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CYCLINGFAN!!

自転車をこよなく愛し、自分の脚と熱いハートで幾つになっても、可能な限り、どこまでも走り続けます~♪

ツール・ド・フランス2024を振り返る(4)

2024-11-02 15:43:50 | ツール・ド・フランス
 6日目はマイヨヴェールの行方を大きく左右するステージになりました。アルカンシエルのファンデルプールにリードアウトされるフィリップセンは最強です。今季はミラノ~サンレモでもポガチャルを下していたフィリップセンが今年もマイヨヴェール確実と見ていたのですが、このステージの結果が最後まで影響することになりました。
 ファンデルプールの強力な牽引から放たれたフィリップセンの勝利は確実と思われたのですが、一昨日の落車の影響かこの日もキレを欠いているように見えました。反対側から伸びたフルーネウェーヘンに優勝をさらわれたばかりか、ファンアールトの進路を妨害したとして降着処分を受けてしまったのです。このステージでのノーポイントが最後まで響くことになるのです。

 フィリップセンの斜行癖は有名ですが、これまでもこうした際どいシーンも少なくありませんでした。ゴール前で選手が入り乱れる中で、どこまでを進路妨害と見るかは非常に難しく、UCIにも明確な規定はありません。競馬ではJRAが明確な基準を設けていますが、時速70kmを超えるスプリントではコンマ数秒の出来事なので、これまではある程度大目に見られて来たのです。
 ただ、今回のフィリップセンの降着は今後の大きな目安となるはずです。今回もワウトの抗議を受けてのものでしたが、今後はこうした抗議があった場合に、UCI側は厳しい対処をせざるを得なくなるからです。選手の安全が第一なので、ゴール前のスピードが多少落ちたとしても、選手は真直ぐに走るのは当然のことなのです。ところが、UCIはスピード優先で5kmルールを3kmルールに短縮し、よりゴール前のスピードを上げようとしているように見えるのです。
 



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さいたまクリテリウムを考える

2024-11-02 12:16:11 | ツール・ド・フランス
 世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスを制したスーパースターたちが、さいたま新都心の市街地を駆け抜けるさいたまクリテリウムが今日開催されます。ツール・ド・フランスを知らないフランス人はいませんが、自転車後進国の日本ではまだ知らない人も少ない無いのが実情です。

 ツール・ド・フランスとは1903年に誕生した「地上で最も過酷なレース」と呼ばれています。日本の1.5倍、EUで最も広い国土を持つフランスを自転車で一周しようとは誰も考えなかった時代に、「フランス一周」という意味のツール・ド・フランスが始まったのです。
 数年後、「熊に食われる!」と誰もが恐れたピレネー山脈をコースに採用。すぐにアルプス山脈も追加。世界三大スポーツイベントに数えられるオリンピックやサッカー・ワールドカップに先んじてスポーツ大会にコマーシャルを導入。常に新しい改革を取り入れてきた歴史があるのです。

 そんなツール・ド・フランスが2013年の第100回記念大会(2度の世界大戦で合計10回の中止あり)の直後に、世界で初めて「ツール・ド・フランスの名を冠した大会」として始まったのがツール・ド・フランスさいたまクリテリウムなのです。
 その年の夏をより一層暑くしたツール・ド・フランスの総合優勝者をはじめ、区間勝利や各賞を獲得するなど大活躍したプロ選手がこぞって来日し、欧州を主戦場とするロードレースのエッセンスが持ち込まれ、日本にいながらにして本場の興奮と感動が味わえるのが魅力とされてきましたが、今年はマイヨジョーヌのタディ・ポガチャルの姿はありませんでした。

 昨年はマイヨジョーヌを逃したポガチャルが参戦し勝利しているのです。今年はWツールにアルカンシエルというトリプルクラウンを達成しているで、ポガチャルの姿を観てみたいというファンにとっては残念でしょう。ただ、そこは流石にA.S.Oで、今年のツールで落車棄権していたプリモシュ・ログリッジを連れて来ているのです。
 ポガチャル以上に母国スロベニアで人気の高いログリッジは今年ブエルタ・ア・エスパーニャで4度のマイヨ・ロホ(リーダージャージ)を獲得、昨年はジロ・デ・イタリアも総合優勝しているので、残すグランツールはツール・ド・フランスだけという偉大な選手なのです。2020年のツールの最後の個人TTでログリッジのマイヨジョーヌの夢を奪ったとして、母国スロベニアではポガチャル・バッシングが起きたとも聞いています。

