私を育ててくれた人ー3
筑波の親父(橋本)さん
筑波の橋本の親父さん(説得と実践からのフィードバック)
HRCサービスショップはHRCの市販レーサー、KITパーツを販売し そのユーザーにメンテナンス等のアドバイスし、
レース日の気温、湿度、サーキットの高度等によるジェッティング等を指導し繊細なレーサーを確実に走らせて
ます。また、ユーザーからの情報を収集してトラブル等に対しHRCに報告してもらって対応を敏速に
行えるように活動してもらってます。そのHRCサービスショップを代表(仕切って)している親父さんが、
筑波サーキットのゲート前のショップさんにいるから挨拶(情報収集)してこいでした。
NF4(87RS125R)を創るにあたり、NF4の基本構想を筑波の親父さんに挨拶と説明にいきました。
2年後にWーGPが単気筒になるから、その1年前に市販車(’87NF4)を上市し、1年間セットUPし、
不具合を対応し、2年後('88)にW-GPに出場しW-GPのチャピオンを狙う構想もってました
(NF4チームで私だけでしょう)。ENGはMXの新ケースを流用しフレームはアルミを考えてますと説明すると
親父さんは、W-GPは結構だけど,お前なあ、レースやってる子達はどんな生活しながら走っている
か知ってるか、アルバイトしながら即席ラーメンを食いながらレースやってるんだぞ、スペアパーツなんかも
毎年使い廻ししながらやってるんだぞ、アルミフレームの修理はどうするのだ、バカヤロー帰れでした。
(阿部ちゃん見たい)出直しです、このBIKEは10年つくるつもりです(実力は8年でした)とまず、
意気込みを示しました、ノービス(国内底辺)仕様として、フレーム、ENGをしっかり作り、他のパーツも
現パーツを流用する事に留意しますが、親父さん例えば、この部品は設計が古過ぎますよ、私が
戦闘力を向上させ、10年先でも使えてる(これからのランニングコストも重視)設計にしますと、部品個々
に親父さんと検討し意見をもらいました。
HRCでしか供給できない基本のフレーム、ENGはしっかり作り、出荷仕様は国内ノービス仕様とし、
価格は安価にします。国内エキスパート仕様(サスペンション、ホイール、ブレーキ系の性能向上)は各ショップさん、
レーシングチームさんに開発、SPLパーツを取り入れてもらい、上級者レベルにUPしてもらって、W-GPでも
活躍してもらいたいとも説明いたしました。親父さんも鉄フレームのRS125は設計が古いのは解って
いますが、レースで走ってる子達への販売価格やランニングコスト負担を気にしていたのです。
2度3度説明に行き、2年先のW-GP,そのためにも設計変更を理解してもらいました。
よし、お前に任せると言ってくれました。若い子を育てて、船橋からの日本のレース創世記を経験
された親父さんの実戦からの意見は貴重で、ずいぶん設計にフィードバックいたしました。・
そした私を育ててくれたと感謝してます。
NF4を上市(市場販売)してかから、私は体調を壊し(スゲー激務でした、今で言う”うつ”でしょう)
設計から退きました。それから、サーキットサービス(営業)に転籍し、筑波サーキットに行くたびに 親父さん
に挨拶してからレース場へ、サーキットサービス終了してから挨拶に、そして、これから飲みに行くぞって、
可愛がってもらいました。2年後のW-GPのチャンプGETは出来ませんでしたが、3年後には
市販レーサー(安価な)でW-GPチャンプをGETできました。以前のHONDAの125ccチャンピオン記録は
4ST-125cc5気筒(コストは?)のワークスレーサーだったと思います。そして、8年間で8800台以上生産
(たぶんギネスもんでしょう)し、レース界、ショップさん界、を活性化し潤した思います。やったね。
余分な話し:これまでにW-GPチャンピオンをGETしようと設計に携わってきました。KR250/350(カワサキ),
RS125R、RS250RWと10数回W-GPチャンプをGETしてきましたけど、各会社から、ご苦労さん、金一封、
祝勝会等ありませんでしたね。NSF100も1000台以上販売出来たら菅生サーキット(1000台=仙台)で
パーテーすると言ってましたが、ナシのツブテです
また、お話しいたします。
筑波の親父(橋本)さん
