五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

LOVE と LIKE の狭間で

2006年03月28日 | 雑記
千葉港・・・。

私が、悲しい事があったとき、いつも泣きに来るところ。
私に、楽しい事があったとき、喜びを分かち合う海。

悲しいのか、嬉しいのか、自分でもわからない。あえて言えば、両方であろう。

恋愛とは?いつもこの問いかけが、私の頭の中を駈けめぐっている。
お互いを尊重すること・・・だと私は思う。
この海岸にもカップルがいたが、しょっちゅう会ったり、しょっちゅう電話したりメールしたり・・・そんな事がなくたって、恋愛は可能だと。要は、心の繋がり。相手を思いやる心。誰よりも相手を大切だと思う気持ち。それさえ備わっていれば、ほかに何もいらないのではないだろうか。

私は恋を捨てた、と以前書いた。
でも、まだ捨ててはいなかったのだ。今、はっきりと感じる。相手を思うとき、心が締め付けられる。これは、恋ではないのか?違うとしたら・・・。

暖かな一日だった。桜も咲いている。
この大切な時間を、あなたと共有したい。
暖かな春風と一緒に、あなたといたい。いや、あなたの心の中でだけでも。
私の心の中には、ずっとあなたがいる。この港にも、あなたの心を連れて来た。
私は、幸せだった。これ以上を望むのは、贅沢なくらいに。
私は、悲しかった。所詮、私の運命は、あなたと私を切り離すだけだろうから。

何を思ってみても、無駄であろう。それが今までの私の運命だった。これからは、違うかもしれない・・・などという幻想は、それこそ捨ててしまったほうがいいのかもしれない。そういう覚悟は、いつもしていなければならない。

あなたが大好きって、わたしも想ってる
大切だよ!って need you 見守って生きてるよ
(プ○ッキュア! プリッキュ○!)

なんて話もあるけれど、所詮は絵空事にすぎない事は、私にだってわかる。
荒んだ考え方だと、自分でも思う。でもこれが現実なのだ。まあ、私の少ない経験からでは、正しい判断は出来ていないかもしれないが。

先日のブログからは、想像も出来ないくらいの鬱っぷりである。躁うつ病という診断は下されていないのだが・・・。
もっとポジティブに生きられたら、どんなに楽かと思う。オプチミストと嘲笑されるくらいに。
こんな事を書いている自分に必要なものは、精神科医の診察なのかもしれぬ(沈没)。