 サイクルロードレースの3大ツールと呼ばれているのがジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャで21日間のステージレースです。総走行距離が3000kmを超え、アルプスやピレネーといった標高が2000mを超える山脈も走る壮大なレースなのです。

 個人的には5月のジロ・デ・イタリアに始まり7月のツール・ド・フランス、8月のブエルタ・ア・エスパーニャと日本にいながら風光明媚なヨーロッパ観光が出来る貴重なチャンスだと感じています。この大会を通して、この国の人々にもサイクルロードレースの楽しさ、ロードバイクの素晴らしさを知ってもらえたらと願っています。

 今年は先のログリッジに加え、今年のマイヨヴェール(スプリンター賞)のビニヤム・ギルマイ、今年、エディ・メルクスの通算勝利数を更新したマーク・カヴェンディッシュが前夜祭に登場していました。

 ツール・ド・フランスの総合優勝者にはマイヨジョーヌという黄色のジャージが与えられます。スプリンター賞はマイヨヴェールと呼ばれ緑色のジャージです。山岳賞はマイヨ・アポアルージュと呼ばれ、白地に赤の水玉(アポア)があしらわれています。新人賞はマイヨブランで白い(ブラン)ジャージとなります。選手たちは21日間に渡りこれらのジャージを争うのがツール・ド・フランスなのです。
 



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ツール・ド・フランス2024を振り返る(3)

2024-10-30 09:55:49 | ツール・ド・フランス
 今年のツール5日目も記念すべき日となりました。マーク・カヴェンディッシュがエディ・メルクスが持つツール通算34勝という偉大な記録を塗り替えたのです。昨年も引退を表明し背水の陣でチャレンジしていたものの、落車で無念のリタイヤ。誰もがもうカヴェンディッシュは終わったと思ったことでしょう。
 それでも、カヴェンディッシュもチームも諦めず、引退を撤回して挑んだ今年も初日から暑さにやられタイムオーバーギリギリでゴールし、やっぱりメルクスの記録更新は無理だろうと私も思っていたのです。しかし、前回勝利から実に3年ぶり、39歳となったカヴェンディッシュが遂に大記録を達成してみせたのです。

 前年マイヨヴェールのフィリップセンも並ぶことの出来ない鬼脚を見せ、偉大な35勝という金字塔を打ち立てなのでした。全盛期のColumbia – HTCでエーススプリンターとして活躍していたカヴェンディッシュも晩年は若いスプリンターの台頭でなかなか勝てない時期が続いていました。ツールでも3年前の勝利が最後だったのです。
 カヴェンディッシュは元々英国マン島出身のトラック競技選手で2005年のロサンゼルスで開催されたトラックレース世界自転車選手権・マディソンで、ロバート・ヘイルズとペアを組んで優勝しています。2006年にT-モバイル(現在のチーム・HTC=ハイロード)とセミプロ契約を結んで移籍し、翌年にプロ契約をしているのです。参加したレースで勝ちまくり一躍時の人になって行きます。2008年には2度目の参戦となったツールでステージ4勝を挙げるも北京オリンピックのために途中リタイヤし、マイヨヴェールの獲得は翌年に持ち越しかと思われたのですが、ステージ優勝はするもののなかなかマイヨヴェールには手が届かいもどかしい時期が続くのです。

 2009年はカヴェンディッシュの黄金期の始まりの年で、ジロでステージ3勝、ツール・ド・スイスでも2勝を挙げ、怒涛のステージ6勝で待望のマイヨヴェールかと思いきや、トル・フースホフトと僅か10ポイント差の2位に終わります。初めてグランツールのポイント賞を獲得したのは2010年のブエルタ・ア・エスパーニャでした。2011年はステージ5勝で初のマイヨヴェール。世界選手権も勝ちこの年を締めくくります。
 この成績を引っ提げて母国のチーム・スカイへ移籍するも、この移籍がケチの付き始めか、1年持たずにオメガファーマ・クイックステップへ移籍となります。ピュアスプリンターのカヴェンディッシュにとってはゴール前のアシストが重要なのに、何故スカイを選んだのか?マイヨジョーヌを狙うチームでは彼の能力は発揮できないことは明らかだからです。この後は怪我やチーム移籍を繰り返し、思うような走りが出来ない時期が続くのです。

 2021年に古巣のドゥクーニンク・クイックステップに戻ったカヴェンディッシュは第4ステージでツール・ド・フランスにおける5年ぶりの勝利を挙げると、第13ステージの勝利でツール・ド・フランス、ステージ最多優勝の34勝に並ぶことになるのです。
 その後もなかなか結果が残せなくなったカヴェンディッシュを最後に受け入れたのがあのヴィノクロフのアスタナでした。2023年に移籍と共に年内での引退も発表して臨んだツールは落車リタイヤ。ツール最多勝の可能性は潰えたと思っていたのですが、本人もチームも諦めていなかったようで、引退を1年延長して、再チャレンジに成功するのです。

