倒産回避コンサルタントからの救命ロープ

倒産回避コンサルタント・中逵努のブログです。
恩師村松謙一弁護士ご本人のブログではないことを予めご了解ください。

連鎖倒産回避 2

2006年03月03日 | 私の体験
私は最初からコンサルタント業に携わっていた訳ではなく
前職では自ら会社を経営する立場にありました。

平成7年1月に起きた阪神淡路大震災。
そのひと月前、平成6年12月に私は兵庫県尼崎市で
自ら経営する会社の支店と店舗を立ち上げたばかりだった。
オープン後わずか一ヶ月にして、辛うじて建物は残ったものの
その瞬間に残骸となった商品を前にして茫然自失となった。

神戸から通っていたスタッフの自宅が倒壊したとの
連絡が入り、知り合いから借りたバイクの荷台に
ミネラルウオーター・カイロ・米などの生活必需品を
積めるだけ積んで運んだ。
尼崎から西宮、西宮から芦屋。
西へ行くにつれ、神戸へ続く国道2号線の見慣れた景色が、
終戦直後へタイムスリップしたかのような光景へと変わり
スタッフの家族が避難している場所に近づくにつれ、
想像を絶する地獄絵図が現実のものとして目の中に
飛び込んでた。
11年たった今でも忘れることのできない
あの悲惨な光景、あのホコリの匂い、そして
崩れた建物から聞こえる「助けて」という声。
あの地震以降様々な経験をしたが
「命さえあれば、この日本で生きている限りなんとかなる」
結局私はひとつの結論に達することが出来た。

神戸大震災で商圏のお客様も甚大な被害を受けたことで
売上予測の四分の一以下になった。
が、当時の私は支店出店により増加した金融機関からの
借入金返済を減額することなく、律儀に払い続けた。
バスタブの例を持ち出すまでもなく、
収入より支出が大幅に超過している状態が約一年続き
手元資金がまたたく間に枯渇し倒産の危機に瀕した。
回りのあらゆる方々に相談したが、顧問税理士はもちろん、
親しい会社経営者仲間、知り合いの弁護士も一様に
全員の答えは「自己破産するしかない」
だった。

しかし、家族・親族が連帯保証人になっているので
自己破産すれば、連帯保証人全員に大きな迷惑を
かけてしまう。
これだけは何とか避けたいという気持ちで
梅田の紀伊国屋書店に行って必死で探し出したのが
私の師匠の著書だった。
ラストチャンスをこの先生に賭けることを決心して
先生のドアを叩いたのが師匠との
幸運な出会いのスタートだった。

資金繰り・財務諸表をチェックした後、
師匠は第一声
「今までよくひとりで頑張ってきたね。」
と労いの言葉を掛けてくれた。
師匠のこのひと言で全身の緊張感が抜け、
「もしかしてこの先生なら」という希望が
私の心に灯った時の感動を、現職になった今も大切にしている。
地震という不可抗力だから正々堂々と
返済条件を緩和してもらえば良かったのにねと
師匠がサラリと言われたのが当時の私では意外だった。

地震以降、金融機関に返済条件の緩和を
全くお願いしなかった訳ではなく、
何度か丁重にお伺いを立ててお願いしたところ
金融機関は首を縦に振ってくれなかったので、
止む無く約定弁済を続けていたというのが実情である。

地震などの天災だけでなく、取引先の突然の倒産などの
不可抗力によって資金繰りが悪化した、
もしくは悪化することが確実な場合は、
その悪化がわかる資金繰り表を作成した上で
金融機関に返済猶予を正々堂々とお願いし
そのままでは資金ショートするという緊急事態であれば
自己防衛のためにも金融機関が首を縦に振らなくとも
元金返済を一時凍結するくらいの勇気が必要である。

「晴れの日に傘は貸してくれるが
雨の日には傘を貸してくれない」
というのが、多くの金融機関の基本スタンスであり
雨の日には新しい傘を貸してくれる先を見つけることよりも
勇気を持って自己防衛することこそが連鎖倒産回避の
基本行動である。
突発的に発生した問題の対処次第では、その問題を
味方につけることもできるのである。


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