがとう。
ずうっと、モルのこと、忘れないよ。
今年の7月1日にゼリーが旅立ってから、老齢に達しているモルは落ち込みなどが激しく(ただ、モルは私と気持ちがシンクロする傾向にあったので、これは私の落ち込みがひどかったという事になるのだと思います)引きこもりのような状態になり、そして足が腫れてしまいました。確か7月31日の時点で、足が腫れあがり、足の付け根には腫瘍が、卵巣には嚢腫があったモルについて「予後は良くない、○ヶ月ではなくて余命は数週間だろう」と獣医師から言われたけれど、驚異的に足が回復し、1ヵ月半の間一緒にいてくれました。
今思えば、この時間はモルからのプレゼントだったのだからもっと大切にすればよかった。
でも、後悔はやめようと思います。
私は、仕事など他のこともある中、私にできるだけのことはしたのだから。至らない点はもちろんあったし、単に時間がないというだけでなく、私の精神面も至らないというところがありました。でも、そんな私をモルはいつも大切にしてくれていました。
だから、私も、至らない点はあれどもいろいろ頑張れたのです。
モルは、食欲がなくなってきて、苦しむこともなくすうっと眠るように旅立ちました。
私の腕に抱かれて、新品の綺麗な毛布に包まれて、旅立ちました。
旅立つ前には、新しく来たお友達のDinahとThemis(通称・テミこ または Thermomix)と、最後のお別れができました(最後とは思っていなかったけれど、なんとなく私が、この2人と合おうか!と言って、会わせたのです)。
そして、それが最後になるとは思っていなかったけれど、私と娘は、モルに「モルが大好きだよ!」と口に出してしっかり伝えられました。私が「モル、大好きだよ!」と言ったら、それを見ていた娘が「モル、すごく嬉しそう!耳が立って、目が輝いたよ」というので、それから娘もたくさん好き!と伝え、私ももう一度モルに言いました。知らなかったのが幸いして、これが最後だとかいう気持ちからの、悲壮感などは全くなく、心から、大好きだと思って伝えました。
その後、「モル、あれなら食べるかな?」と思い立ったものがあったので、ガレージ、物置、その後キッチン、玄関と4~5分、モルを抱っこしたまま、モルに声がけしながら探しました。そして、元居た場所(居間に設置したモルスペースの所)に戻ってきたら、娘が「モル、生きていないと思う!」とパニックした顔で言いました。
すぐにモルの顔を見たら、生気がなくなっていました。
そして、毛布をめくり、体を見ると、今までは呼吸に合わせて膨らんだりしぼんだりしていた体も、そういう動きが全くなくなっていました。
痛かったら悲鳴を上げたり、動きがあったと思うので、さすがにわかると思います。
そういう異変は全くないまま、本当にすうっと眠るように旅立ちました。
モルのお顔も、目はちょっと開いていましたが、苦痛で開いたとかいう形ではなく、ごく普通でした。口も閉じていました。
モルは、旅立つ時には私に抱っこされていたいと思っていた、という確信があります。
そのうえで、皆に見送られたかったと思います。
モルは、それが全部かなえられました。
よかった。よかったね、モル。
2020年に、卵巣の嚢腫ができてから、モルは背中の毛が薄くなってしまったり、痛そうにしていることが多かったです。
嚢腫の診断が下った時に、獣医のRicard先生から「痛みで亡くなってしまう子も多い」と聞かされていたと、日記に書いてありました。場所が場所なだけに手術も難しく、手術した場合は予後が悪い傾向が高いとも言われました。手術自体は成功しても、その後の予後が悪いとのことで、切らずに経過観察となったのです。
痛みに耐えながら、3年間頑張ってくれました。
モルが旅立ったとわかったとき、たくさん泣きました。でも、泣きながら、私の第一声はモルは頑張った、たくさん頑張ってくれたと
いう言葉でした。
これから、また何か探し出して「ああ、私が至らなかった」と自分いじめをするのかもしれません。
が、不思議と、今までのような自分いじめはしないような気もするのです。
とても悲しくて、これも泣きながら書いていますが、モルは、私に、至らなかった点についてはモルに直接ごめんね、と伝える時間(伝えたら、ちゃんと目を開けて、大丈夫だよと言うように応えてくれました)、そしてそれ以上にたくさんのことを、ありがとうと伝える時間、思い出を振り返って、こんなことがあって楽しかったね、と共有する時間(その時は耳を私の方に向けて、しっかり聴いてくれて、すごく嬉しそうでした)もくれました。
私のあそこがダメだった、ここがダメだったという以上に、モルは私がそうならないように全部頑張ってくれた、足の腫れも、あのままでは私が「モルのお世話を十分しなかったから」となったから、私がちゃんとお世話をして、奇跡的に治癒してくれました。
「至らなかった」を、取り戻す時間をくれたのです。その時間、モルは痛みがあったけれど、頑張ってくれていたんだと思います。そう思うと、そんなモルの気持ちも台無しにするようなことを私はしていたのではないか?という疑念が湧きますが・・・
自分いじめをしたら、モルが頑張っていた時間が台無しになってしまいます。
それに、私は本当にやれるだけのことはやってきたという気持ちも、やはりあります。
だから、モルがくれた楽しかった時間、たくさん笑った時間、病院通いも多く大変だったけれど、一緒にいられる時間もその分多くなったことに、そして、一緒にいてくれたことに感謝したいと思います。
モルが、最後までずっと私を好きでいてくれたことは、至らなかった点もあれど、それよりもたぶん私が「したこと」を嬉しく思ってくれていたのだと思います。
モルのお遺体は、ゼリーと同じような形で安置していますが、まるで眠っているようで、そのうち動いて向きを変えそうな感じです。
ありがとう、モル。
最後の瞬間まで一緒にいられて、嬉しかった。ありがとう。
ずうっと、モルのこと、忘れないよ。
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