 ゴール直後“We did it”と叫んでいたカヴェンディッシュ。”I” ではなく” We”なのです。サイクルロードレースはチームスポーツなのだと改めて思い知らせれた瞬間でした。初日にタイムオーバーギリギリでゴールしていたのが嘘の様です。決して神に愛された選手ではなかった印象のカヴェンディッシュですが、最後の最後に神が降臨した感じでした。というのも、前々日の落車の影響があったフィリップセンに加え、この日はゴール前の落車で多くのスプリンターが煽りを受けていたからです。とはいえカヴェンディッシュが勝つとすればここしかないというステージを確実に勝ち切ったのは流石です。
 諦めなければ夢は叶うというのは簡単ですが、この諦めない気持ちを持つことが出来るのもある種の才能なのかもしれません。ただ。プロにとっては無くてはならない資質でしょう。
 



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ツール・ド・フランス2024を振り返る(2)

2024-10-27 11:11:05 | ツール・ド・フランス
 ツール・ド・フランス2024の3日目は歴史の扉を開けるステージになりました。エリトリアのスプリンター、ビニヤム・ギルマイがアフリカ系の黒人として初となるツールの勝利を手にしたのです。敢えてアフリカ系の黒人と記したのは、ツールで4度マイヨジョーヌを獲得しているクリス・フルームは南アフリカ出身の選手だったからです。ゴール前で大きな落車があり、フィリップセン等が不利を受けたこともありましたが、この勝利には誰もが驚いたと思います。

 2022年のジロ・デ・イタリアで勝利を挙げ、トップスプリンターの仲間入りをしたギルマイですが、翌年に初出場したツールでは3位と勝利に迫ったものの、それ以降はなかなか勝ち星を重ねることはできずにいたのです。2度目の大舞台でようやくエーススプリンターに相応しい結果を手に入れることになったのです。
 世界的には身体能力の高いアフリカ系の選手の活躍が目立っていますが、機材スポーツのサイクルロードレース界ではまだアフリカ系の選手が圧倒的に少ないのが実情です。UCIも来年の世界選手権をアフリカのルワンダで開催することを決めている中でのギルマイの勝利となった訳です。他国籍の選手が集うUCIワールドツアーには人種差別などは全くありませんでした。誰もが暖かくギルマイの勝利を祝福していたのですから。自然を相手にするサイクルロードレースの選手は人柄が良く、心豊かな人が多い気がしています。個人的にも日本のプロ選手を何人か知っていますが、皆一様に優しい人ばかりです。

 この日はEFのカラパスが14位でゴールしタイム差無しの「全ステージの順位の合計が少ない」着順上位規定でエクアドル人として初めてのマイヨジョーヌ獲得となりました。東京オリンピックの金メダリストで金色のSupersix EVOに乗ったカラパスのマイヨジョーヌはcannondaleのバイクに乗っている私にはとても嬉しいことでした。昨年もエースとして期待されて参戦しながら前半の落車でリタイヤしていたので、カラパスもチームも喜びはひとしおだったことでしょう。
 3日目の結果を受けて総合は1位カラパス、2位ポガチャル。3位エヴェネプール、4位ヴィンゲゴーまではタイム差無しという状況になっていました。総合上位勢は次の日のガリビエを見据えていたのでしょう。マイヨジョーヌを失ったポガチャルも特に気にした様子はありませんでした。
 4日目にして標高2,642mの超級山岳のガリビエが登場し、いよいよ総合優勝争いが幕を開けます。逃げは出来たものの、ガリビエの手前からUAEが強烈な牽引で追走。登りに入ってもアダム・イェーツにジョアン・アルメイダとフアン・アユソが先頭でローテーションを回し、あっさり逃げを吸収。一方で、ヴィスマ・リースアバイクはマッテオ・ヨルゲンソンが遅れたことでヨナス・ヴィンゲゴーは単独となってしまいます。新型コロナウイルスからの回復が間に合わず、不出場となったセップ・クスの穴は大きく、ヴィンゲゴーには苦しい状況になっていました。

 山頂まで1kmの地点で3枚のアシストを置き去りにアタックを開始したポガチャルに食らいつけたのはヴィンゲゴーのみ。そのヴィンゲゴーも山頂で8秒というタイム差を付けられてしまうのです。さらに、下りも攻めたポガチャルが2位のレムコに35秒、ポガチャルを追いかけたヴィンゲゴーは結局37秒遅れの5位と振るわず、総合争いでもレムコの後塵を拝することになってしまいました。

 雪が残るガリビエの標高は2,642m。ポガチャルはその登坂記録を更新していたのです。ジロの山岳でも強さを見せていたポガチャルですが、ツールではここ2年続けてヴィンゲゴーに敗れていたのです。ただ、チームのアシスト強化とポガチャルの進化が改めて確認できるステージとなりました。
 対するヴィンゲゴーはエースアシストのセップ・クスを欠き、加えて前日の落車の影響かヨルゲンソンまで遅れてしまったのは大きな誤算だったはずです。ボーナスタイムも含めポガチャルとのタイム差が50秒になってしまったのですから。レース後「このステージで2分差以上をつけられると思っていたので、50秒差は良い結果だ」と語ったヴィンゲゴーですが、正直3連覇は厳しいように私には見えました。
 



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ツール・ド・フランス2024を振り返る(1)

2024-10-24 13:49:52 | ツール・ド・フランス
 2024年のUCIロードレースが幕を閉じました。今年のツール・ド・フランスはポガチャルのWツールがかかった大会となり、開幕前からパンターニ以来の26年振りのWツールの可能性を考えて来ました。問題はジロ・デ・イタリアを圧勝したポガチャルにどのくらいのダメージが残っているかでしたが、迎え撃つヴィンゲゴーも落車骨折明けとあり、むしろヴィンゲゴーの3連覇の方が難しいだろうというのが、私の見方でした。

 灼熱のイタリア南部からスタートした今年のツールは、フランス人選手の連勝で幕を開けました。初日にチームメイトと共に逃げたバルデが勝利し、最後の参戦となるツールで自身初のマイヨジョーヌ獲得という悲願を目撃することになりました。フィレンツェからリミニまでの206kmの丘陵ステージでしたが、残り50kmでプロトンを飛び出したバルデは、先に逃げていたファンデルブルックと合流し見事な逃げ切り勝利を飾り、待望のマイヨジョーヌに袖を通すことになったのです。

 2016年には総合2位という成績を残していたバルデがマイヨジョーヌ着用が初めてというのが逆に驚きでした。若くしてフランスの期待の星としてもてはやされたバルデも36歳となり、ツール参戦は今大会が最後だと表明したばかりだったのです。

 今年のツールは初日から激しいアタックが繰り広げられ、終盤にはプロトンは40名ほどに絞られるという厳しい展開となりましたが、総合を争うビッグ4はプロトン内で様子見という感じでした。そこを見逃さずに飛び出したのは流石のバルデといったところでしょう。
 2日目は灼熱のサンルーカで勝敗が決しました。イル・ロンバルディアの前哨戦、ジロ・デッレミリアでお馴染みの激坂サンルーカ。気温が30度を超える灼熱のサンルーカを征したのはフランス人のヴォークランでした。イタリアの地で何故かフランス人が勝つという不思議…ツールに懸けるフランス人の想いの強さなのでしょう。初日からのフランス人選手の勝利は56年振りだそうです。
 初日で総合争いから大きく遅れた選手達の逃げから生まれたステージ優勝で、本気の戦いは後続集団で起こっていたのです。1度目のサンルーカの登り口で10分あったタイム差は、2度目のサンルーカではワウト・ファンアールトとティシュ・ベノートのヴィスマ・リースアバイク勢がハイペースで人数を絞って行きます。

 ここでヴィスマが動くということはヴィンゲゴーの調子は悪く無いのかと思っていたら、ポガチャルがアタック。ヴィンゲゴーが食らいつく。昨年のジロ・デッレミリアでポガチャルを下したログリッチが遅れ、2日目にして総合争いかと思われたのですが、フィニッシュまで続く下りと平坦路ではヴィンゲゴーも先頭交代で協調を見せます。ライバルたちとの差を拡げることで二人の利害が一致したのでしょう。
 平坦区間に入りペースの落ちたポガチャルとヴィンゲゴーには、猛追したEFのリチャル・カラパスとクイックステップのレムコ・エヴェネプールが合流。カラパスを先頭に2分21秒遅れでレースを終え、ビッグ4の中ではログリッチだけが21秒を失う結果となったのです。今季からボーラ・ハンスグローエへ移籍したログリッジですが、この大会からレッドブルが新スポンサーになったものの、肝心な本人に往年の力はないように見えました。タイム差は大きくありませんでしたが、大会2日目にしてビッグ4がビッグ3になってしまうのでは…
 



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