Pastorale

サヴァトラ猫との今日いちにち

二年

2017年01月11日 | ひとりごと

日曜日は母の三回忌でした。

 

突然亡くなってからもうすぐ二年。

ちょっと気持ちのふんぎりがついたような気がします。

今までは遺影をしっかり見ることができませんでした。

だって・・・怖い怖いお母さんがあんな大きく引き伸ばされて

ジッとにらんでくるんですもの。

(小さい遺影も頂きましたがそちらも怖かった

でも三回忌の法要の間、じっと遺影を見ていると

にっこり微笑んでいるように見えました。

 

怖いお母さんでした。自分にも人にも厳しい人。

ただ、私の周りによくいる「気分次第で怖くなる人」ではありませんでした。

子どものころに叱られたり、

大人になってからは意見の相違でケンカしたり・・・

そういう時はとっても怖かった、私もけっこう口答えしましたが。

体が辛いとか、嫌なことがあったからとか、

そういうことで怖い顔をしていたことは一度もありませんでした。

いつだったか足を怪我していたことがあったらしく、

それでも家族には何も言わずに、いつの間にか治していました。

「だって言ったって治るわけじゃないし」

そうだけど・・・

狭い家だったから壁伝いに歩けたし、

学生時代の話だから昼間は家にいなかったけど。

 

我慢強く、病気もたまに風邪をひくくらい。

亡くなる前にだんだん体の動きが鈍くなり、弟が病院へ強制連行しましたが

「どっっっこも悪くなかったわ」とドヤ顔が見えるような口調で電話してきた・・・

怖いけれど楽しい母でした。

 

亡くなった時に弟のお嫁さんが

「生まれ変わったらお義母さんの子供になりたい」と言ってくれました。

お世辞でもなく、母が天然系の楽しい人だからでもなく、

傍から見ていても「本当に子ども思いのお母さん」だったから。

本当に大事に育ててくれました。

猫かわいがりの大事に、ではなく、

自分のことは後回しで、本当に私自身のことを思って、

厳しく厳しく。

今は本当にありがたく思っています。

私自身、子供に耳の痛いことを敢えて言う時がありますが、

「母親の私だから言わなければ、他人は言ってくれないよ」

いつか解ってくれるでしょう、・・・私が死んだ頃にでも。

 

私たち姉弟も、弟のお嫁さんも母子家庭で育ちました。

私の母は最期まで「あんた達から父親を奪ってしまった」と

私たちに申し訳ない思いがあったように思います。

お嫁さんのお母さんは、子供たちがいるから自分が苦労する、

ということを彼女に言ったことがあるそうです。

それでも彼女だって自分のお母さんが一番だと思います。

私の夫の母も尊敬できる人ではありますが、

私はお世辞でも「生まれ変わったらあなたの子供に」とは言えません。

あの言葉は母にも私にも宝物です。

 

亡くなってからも今もずっと、

同じような年格好のおばあさんを見ると、涙が出てしまうことも。

年末にはお正月のお買い物をするお客さんに、母が重なりました。

お母さんの黒豆とたつくり、ちょっと辛めの味付けでした。

二年たっても寂しさは変わらない。

きっと私が死ぬまで、この寂しさは変わらないんだろうなぁ。

 

親不幸な娘だったけれど、たぶんお母さんは怒ってないし、

最後の最期まで私のことが大好きだったと思う。

この絶対の自信が「親子の絆」だろうなぁ。