筑波の橋本の親父さん(説得と実践からのフィードバック)
HRCサービスショップはHRCの市販レーサー、KITパーツを販売し そのユーザーにメンテナンス等のアドバイスし、
レース日の気温、湿度、サーキットの高度等によるジェッティング等を指導し繊細なレーサーを確実に走らせて
ます。また、ユーザーからの情報を収集してトラブル等に対しHRCに報告してもらって対応を敏速に
行えるように活動してもらってます。そのHRCサービスショップを代表(仕切って)している親父さんが、
筑波サーキットのゲート前のショップさんにいるから挨拶(情報収集)してこいでした。
NF4(87RS125R)を創るにあたり、NF4の基本構想を筑波の親父さんに挨拶と説明にいきました。
2年後にWーGPが単気筒になるから、その1年前に市販車(’87NF4)を上市し、1年間セットUPし、
不具合を対応し、2年後('88)にW-GPに出場しW-GPのチャピオンを狙う構想もってました
(NF4チームで私だけでしょう)。ENGはMXの新ケースを流用しフレームはアルミを考えてますと説明すると
親父さんは、W-GPは結構だけど,お前なあ、レースやってる子達はどんな生活しながら走っている
か知ってるか、アルバイトしながら即席ラーメンを食いながらレースやってるんだぞ、スペアパーツなんかも
毎年使い廻ししながらやってるんだぞ、アルミフレームの修理はどうするのだ、バカヤロー帰れでした。
(阿部ちゃん見たい)出直しです、このBIKEは10年つくるつもりです(実力は8年でした)とまず、
意気込みを示しました、ノービス(国内底辺)仕様として、フレーム、ENGをしっかり作り、他のパーツも
現パーツを流用する事に留意しますが、親父さん例えば、この部品は設計が古過ぎますよ、私が
戦闘力を向上させ、10年先でも使えてる(これからのランニングコストも重視)設計にしますと、部品個々
に親父さんと検討し意見をもらいました。
HRCでしか供給できない基本のフレーム、ENGはしっかり作り、出荷仕様は国内ノービス仕様とし、
価格は安価にします。国内エキスパート仕様(サスペンション、ホイール、ブレーキ系の性能向上)は各ショップさん、
レーシングチームさんに開発、SPLパーツを取り入れてもらい、上級者レベルにUPしてもらって、W-GPでも
活躍してもらいたいとも説明いたしました。親父さんも鉄フレームのRS125は設計が古いのは解って
いますが、レースで走ってる子達への販売価格やランニングコスト負担を気にしていたのです。
2度3度説明に行き、2年先のW-GP,そのためにも設計変更を理解してもらいました。
よし、お前に任せると言ってくれました。若い子を育てて、船橋からの日本のレース創世記を経験
された親父さんの実戦からの意見は貴重で、ずいぶん設計にフィードバックいたしました。・
そした私を育ててくれたと感謝してます。
NF4を上市(市場販売)してかから、私は体調を壊し(スゲー激務でした、今で言う”うつ”でしょう)
設計から退きました。それから、サーキットサービス(営業)に転籍し、筑波サーキットに行くたびに 親父さん
に挨拶してからレース場へ、サーキットサービス終了してから挨拶に、そして、これから飲みに行くぞって、
可愛がってもらいました。2年後のW-GPのチャンプGETは出来ませんでしたが、3年後には
市販レーサー(安価な)でW-GPチャンプをGETできました。以前のHONDAの125ccチャンピオン記録は
4ST-125cc5気筒(コストは?)のワークスレーサーだったと思います。そして、8年間で8800台以上生産
(たぶんギネスもんでしょう)し、レース界、ショップさん界、を活性化し潤した思います。やったね。
余分な話し:これまでにW-GPチャンピオンをGETしようと設計に携わってきました。KR250/350(カワサキ),
RS125R、RS250RWと10数回W-GPチャンプをGETしてきましたけど、各会社から、ご苦労さん、金一封、
祝勝会等ありませんでしたね。NSF100も1000台以上販売出来たら菅生サーキット(1000台=仙台)で
パーテーすると言ってましたが、ナシのツブテです
また、お話しいたします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます